05:見つかりましたー
……見つかりましたー!
私の顔は、一気に血の気が引きます。
この道は、いつも反物を売りに行く時に使う道です。
数日前にも通りました。
鬼たちも通り慣れた道のようで、幅広くて見通しがよいです。
現在、私の進路方向の少し先に、黒い小山のような影がありました。
あのでかい図体に、頭には二本のツノ。まだよく見えませんが、間違いなく鬼です。
待ち伏せしているかのように、佇んでいました。
いつ、私が村を出たのがばれたのでしょうか。
私は、村を出る前から命の危険です。
こちらから向こうが確認できると言うことは、向こうもこちらが見えると言うことです。
鬼は夜目が利くらしいので、私は間違いなく、既に見つかっています。
私たちと鬼には、暗黙の了解がありました。
娘たちは(表面上は)無闇に鬼に反抗せず、鬼たちは(表面上は)無闇に娘に危害を加えません。
私の、村からの脱走という行為は、この了解を破る意味を持ちます。
引いては信頼関係の崩壊です。
私たちの、鬼の村での待遇は、決して酷いものではありませんでした。
鬼のおかみさんたちと、ほぼ一緒です。
供物の身でありながら、そんな好待遇に恵まれているのに、脱走をするとは、この信頼関係に砂をかけるようなものです。
完全に私に非があります。
夜中に旅装でコッソリと、なんて、言い訳の余地もございません。
脱走の失敗も、考えていなかった訳ではありませんが、生死のかかる罰を受ける覚悟もありますが、暗闇に鬼とか、怖いものは怖いのです。
「村を出るのか。」
鬼からの問いに、私は身をすくめて、木の陰に隠れました。
「……。」
「……。」
フクロウと虫の音が響きます。あと少しで私が虫の息です。
鬼は、私の様子を静かに見ていました。
最後の情けで、私から謝ってくるのを、待っているのでしょうか。
今回は謝って誤魔化して、脱走は次の機会にする。という考えもあります。しかし私は、命のかかる罰を受けてでも、今は村を脱走する。とばかり考えていました。
というか、正直そんなに頭が回りませんでした。
「……ど。どなたか存じませんが、どうか、お見逃し下さい。……私は、村を出たいのです。」
私は出来るだけ、丁寧に懇願します。
しかし鬼は、形相を厳しくしました。
「嘘だろう。」
「……嘘ではございません。どうか。ひ!」
鬼が一歩前に出ました。私は一歩後ろに下がります。
まあ今でも十分、間合いは開いてるのですが。鬼は月明かりに目が光って怖いのです。
「おれが誰か分からないと言うのが、嘘ではないのか。」
「……。」
フクロウと虫の音が響きます。
「えっ?」
「えっ。」
私、自慢じゃないですが、この数年間で、鬼を見分けたことなどございません。
少女によっては、器用に相手の鬼を見分けますが。恋ってすごいですね!
鬼は私にお説教するように、懇々と言いました。
「見分けなど、ツノの形や、毛色の違いなど、分かり易いのがいくつもあるだろうが。」
「その。私の物覚えは、服が変われば、誰か分からなくなるレベルなのです。」
「娘たちの名は、すぐに覚えていたようだが。」
「会話の頻度が違います。」
「お前が交渉していたのは、いつも、毎回、全部、おれだったのだぞ。」
「ア……ッ、その節はどうも、たいへんお世話になりました……!?」
「……。もういい。」
森の中で、フクロウと虫が鳴いています。私も泣きたいです。
もういい、と言う鬼に、とりつく島はないようです。
この鬼さんが見逃してくれないとなれば、私も折れません。
と、なれば行き着く答えは一つ。
私はいずれ来るであろう、鬼からの物理的な鉄槌に、そっと心の準備を致しました。
「……。」
しかしいくら待っても、鬼からのこぶしは来ないのです。いや、来ないに越した事はないですが。
ここで来ないと言うことは、村に戻ってから処分があるのでしょうか。
それとも、やはりここで、私の肉体の消滅的な処分があるのでしょうか。
私は遠慮がちに、鬼に問いました。
「……私を、村へ連れ戻さないのですか?」
鬼は、しばらく間を置いてから口を開きます。
「……。以前、おもしろい話を聞いた。この世には、不思議な場所や、海を越えて多くの国々があるのだと。」
「……。」
「おれも見てみたいのだ。」
「……!」
私は目を見開いて、初めてこの鬼をまともに見ました。
このご時世、商人でもないのに、海を越えて外つ国へ旅などと、雲をつかむような話を、私以外にも思う人がいたなんて。しかも鬼で。
私は思わぬ同志に、とても嬉しくなりました。
隠れていた木の幹から、少し顔を出します。
「私、」
「おぉ。」
「私、不死の山というのを、見てみたいのです。あと、異国にいるという、金の猿も見てみたいのです。とても楽しそうです。」
「……木から出てきてはどうだ。それは楽しそうだな。」
楽しそう。
無茶とか無謀ではなく、私と同じ感想を持ってくれるのですね。
私は、ますます嬉しくなり、興味のある場所を、次々と鬼に伝えました。
「あと、こうこう、こういう所がございまして。一生に一度は訪れないと、嘘だと聞いたのです。どう思われますか?」
「なるほど、それは一度見なければ。反物を売りに行く時のように、もう少し近くを歩いても大丈夫だぞ。」
「はい! そうですよね!」
そうして、夢中で話し続ける内に、気が付くと、てくてくと森を抜けていたのです。
私は、自己紹介もまだなことに、気が付きました。
「あ! お名前聞くのが、まだでしたね。私はリンと言います。」
「……まだと言うか何というか。いやいい。鹿角だ。」
鹿のツノの鬼さんの、鹿角さんですね。
なんとお呼びしましょうか。私は供物の身なので、やはり、様付けでしょうか。
「鹿角……さま!」
「様はいらぬ。」
逡巡して却下されました。
敬称がいらないとは、鬼だというのに、たぶん大らかな方なのですね。たぶん。
「では、鹿角……さん!」
「妥協しよう。」
妥協? まあ妥協を頂いたのでヨシとします。
私は道の先を指さしました。
「鹿角さん。あの街道に出るには、こっちの道ですね。」
「そうだな、リン。しかしこっちの方が近道だ。」
「そうなのですか。」
鹿角さんは呼び捨てですか。
いや、鬼からもねえさん達からも、リンと呼ばれることが多かったので、呼ばれ慣れてて助かりますけど。
私が鹿角さんを振り返ると、鹿角さんは存外おとなしく立っているのです。
私に危害を加えないと分かれば、恐くない、と言えなくもないかもしれなせん。
私は、これから見る地に思いをはせ、その感動を分かち合えるかもしれない存在に、顔がほころびました。
私に旅の道連れが出来たのです。
こうして鬼の村から、一人の少女と一人の鬼が、姿を消したのでした。
――――後日。某書庫。
「頭領どの。鹿角とリンがいません。」
「あぁ、鹿角から事前に聞いている。この村の織物を、遠くの町まで営業しに行くのだとか。リンが一緒というならば心強い。」
「……ところで。あの二人、下馬評では、まだできてない方に人気があります。」
「おれも、そう思う。」
「……。」
「どう見ても。」
「……。」
「……。」
「……がんばれよ! 鹿角……!」
一部の鬼達は、妙にうさんくさく爽やかに、窓から見える青空を仰いだのだった――。