07:やまんば
さて、私は、鬼の鹿角さんと旅は道連れ世は情け。
渡る世間は鬼ばかり、ア、いえ。正式には鬼はない。
前略、鬼の村に残してきたねえさん達、事件です。
いま私は、逆さまに宙づりにされているわけで、頭に血が上るわけで……。
やはり渡る世間は鬼ばかり、なのでしょうか。
今日の昼間のことです。
私と鹿角さんは、人里離れた山の中に、ぽつんと建ってる一軒家を見つけました。
日暮れも近かったので、そのお宅に、一夜のお宿を求めました。
一人暮らしのおばあさんは、人なつっこい微笑みで、私と鹿角さんを、快く迎えいれて下さったのです。
代わりに私たちは、お年寄りの一人暮らしでご不便されてる、家の手伝いをします。
そうして日も暮れて、草木も眠りについた頃。
シャー コン シャー コン シャー
耳元で刃物をとぐ音がして、私は目が覚めたのです。
逆さの視界。それに、足首と手首の痛みです。
なんと私は、手と足を縄で縛られて、天井の梁から、逆さにつるされていたのです。
目に入るのは、囲炉裏と、湯をはった大釜。出刃包丁と砥石です。
あら大変なごちそうの支度ですね。
おばあさんは昼間の面影とはうってかわり、白髪は乱れ、着物から見える腕は土気色。
瞳は、真っ黄色で血走っています。
出刃包丁の手入れに満足がいって、ニタリと笑った口からは、黄色い牙がのぞきました。
おばあさんは山姥だったのです。
ヒイイ。私は一呼吸置いて、悲鳴を上げようとしました。
「フカァ、」
やだ、変な声になってしまいました。
私さるぐつわを噛まされています。失敗失敗。なにが。山深い所で一軒家を構える怪しいおばあさんに、お宿を求めた事が。
「おや、目が覚めたのかい。ヒッヒッヒッ、いいね。怖がらせた方が、肉が美味しくなるんだよ。」
ねるねる的な笑い声を上げるおばあさん。練れば練るほどならぬ、怖がらせるほどって所です。
鬼の村にお世話になって、幾星霜。最近はおかげさまで、お肉も付いてきました。
「もうちょっと太らせてからと思ったけどね。久しぶりのごちそうだから、我慢できなくて。フフフ、白い足だね。」
おばあさんは節くれ立った冷たい手で、私のふくらはぎをなでました。
それは、食べ頃を見定める手つきです。
家畜か畑の野菜になった気分です。
よく見えませんが、私は逆さの宙づりになっていて、着物のすそがめくれているんですね。はしたないです。
私も食べるために、生き物を「頂いた」事がありますから、これからおこる出来事には想像がつきます。
私はやまんばさんの糧になるんですね。
しかしハイそうですか、とは言えません。できるものなら死にたくはないものです。
私はもがいて梁をミシミシと言わせましたが、やまんばさんを嬉しがらせただけでした。
「オヤオヤ、生きがいいねぇひひひ。」
「……。」
逆に私の足首が痛みました。荒縄から血が出そうです。
さて鹿角さんはこんな時にどうしているのかというと、こっちのお家に大きな体が入らなかったので、納屋の方でお休みになっています。
ちょっと離れているので、こちらの騒ぎは聞こえないでしょう。
そして明日、私がいなくなったら、やまんばさんが「アァ、娘さんなら一足先に出てゆかれましたよ。」とか言っちゃえば、ごまかされちゃいます。
私の人生これまででしょうか。
まだ、渦巻き海峡も、三角巨大墓も、火ネズミの衣も見てないのに……。
「……。」
シャー コン シャー コン
「……。」
シャー コン シャー コン
――私は、カッと目を見開きました。
そうです。まだアレもコレもソレもドレも見てないのに、死ねますか!
やまんばさんが大釜の湯加減を見ているすきに、私は腹筋と柔軟を生かして、体を二つに折りたたみます。
腹筋をする要領です。
逆さまにぶら下がって、後ろ手に縛られているので、ちょっと苦しいです。
両ひざを使って、さるぐつわを外そうとします。
なかなかうまくいきません。
と言う所で、みしみしいってるこちらを振り向いたやまんばさんと、奇っ怪なポーズをとってる私。
目が合ってしまいました。
「なにをしているんだい? あまり暴れると、縄がほどけてしまうじゃないか。ちょっと早いけど、さきに血を抜いておこうかね。」
「…………。」
やまんばさんは、慣れた手つきで、私の頸動脈に出刃包丁をあてがいます。
私は、命が終わる恐怖に、さすがに震えました。
「ヒェッヒェッヒェッ。いいねえ、人間の泣き顔ってのは。我慢できないねえ。少し味見をしようか。」
やまんばさんは、黄色い牙によだれを滴らせて、私のどっかをかじろうとします。その牙、痛そうですね。
「我慢がどうしたって。」
その轟音と声は、鹿角さん!
