06:閑話:鹿角が初めてリンを見た時の話
鹿角が初めてリンを見たのは、リンが供物として捧げられるよりも、ちょっと前だった。
鹿角たち数人の鬼が、縄張りである森の中を見回っていた。
そこに数人の少女たちがいて、一人がリンであった。
少女たちはタヌキに化かされ、キャーとかヒーとか言っているのである。
その中で、リンは一人静かだったので、鹿角の目を引いた。
いるよな、まわりが騒ぐと逆に冷静になる人。自分もどちらかといえば、そっちだ。
少女たちは、タヌキの見せる幻に恐がり、抱き合い騒ぎ、ちょろちょろと動き回る。
その様子は、哀れでもあり可愛らしくもあり、タヌキがからかうのも分かる気がする。
ほのぼのとした、牧歌的な光景である。鬼の主観的に言うと。
うむ。今日も縄張りの中は、おおむね平和です。
鹿角がリンを最初に見たのは、これだけであった。
二回目の遭遇は、うわさ話の中であった。
いや実際に目にした訳ではないので、回数には入らないか。
鹿角は見回りとも散歩とも言えないていで、山深い道を歩いていた。
すると鳥のさえずりと共に、うろちょろしてる小妖怪たちの噂が耳に入る。
「……の村の、リンという娘というのが、……。」
「の養女に……、ほう。」
「……の村長は、人食いの噂があるとか。いつまで生きている事やら……。ひそひそ。」
たしか先日、タヌキに化かされていた少女たちが、あの、からかい甲斐のない少女の事を、リンと呼んでいたような気がする。
そうか、あの娘は人食いにあうのか。
……人など、最近食べていないな。人食いをたしなむとは、風雅な村長である。
鹿角は遠い日の人肉の味をぼんやりと思い出しながら、見回りとも散歩とも言えない徘徊を続けた。
二回目も、こんな物であった。
三回目。リンは沼でおぼれていた。
「がぼがぼがぼが」
「……。」
近くに人もいないらしい。
鹿角は周囲を見回した後、何の気なしにリンを助ける。
たとえ、山に赤子が捨てられていても、蜘蛛の巣に蝶が引っ掛かっていても、基本的には手を出さないが、今回は魔がさした。意味はない。
「がぼがはっ げほっ げほっ 」
それにしても人の少女というのは、細くて小さい物である。近頃は作物にも恵まれないのか、骨も浮いている。少女の腕と間違えて、枯れ枝をすくいそうになったよ。
ふと見ると、少女の手には薬草が握られていた。多分これを採るために、足を滑らせて沼に落ちたのだろう。
「だれ…… げほげほ あ、ありがっけっほん 」
少女は目に水が入り、まだ視界に不自由しているらしい。
鬼の縄張りというだけあって、鬼が人前に出るのは珍しい事ではない。が、まぁしかし、鬼の評判は悪かった。
一部の思慮足らずが、いたずらに村人を襲ったり脅したり、暴虐の限りをちょっとしているのだ。
無闇に恐がらせる事もないだろう。
ということで、鹿角はリンの目が回復する前に立ち去ろうとした。
「リンとやら。養子に入った先では、気を付けろ。」
「……な、なぜ私のことを……。」
リンはむせた呼吸の中で、鹿角に尋ねた。鹿角は答えずに、リンの濡れた頭をなでた。
小さい頭が柔らかく傾ぐので、もう一回おまけになでた。
「……水神さま、?……」
察するに、沼でおぼれて、沼で不可解な存在に助けられたから、相手は水神ということか。おれは水神じゃないけど、まぁいいや。
しばらくあとリンが振り返ったとき、鹿角は既に姿を消していた。
三回目も、こんな物である。
そして四回目。
鹿角がリンを見たのは、捧げられた供物の中であった。
よく一度目は偶然、二度目はなんとかで、三度目はうんたら、とか聞いた事があるが、回数を重ねても、存在を認知してもらえないのでは無意味である。
鹿角は、すでに何度目か分からないリンとの会話の後、アケビがなにとかいう話をして、そそくさと立ち去るリンの後ろ姿を見ながら、ぼんやりと思った。
自分の名前がリンに認知されるのは、一体いつのことなのか……。