チョロインって私のことですか?
<プロローグ チョロインって何ですか?>
日曜日の昼下がり、メアリーの部屋にアンジェラがやって来た。
「お姉さま、チョロインって何ですか?」
「どうしたの、アンジェラ? 変なことを聞くのね」
メアリーは読みかけの本にしおりを挟み、机の上に置いた。振り返りアンジェラを見ると、アンジェラは困ったような表情を浮かべている。
「教えて頂けませんか? お姉さま」
アンジェラが、すがるようにメアリーの目を見上げた。
「……。チョロインっていうのは、単純で騙しやすい女性のこと……と言えばいいかしら。覚えなくて良い俗語ですわ。」
メアリーは優しく微笑んで答えたが、その頭の中では(なぜ急にそんなことを?)と色々な可能性が浮かんでは消えていた。
「そうですか……。私はチョロインなのですか?」
悲しそうな表情でアンジェラが首を傾げた。
「何故そんなことを考えたのですか? そもそもそんな言葉どこで覚えたの? アンジェラ?」
メアリーは勢いよく立ち上がり、アンジェラに歩み寄った。
「先日、フェッロ国にご挨拶に行きましたよね。その時、去り際にフェッロ国の王子がつぶやいていたので」
「まさか第一王子のアルト様?」
「いいえ、第二王子のオリオン様です」
「……そう。アンジェラ、あなたはチョロインなんて言葉を使ってはいけないわ。それに、あなたはチョロインなんかではないわ」
「そうですか、わかりました。お姉さま、ありがとう」
ふわりと微笑み、アンジェラは「お邪魔いたしました」とメアリーの部屋を出て行った。
一人残されたメアリーはこぶしを握り締め、唸るようにつぶやいた。
「私の天使、アンジェラになんてことを……!! アルト、絶対許さない!!」
***
隣国の王子との婚約話がでたのはずいぶん昔だった。
鉄産業や宝石産業で潤っているが食料不足なフェッロ国は、農業が盛んなアルバ国と親交を深め、あわよくばアルバ国を手中に収めたいと思っていた。フェッロ国の思惑をしらないアルバ国王は、隣国と仲良く過ごせるとこの婚約話を楽観的に考えていた。
アルバ国には王子がおらず長女のメアリーは婿を取る予定なので、次女のアンジェラを嫁がせることになった。
両家の挨拶のためにフェッロの国を訪れた、アルバ国のウェルウッド王家は歓待を受けた。
和やかに話し合う親たちの脇で、アルトはアンジェラに静かに話しかけた。
「国のための結婚とはいえ、アンジェラ様にはご不快のないよう心がけるつもりです」
アンジェラは目を丸くして、アルトを見つめた。アンジェラが遠慮がちに口を開く。
「アルト様は優秀な方と伺っております。私は……周りに恵まれているばかりで。私、精一杯頑張りますから、至らない点があれば教えてくださいね」
アンジェラの無垢な笑みに、アルトは戸惑った。
「そんなに無防備で、だまされたらどうするのですか?」
アルトは思わず、アンジェラにたずねてしまった。
「だまされたら、悲しいですね」
困ったような笑みを浮かべて、アンジェラは答えた。
「それだけですか?」
「ええ」
不思議そうな顔でアルトを見上げるアンジェラに、アルトはため息をついた。
(なんて危なっかしいお嬢さんなんだ……)
気を抜いたら陥れられると、緊張して過ごしているフェッロ国での生活には無い、穏やかな空気にアルト王子は心を動かされた。
「具合が良くないのですか? 眉間にしわが寄っていますよ」
心配そうな顔でアンジェラはアルトを見つめている。
「大丈夫です」
アルトは(心配なのはアンジェラだ!)と思いながらも微笑み返した。
「アンジェラ。私たちは大人同士で話し合いがあるから、アルト様とゆっくり過ごしていなさい」
「はい。お父様」
ちょうどよいタイミングで、召使がアルトに声をかけた。
「アルト様、お茶の用意がととのっております」
「それでは行きましょう」
アルトが腕を出す。アンジェラは、はにかみながら、そっとアルトの腕に白く小さな手を添えた。
アルトとアンジェラがお茶を飲んでいると、第二王子のオリオンがやってきた。
オリオンは、「特製のパイがあるのでお出しいたしましょう」と言った。
まもなく、アンジェラの前にパイが置かれた。
「ありがとうございます。いただきます」
「まて、アンジェラ。毒見を……」
アルトが止める前にパイを一口食べたアンジェラは、顔を真っ赤にして汗をながしながら「とても、刺激的なお味ですね」と言う。フォークの動きが止まった。
「残されるんですか? お口に合いませんでしたか?」
笑顔で問いかけるオリオン王子に、アンジェラは首を横に振った。
「いえ……。これがオリオン様のお好きな味なのですね」と涙を浮かべながらアンジェラはパイを食べきった。
「オリオン?」
アルトがオリオンを睨みつけた。オリオンはひょうひょうと「アンジェラ様のお口には合いませんでしたか?」と楽しそうに言う。
「せっかくのお心遣いなのに……申し訳ありませんでした」
アンジェラは水を飲み、ふう、と息をついてからオリオンに言った。
「これから、よろしくお願いします」
微笑むアンジェラに、オリオンは口の端を上げて頷いた。
「それでは失礼します」
オリオンは去り際に、「チョロインが」とアンジェラにだけ聞こえる声で言った。