私とやまんばさんは、同時に、玄関を振り返りました。
出入り口を壊して、木戸が崩れる音。その轟音と共に、鹿角さんが無理矢理、やまんばさんのお家に入ってきました。
「山姥、それくらいで我慢とは片腹痛い。」
鹿角さん……。鬼の村では番頭さんだったので、ご苦労されたのですね……。
私は、安心感と恐怖と感慨が入り交じって、涙を一つ、ポロリとこぼしました。
ポロリといえば、私のえり元は大丈夫でしょうか……。
着崩れしていたらはしたないです。こんな時にそんなこと気にするのも何ですが……。
鹿角さんは木戸を壊すのに、外にあったナタを、片手に持っています。
その重さを確かめるように、ヒュッ、と一振りします。
私の足の長さくらいある、立派なナタですが、鹿角さんの体格と比べると、少し華奢なようです。
どう見ても、やまんばさんが食べそうにない、鬼の鹿角さん。
その鹿角さんの乱入に、やまんばさんは、獲物を横取られる獣の動きで、臨戦態勢に入りました。
「おやおや。眠り薬入りの粥は効かなかったのかね、おかしいね。」
「おかしいのはお前の納屋だ。双頭のムカデやら、大蛇や大クモがいるゲテモノ屋敷で、眠れもせぬわ。しかし人の頭蓋骨のオブジェはよかった。褒めてやろう。」
「気に入ったのなら、一つあげるよ。右から6つめのがオススメだよ。味も良かった。」
なにやら悪趣味な交渉をしながら、鹿角さんとやまんばさんは、じりじりと、お互いの距離を測ります。
……納屋に頭蓋骨って、明らかに今までの犠牲者さんですよね。
鹿角さん、それを見て何も思わなかったのですか。本当に飾りだと思ったのですか。
私の疑念をよそに、先に仕掛けたのは、やまんばさんです。
やまんばさんは、研ぎたての出刃包丁を振り上げて、鹿角さんの首に飛びつきます。
鹿角さんのナタと、やまんばさんの出刃包丁の戦いです。
やまんばさんは流石女性。絶妙な包丁さばきです。
一方、鹿角さんは力押しです。やまんばさんの出刃包丁を、強くたたき返しました。
やまんばさんは、圧倒的に体重が足りない。
しかし素早い身のこなしで、たたきつけられた壁から、カサカサと体制を整えます。
四つんばいで重力に逆らって、ちょっと怖いです。
その時、懲りずにうごめいていた私が、梁から落っこちました。
縄がほどけました。肩から板間に落ちてちょっと痛いです。
「リン!」
鹿角さんが私をたぐり寄せます。
見事に板間を引きずられました。カーリングになった気分です。
鹿角さんはナタで、私の手首足首に縛られた荒縄を、切ってくれました。
ナタ凄い。一刀両断です。間違えて私の手足も一緒に切断されたら、どうしようかと思いました勢いです。
さるぐつわは自分でほどけます。
その隙を狙うやまんばさん。
壁から跳躍します。さっきから、人間の動きではない素早さです。
「ヒヒヒーッ。」
「やかましい!」
鹿角さんは、煮えたぎった湯釜を、やまんばさんに向かって投げつけます。
熱湯を受けるやまんばさん。蒸気がジュワアアッと音を上げます。
やまんばさんは悲鳴を上げながら、焼けた顔を、両手で押さえました。
敵に対してとはいえ、何とむごい仕打ち……!
床も、あとからお掃除が大変です。
鹿角さんはやまんばさんがひるんだ隙に、やまんばさんの出刃包丁を奪います。
壁にやまんばさんの腕を縫いつけました。
ッダン ゴリュブシャ
「グアッ。」
鬼。鹿角さん鬼です。鬼ですけど。
私は、血のり的な意味で鮮やかなその光景を、ただ呆然と見るだけでした。
鹿角さんは、やまんばさんを壁に固定したあと、やまんばさんの悲鳴を聞き終わらない内に、私を持って、やまんばさんの家から離脱します。
しかし脱出の間際、私は見たのです。
やまんばさんは即座に、自分の腕から出刃包丁を引き抜き、私たちを追って来たのを。
「やまんばさんが追ってくまっ。」
私は、鹿角さんに不明瞭に報告をします。
山道で足場が悪く、舌を噛みそうです。とりあえずセリフを噛みました。
やまんばさんは四つんばいになり、カサカサカッと、人智を超えた早さで山道を走ります。
なんでしょうね……。人間ありえない早さで、なめらかに自分に迫るモノを見ると、恐怖を覚えるのですね。
思わず鹿角さんを掴む手に、力がこもります。
すみません。絶対に落とさないで下さい! 運んで頂いてる身ですみませんけどもすみません!
