肩たたき
「ここですか! ここが良いですか、鹿角さん。」
室内には、私の荒い息づかいが響きます。
私の目の前では、鬼の鹿角さんの、枯れ草色のたてがみが、わっさわっさと揺れています。
私のこぶしを受けて、鹿角さんは低くうめきました。
「妙なことを口走ったら……、身の危険が迫ると思え。」
鹿角さんからの牽制に、私は、鹿角さんへのボクシングじみた肩たたきを中断させました。
口の利き方が、お気に召さなかったようです。
私の身に危険が迫るのは頂けません。
鹿角さんは、私に背を向け、文机に向かって座っております。
今は鬼の村に戻ってきてるので、家具の大きさが、鹿角さんの体に合っています。大きな文机です。
ご苦労様ですね、と私はねぎらいの気持ちを持って、肩たたきを始めたのですが、思わぬエキサイティングをしてしまいました。
むしろ、こっちが良いストレッチになって、肩凝り解消です。
「でも本当は、肩は叩くよりも、なでるくらいの摩擦の方が、筋肉を痛めなくてよいみたいですね。」
という、前情報を知っておきながら、殴り、いや、叩きに入ったのは、まあ私にも日頃の恨み辛みがあるのです。
しかし鹿角さんの肩は、本当に固いです。
この所、机に向かう事が多かったのですね。
私は鹿角さんの両肩をなでました。
すりすり
「んなっ!?」
「きゃっ!?」
そんな、急に動かれると、肘鉄とかツノとか頭突きとかが怖いです。
「いきなり何ですか。びっくりするじゃないですか。」
「物凄くこっちのセリフだ。」
はあはあと、呼吸を整える、私と鹿角さん。
胸を押さえるように身構えている格好も似ています。それはファイティングポーズにも似ています。
一呼吸置いたら、鹿角さんは、再び机に向かいます。肩たたきを催促するようにうつむきました。
あれっ、まだ肩たたきをやるのですか。いや、いいですけどね。そんな当然のように肩を向けられたら。やりますけどね。
なでなで
「……。」
なでなで
「……。」
一定の動きからの、着物生地の感触と、摩擦の音に、私は一種の催眠状態になり、再びだんだんと作業に夢中になりました。
両肩、両腕、背中の上下、首、後頭部。
一通りなで終わると、なぞの達成感にとらわれます。
私は鹿角さんにたずねました。
「あと、気になるところはないですか?」
「うーん……。」
……その釈然としないお返事。もう一周ですか。よいでしょう。望むところです。
しかし、私も疲れてきたので、鹿角さんの両肩を、しばらくぼんやりと眺めました。
両肩にかけていた手を、前に回して、抱きついてみました。
文机の帳簿を見ようと思ったのです。
鹿角さんは、私の子泣き爺的な攻撃にも一切揺るぎません。
帳簿はきちんと書かれてます。あれがそうなってこうなのですね。お疲れ様なのです。
「リン。」
鹿角さんは私の名を呼んで、私の両腕をほどきました。
私は、鹿角さんに預けていた体重を、床に戻します。
交錯する私と鹿角さんの視線──。
バッ
きびきびと身を翻す音が、部屋に響きます。
……ふふん、足払いからの押さえ込みだなんて、お見通しですよ。
私は自分の身軽さを生かして、鹿角さんの腕と、フェイントをかいくぐります。
私は、十分に間合いを取って、鹿角さんと対峙しました。
ピーッ…… チチチチ……
沈黙を表すかのように、屋外の小鳥の鳴き声がよく聞こえます。
「……。」
「……。」
じりっ……
どのくらい対峙していたのか、私は長引かない内に、切り上げることにしました。
笑ってお茶を濁します。
「──そろそろお茶にしましょうか。」
「えっ。……いや、うんその。……あぁ。」
鹿角さんの返事が、聞こえるか聞こえないかの距離を、私は足早に取ります。
ようかんを切りましょうね。ねえさんの作ったようかんは美味しいですよ。
鹿角さんが物凄く「え、えぇ~……。」とした表情をしているのですが、知ったこっちゃありません。
私は粛々とお茶の用意を始めたのでした。
青空の下、窓の外の小鳥は、おおらかに鳴いています。