風邪(終)
私と鬼の鹿角さんは、外つ国への中継地である島にいました。
移動するにつれて、方言なのか外国語なのか、言葉も通じにくくなってきました。
この島では、母国語と外国語が入り混じってます。
もっと遠くに行くのなら、きっと、案内人さんと通訳さんが必要です。
窓からは、乾いた風が入りました。黄色い砂のにおいがします。
寝間で横になっている私の髪を、爽やかに揺らしました。
気候の変化に身体が追いつかなかったのか、私は体調を崩してしまいました。
面目ないです。
宿をとって休んでいます。
体調を崩すと人は弱気になる、と言いますが、本人よりもむしろ、周りの人がうろたえる場合があります。
鹿角さんが、大きい手で、私の額をおさえながら言いました。
「リンが死んだら、その肉を食べても良いか。」
「……。」
私の背中に、被捕食者の戦慄が走ります。
鹿角さんは人間を食べるのですかだし、私はまだ死にませんし、人間と鬼は、やはりちょっと、考え方が違うんですねだし。
しかし、鹿角さんの問いを考えると、どちらにしろ人間である私の方が、鬼である鹿角さんよりも、早く、寿命が来るのだと気が付きます。
「鹿角さんは、病気や歳を取った肉を食べても、大丈夫なんですか。」
「だいたい大丈夫だ。」
だいたい……? まあお腹が丈夫なのは、良いことですよね。よく分かりませんが。
私は、ぼんやりした笑顔で言いました。
「大丈夫ならいいです。私の寿命が来るまでに、いいお肉に仕上げときますね。」
おいしいお肉になるには、香草など食べるといいのでしょうか。
あと、ストレスとか健康に気を付けるといいのでしょうか。今度、畜産をしてるねえさんに相談してみます。
私は鹿角さんの血肉となり、鹿角さんがこれまで好きになって、食べた人間の人たちと、火の鳥とか生命のスープ的に、みんな一緒でみんな一緒になるんですね。
にわか知識ですけど宇宙は広くてミクロで、トンデモなのですね。
私の頭の中は、熱で朦朧としていました。黄色い砂吹雪が、哲学的なダンスをしています。
鹿角さんは頷くように、私の肩に頭を落としました。
うっかりツノが凶器にならないように、器用に避けます。
私の寿命が来たら、鹿角さんのたてがみを、もう抱きしめることができません。それはとても残念です。抱きしめることが出来なくなるのは、鹿角さんにも申し訳ないです。
私は、鹿角さんの頭を、力の入らない腕で抱きしめました。
スッターンッ
「お客さあん。お加減いかがですかぁ?」
その時、宿のおかみさんの快活な声と、部屋の戸が開かれる音がしました。
お世話になってる宿のおかみさんは、実にアットホームです。
熱を出した泊まり客である私に、とても良くしてくれます。
忙しい宿屋仕事の合間を縫って、何度も私を看にきてくれました。
その気安さが、声かけと戸を開けるタイミングを一緒にさせたのでしょう。
おかみさんは、まるで──、思春期の息子が女友達を連れてきて、ふたりが部屋で良い雰囲気になった所に、お菓子とジュース持って現れた母親みたいな──そんな、嬉し恥ずかし野次馬が同居した、満面の笑顔でした。
「あらやだッ! ウフッフゥー、お邪魔だったみたいね! 病人に良いスープを作ったの。よかったら食べて!」
おかみさんは、スープを乗せたお盆を、ずずいと出しました。
そして異様に静かな動作で、そっ……と戸を閉めました。
私はといえば、一日分の汗が、ドバッと代謝されて、熱が下がった気分です。
戸をしめる間際、おかみさんは鹿角さんと目を合わせて、親指をぐっと上げました。
なんの合図ですか。
鹿角さんは、なぜ、おかみさんが持ってきた、スープとサジを持って、スタンバイしてるんですか。
さっきの今で、なにをしでかそうとしてるんですか。
スープをすくって頂いても、私は食べませんよ。自分で食べますよ。
私は無言で、首を左右に振り、拒否の姿勢を示しました。表情は、真剣と書いてマジです。
鹿角さんは薄黄色した瞳孔の小さい目で、ぎっと私を睨み、私の拒否を、否定します。
「……ッ!」
「──ッ、……!」
無言の応酬が何往復かしました。
結局、私が熱で震える手でスープ皿を持ったことで、鹿角さんが折れました。
鹿角さん。折れて下さってありがとうございます。
そんなにぺっしょりしなくても……。
頭がふらふらだろうと、手が震えてようと、人が来るかもしれない所で、人に食べさせてもらうなんて、私の習慣が許しません。
大和魂は、シャイとデレと往々にして変態で出来てるんです。異論は認めます。
スープに入っている薬草の香りが、混沌とした空気を爽やかにさせました。
鹿角さん……。いずれ育てたお肉をあげますから、元気を出して下さい。
落ち込ませてしまったのは私ですけど。体調を治して、元気になんなきゃいけないのは私ですけど。
私は焦点の合わない目で鹿角さんを見つめます。
すると、目が合いそうになったので、私は、スッと、視線を窓の外に移しました。
目が合ったら、なにがおっぱじまるか分かったもんじゃありません……。
異国情緒あふれる窓辺から、乾いた風が入ります。
その風が、鹿角さんのうなだれたたてがみに、やさしーくそよいだのでした。