昔話のように三枚のおふだもないのに、はたして私たちは、やまんばさんから逃げ切れるのでしょうか。
私は後ろ向きに、鹿角さんの肩に担がれて、バックミラーのように鹿角さんの後ろを見ています。
やまんばさんにとっては歩き慣れた傾斜のようで、徐々に距離は縮んでいきます。
その距離が縮むごとに、私は腕に力を込めます。
すると鹿角さんの走る速さが、ますます落ちていきます。
なぜですか。私が腕に力を込めすぎて、苦しませてしまいましたか。そんなまさか、私の腕力ごときで、いえしかし。
「鹿角さん、やまんばさんがキャアッ。」
やまんばさんが飛びました。
下り坂の勢いを生かして、猿のように身軽に飛びかかってきます。
私は思わず、やまんばさんとバッチリ目が合ってしまいます。
やまんばさんの目は、狩りと痛みで高揚した、人ならざる目でした。見なきゃよかった。怒濤の後悔です。
すんでの所で、やまんばさんを避ける鹿角さん。
やまんばさんの高い跳躍を、逆に、体勢を低くとり避けた形でした。
再び、ジリリと対峙するふたり。
鹿角さんは、即座に勝負を付けます。
相手の呼吸をついて、やまんばさんの長い白髪を、今度は自分のナタで木に縫いつけます。
さっきの壁の時よりも、深く刻みます。
動きを封じられたやまんばさんは、鹿角さんに罵声を浴びせます。
その罵声は、どうやら下ネタのようです。
詳しくは解読できませんが。ねえさん方がいたら、むしろ、もう聞きたくないってくらい説明してくれるのですが……。
鹿角さんは、無言でやまんばさんから出刃包丁を奪い、ナタと同様に、白髪を巻き込ませて、木に縫いつけました。
若干、さっきより力が入ってます。
ガツッ
あとから気が付いたのですが、その勢いがあれば、やまんばさんの首をはねてしまえそうです。
しかし鹿角さんによると、やまんばさんというのは、首を斬っても、動きは止まらないのだそうです。
首無しで追ってくるやまんばさんの様子を、想像してしまいました。
それはあかんです。
ともあれ、やまんばさんを足止めして、鹿角さんは私を持って、山を下りたのでした。
目の前で行われていた、妖怪ファイトの恐怖や興奮が、やっと、少しずつ冷めてきました。
てくてくと歩く鹿角さんの、枯れ草のようなたてがみが、後ろに流れていくのを眺めます。
そういえば、鹿角さんにも血が通っているのですね。
肌の色から連想される、鉄のような感触ではなく、思ったよりも暖かなのですね。
などとほっこり思っていると、ほとほと、と涙が出てきました。
私は無力です……。鹿角さんがいなければ、あっさり死んでいました。
カンフー好きのおねえさんから、ちょっと護身術を教えて貰いましたけど、出会い頭とか痴漢撃退レベルなのです。
武器も心得ていない、女の一人旅というのはこんな物なのですね。……情けないです。
「た、助けてくれてありがとうございました……。」
私は声を絞り出して、鹿角さんにお礼を言います。
鹿角さんは、私の方を気にしながら、少し非難するように言います。
「なぜ助けを呼ばなかった。」
助けていただいてなんですが、お説教の流れですか……。
「えーと、さるぐつわを噛んでいて、喋れませんでした……。」
「喋れなくても、そこは何とかひとつ。」
なぜ、鹿角さんが頼み込む形ですか。頼まれてるのか叱られてるのか分からないです。
私は落ち武者のようにがっくりとうなだれました。
「……こ、今度からそうします。すみません。」
「いつおれの名を呼ぶか見ていたのだが、」
「えっ?」
「いや助けに入るタイミングを見ていたのだが、きっとリンは、一人でもどうにかして逃げ出せていた。」
アレいま、見ていたとか、ちょっと人でなしな行動を言われた気がします。気のせいですか。
「……そんなさすがに一人では。生きてる限りは善処しますけども。」
「縄はほどけかかっていたし、やまんばは非力だ。包丁を奪えれば、勝機はある。」
私は、なんの指導を受けているのでしょうか。
落ち込んだ気持ちが、現実的な指導への困惑と混ざります。
アドバイスはありがたいのですが。
鹿角さんに命を救って頂いたとはいえ、私は、首を切られていたら、いっかんの終わりでした。
人間、死ぬ時はあっという間です。
私はふと、もう会えない人たちを思い出して、淋しくなりました。
鹿角さんに背負われているのが、情けなくなります。
「……一人で歩けます。」
