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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第5話 迫る開戦

昭和十六年十一月二十六日


広島県 呉海軍工廠


 朝から冷たい北風が呉湾を吹き抜けていた。


 工廠の煙突から立ち上る白煙は風に流され、灰色の空へ溶けていく。


 秋月誠は定刻どおり大和へ乗艦すると、砲術科の朝礼に参加していた。


「本日は非常配置訓練の後、艦内各区画の最終点検を実施する。」


 当直士官の号令に、乗組員たちは一斉に返答する。


「はっ!」


 規律正しい声が艦内へ響いた。


 正式就役まで残り三週間あまり。


 艤装工事は終盤に入り、乗組員たちの訓練も徐々に実戦を意識した内容へ変わり始めていた。


 秋月は担当区画を巡回しながら、昨日の出来事を思い返していた。


 山本五十六大将。


 あの静かな眼差し。


 そして、脳裏へ流れ込んできた未来の断片。


『作戦を続行する』


『空母が戻らねばならん』


 意味は分からない。


 だが、偶然とは思えなかった。


「少尉。」


 兵曹長が声を掛ける。


「こちらの記録をご確認ください。」


 受け取った点検簿には、主砲塔内の確認項目が細かく並んでいる。


 旋回装置。


 揚弾設備。


 通信装置。


 非常電源。


 秋月はひとつひとつ実際の設備を見ながら照合していく。


 兵学校では教本で覚えた知識だった。


 しかし、実際に艦内で確認すると、その責任の重さはまるで違う。


 一つの見落としが、実戦では多くの命を左右する。


 だから誰一人として妥協しない。


 その姿勢は工員も海軍将兵も同じだった。


 昼前、工廠全体へ一斉放送が流れた。


『各部署、定刻どおり作業を継続されたし。』


 短い連絡だった。


 だが秋月は、その直後に工廠内の空気がわずかに変わったことへ気付く。


 参謀と思われる士官たちが足早に行き交う。


 普段は見かけない将校の姿もある。


 誰も口にはしない。


 しかし、何かが動いている。


 そんな空気だけは伝わってきた。


 昼食の席でも、話題は自然と外交問題になった。


「新聞じゃ、まだ交渉は続いているそうだ。」


 一人の下士官が味噌汁をすすりながら言う。


「本当にまとまるんですかね。」


「俺たちが考えることじゃない。」


 年長の兵曹が静かに答えた。


「命令が下れば任務を果たす。それだけだ。」


 誰も反論しなかった。


 海軍軍人にとって、それは当たり前の答えだった。


 秋月も黙って箸を進める。


 未来を知っているかもしれない自分だけが、この会話に加われない。


 胸の奥が重くなる。


 もし近いうちに開戦することを口にしたら、誰が信じるだろう。


 いや、それ以前に軍機を探ろうとした者として疑われる可能性すらある。


 未来を知ることは、決して万能ではない。


 むしろ、誰にも相談できない孤独を抱えることなのだ。


 午後の訓練が始まる頃、秋月は艦橋へ呼ばれた。


 そこから見える呉湾は静かだった。


 大小さまざまな艦艇が停泊し、曳船がゆっくりと行き交う。


 平和そのものの景色。


 だが、その平穏の裏で、日本という国は大きな決断へ近づいていた。


 秋月は無意識に拳を握る。


 未来を変える。


 その言葉は簡単だ。


 しかし、自分はまだ何も変えていない。


 変えられる立場ですらない。


 今は、一人の少尉として任務を果たすことしかできない。


 その時、遠くで汽笛が長く鳴った。


 秋月は海へ視線を向ける。


 理由もなく、胸騒ぎがした。


 未来がまた、自分へ何かを告げようとしている。


 そんな予感だけが、冷たい潮風とともに静かに胸をよぎっていた。


夕方、訓練を終えた秋月は一人で甲板に立っていた。


 西へ傾いた陽が瀬戸内海を赤く染め、大和の長い甲板にも夕焼けが伸びている。


 岸壁では工員たちが今日最後の点検を行い、金属を打つ音が静かな港へ響いていた。


 秋月はその光景を目に焼き付ける。


 この艦は、まだ一度も戦っていない。


 それなのに、自分の記憶の中では炎に包まれ、海へ沈んでいた。


 その運命を思うだけで胸が締めつけられる。


「少尉。」


 背後から声を掛けられる。


 振り返ると、中佐がゆっくりと歩いてきた。


「少し付き合え。」


「はい。」


 二人は艦尾へ向かって歩いた。


 潮風だけが静かに吹き抜ける。


「乗艦して数日だが、どうだ。」


「覚えることばかりです。」


 秋月は苦笑した。


「艦があまりにも大きくて、まだ区画を把握しきれていません。」


「皆そうだ。」


 中佐も小さく笑う。


「だが、一か月もすれば目を閉じても歩けるようになる。」


「その頃には就役ですね。」


「ああ。」


 中佐は海を見つめた。


「この艦は帝国海軍の期待を背負っている。」


「だからこそ、一人ひとりが責任を果たさねばならん。」


 秋月は黙って頷く。


 その言葉が胸へ深く刻まれる。


 期待。


 責任。


 そして命。


 この艦には、そのすべてが積み込まれている。


 中佐が去った後も、秋月はしばらく甲板に残っていた。


 静かな海。


 穏やかな夕暮れ。


 だが、その景色が突然揺らぐ。


 視界が白く染まった。


 爆音。


 対空砲火。


 黒煙。


 耳をつんざく航空機のエンジン音。


 空いっぱいに迫る急降下爆撃機。


 その数は数え切れない。


 海面へ次々と落ちる爆弾。


 巨大な水柱。


 誰かが叫ぶ。


『敵機来襲!』


『対空戦闘!』


 そして、聞き覚えのある艦名が響く。


『赤城被弾!』


 秋月は息を呑んだ。


 赤城――。


 第一航空艦隊旗艦。


 なぜ、その艦が燃えている。


 映像は一瞬で消えた。


 気が付くと、秋月は甲板へ片膝をついていた。


 冷たい汗が額を伝う。


「……赤城。」


 その名を小さく繰り返す。


 兵学校で幾度となく耳にした、日本を代表する航空母艦。


 その艦が炎上する未来など、想像したこともなかった。


 宿舎へ戻ると、秋月はすぐ『未来の記録』を開いた。


 今日見たことを忘れてはならない。


 筆を取る。


『航空母艦 赤城』


『炎上』


『多数の敵機』


『対空戦闘』


 そこで止まる。


 また断片だけだ。


 なぜ攻撃を受けたのか。


 どこで戦ったのか。


 それは思い出せない。


 秋月は静かに筆を置いた。


「……まだ足りない。」


 未来は教えてくれる。


 しかし、必要なことをすべて教えてくれるわけではない。


 だからこそ焦ってはいけない。


 断片をつなぎ合わせ、事実だけを積み重ねる。


 それが今の自分にできる唯一のことだった。


 窓の外では、夜の呉軍港が静かに眠っている。


 大和もまた、就役の日を待ちながら闇の中へ静かに浮かんでいた。


 その巨艦を見つめながら、秋月は誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「歴史は、もう動き始めている。」


 ――続く。


あとがき


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


本作は史実への敬意を大切にしながら描く歴史IF架空戦記です。史実を土台とし、小さな違和感や選択が、やがて大きな歴史の分岐へつながっていく過程を丁寧に描いていきます。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると、とても励みになります。


次回 第6話「南雲機動部隊」

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