「アンジェラ様、あのようなことをされて怒らないのですか?」
「あのようなこと?」
「いえ、あの、パイの味が……」
問い掛けるアルトに、アンジェラはしょんぼりとして答えた。
「家族になるのに、味の好みが違うのは悲しいですよね……」
アルトは落ち込むアンジェラを見て、無邪気すぎて放っておけないと気が気でなかった。
***
婚約を決めた日から数日後、メアリーは一人、アルトの元へお忍びでやってきた。
「メアリー様、ぜひお会いしたいと言われましたが、何かありましたか?」
アルトは応接室でメアリーを迎えた。
「私の大事なアンジェラにふさわしい方か、もう一度お話をしたいと思いまして」
メアリーは笑みを浮かべたが、その目は鋭くアルトを見据えている。
「ご期待にそえればうれしいのですが」
アルトは愛想のよい笑みを浮かべ、メアリーの視線を受け止めた。
「ところで、オリオン王子はいろいろな言葉をご存じなようですね。チョロインだとか。」
「チョロイン? 下町の言葉でしょうか? オリオンは変装して下町に出かけることがあるようですから、その時に色々覚えてくるのでしょう」
「まあ、ずいぶん活動的な方ですのね」
メアリーは手に持っていた扇子を広げて口元を隠した。
「そうですね」
アルトは苦笑いした。
「アンジェラのことをおもちゃにするような方ではないといいのですけれど。私の可愛いアンジェラに何かしたら、私は許しませんからね」
アルトは、メアリーの笑顔に白い炎のような凄みを感じた。
「そのようなことがないよう、私も気をつけます」
アルトが手を差し出すと、メアリーは強い力でその手を握り返した。
「アンジェラを泣かせたらゆるしませんから。誰であっても」
***
結婚式を間近に控え、フェッロ国の王子をアルバ国の晩餐に招いた。
昼過ぎにメアリーがアンジェラの部屋を訪ね、アンジェラに聞いた。
「アンジェラ、オリオン王子のパイはとても刺激的だったと言っていたわね?」
「はい、お姉さま。オリオン王子は大人の味覚なのですね」
メアリーは一人頷き、ふと思いついた様子でアンジェラに言った。
「それなら、食事を出す時に、オリオン王子の分はオリオン王子好みの味付けにしてあげるのはどうかしら?」
アンジェラは目を丸くした後、花の咲いたような笑みを浮かべ何度も頷いた。
「それは素敵な考えですわ! オリオン様もよろこばれるはずです! さっそく料理人に伝えましょう!」
アンジェラは目を輝かせて、両手を胸の前で合わせている。
「料理人には私が伝えておくから、アンジェラは何もしなくていいわ」
メアリーは静かに微笑んでいる。
「わかりました。ありがとうございます、お姉さま」
そして、晩餐会が開かれた。
スープを毒見させるオリオン。
毒見係は一口食べ、顔を赤くしたがメアリーをちらりと見た後、「毒は入っていません」と言った。
スープを飲むと、オリオンはひどくむせた。
「なんだ!? この辛いスープは!! いったいどういうつもりだ!?」
立ち上がるオリオンに、アンジェラとアンジェラの両親は目を丸くしている。
「あの、以前お好きな味だと伺いましたので」
きょとんとしているアンジェラとアンジェラの両親は、お互いにきょろきょろと目を合わせ途方に暮れている。
メアリーだけは笑いをこらえていた。
一拍遅れて、アルト王子が笑う。
「お前の負けだな、オリオン」
「え? え? なにが起きたのですか?」
「さあ……」
アンジェラと、アンジェラの両親は、ただ戸惑っていた。
「こんな女とは家族になどなりたくない! 婚約を破棄するべきだ!」
オリオンが顔を赤くして吠えた。
「そうですね。婚約は破棄しましょう」というアルト王子。
「こんな国、滅ぼしてしまえばいい!」とオリオンが言うと、アルトはオリオンをねめつけてから口を開いた。
「アンジェラ様を娶るのではなく、私がアルバ国の婿になりましょう。フェッロ王国を出て行きます。いいかげん、フェッロ国には愛想が付きました。アンジェラ様は私がお守りします」
ウェルウッド王たちはアルトとオリオンを見比べた後で、静かに頷いた。
「優秀なアルト王子がきてくださるというのなら、我が国は歓迎いたします」
「俺たちを敵に回すつもりか?」
オリオンが声を荒げた。
「アルバ国の農作物に支えられているのはフェッロ国でしょう? アルバ国を滅ぼせば共倒れですよ?」
アルト王子は美しく微笑んだ。
ウェルウッド王とアルト王子は、フェッロ国で婚約を破棄し、アルト王子がアルバ国に婿入りする契約を交わした。フェッロ国は良い顔をしなかったが、アルト王子がフェッロ国の弱点を押さえていたため、アルト王子の申し出を断れなかった。
アルト王子はアルバ国に歓迎された。
「アンジェラ王女を幸せにしてくれ!」
「アンジェラ様を泣かせたらただじゃおかないよ!」
民たちの声が、アルト王子にも届いた。
「アンジェラ様は、愛されていますね」
「私、とても恵まれているのですわ」
アンジェラは可憐な花のような笑みを浮かべて、アルト王子を見つめた。
カクヨムに、改稿したものをのせてます。
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