私は鹿角さんの肩の上で、もぞもぞと居心地悪そうに、うごめきます。
落ちそうになったので、鹿角さんに強く押さえつけられました。
「履き物がない。それにもうすぐ麓に着くから。」
鹿角さんは、そう言います。
大体の荷物は、やまんばさんの所に置いてきてしまいました。
換えの効く物ばかりでしたが、まだ使える物もありました。ちょっともったいないです……。
まあ、自分の命の換えはないので、それどころではないのですが。
鹿角さんは、自分の物はある程度、持ってきているようです。
鹿角さんは、履き物がないと言いますが、山道をはだしで歩くくらい、何でもないです。
落ち葉も雑草もあります。枯れ枝に気を付けてれば、やわらかいです。
……しかし、とりあえず、早く泣きやまなければ。
そう思って顔を上げると、鹿角さんの言う通り、本当にもう、山の麓まで下りていました。
山の麓には、民家が連なり、店も宿も数件あるようです。
またすぐに、旅装を整えられそうです。
しかし、今は夜も更け、どの家も固く雨戸を閉ざしていました。
村の出入り口で、鹿角さんは私を降ろします。
「鬼の縄張りでもない、このような小さな村では、警戒されてしまうから。」
しばらく別行動をとる旨を言います。
私は了解して、鹿角さんにお辞儀をしながら、
「分かりました。ここまで背負ってくれて、ありがとうございました。――おやすみなさい。」
ぽすん
頭を持ち上げようとしたら、鹿角さんの手の平にぶち当たりました。なんという古典的ないたずらを。
行き場を失った私の頭は、鹿角さんにつかまれます。
私はもう、泣きやんでいます。
鹿角さんの手のひらは、私の頭蓋骨をすっぽり包むのですね。握りつぶされそうで、ちょっと怖いですが。
鹿角さんは、私の頭をぐるんぐるんと前後左右に揺らして、私の目を回そうとします。
――その時。
私は、急に、昔の事を思い出したのです。
ぐるんぐるん回されたのが、若干の催眠効果でもあったのでしょうか。
数年前、私は、沼で溺れたことがありました。
そのとき、私は確かに、どなたかに助けてもらったのです。
飲んだ水を咳き込んでいる間に、そのかたは姿を消してしまいましたが……。
助けて頂いたときも、この様なのっしりした手で、頭をなでられました。
あれはなんだか、タヌキに化かされたような出来事でした……。
私は確信めいた心持ちで、鹿角さんに問います。
「鹿角さん……。もしかして昔、沼で私を助けて下さいましたか?」
鹿角さんの手がぎょっと固まります。
顔を上げた私と、鹿角さんの目が合いました。
鹿角さんの目は、相変わらず薄い色で瞳孔は小さくて、感情がよく分かりません。
しかし、その目もよく見ると、独特な趣があるように、見えなくもありません。
「私、沼でどなたかに助けて頂いた事があるのですよ。」
「……。」
「その時、そのかたに、私が今度、養女に入る家の事で、注意を頂きました。それでなんとなく気を付けていたら、私は生き延びられたのです。」
「……。」
「鹿角さん。どうして目を背けるのですか。」
不自然なまでに体をひねって目をそらす鹿角さん。
追う私も、物凄く体をひねります。前衛的なダンスのようです。
「あの時、助けてくれたのは、水神さまかと思っていたのですが、もしかして鹿角さんだったのですか?」
「そんな昔の事など覚えてない。」
「…………。」
鬼というのは、人間よりも長く生きるので、物忘れが激しいのかもしれません。
「鹿角さん。助けて頂いて、本当にありがとうございました。」
私はもう一度、お礼を言いました。
ちゃんと、鹿角さんの目を見て言えました。
「……。」
鹿角さんは私の頭をなでて、私は赤べこのように頭を上下しました。軽い脳しんとうを起こしそうです。
そういうふうに私が目を回している内に、気が付いたら鹿角さんは、沼の時みたいに、姿を消していました。
「……。」
鹿角さんって、もしかして……。ものすごく良い人なのかもしれない。
私は感動にも似た心持ちで、鹿角さんの消えていったらしき林を見つめます。
しばらく立ちつくしていました。
頭をシャッフルされたので、ちょっと酔っぱらいました。
ちなみに、やまんばさん最寄りのこの村は、深夜にたずねてきた不審な旅人に対して、なかなか雨戸を開けてくれなかったのは蛇足です。
渡る世間は鬼ばかり、ア、いえ。正式には鬼はない……。
よくわからないのですが、鹿角さんは、とてもいい人のようです。