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大正桜恋譚―恋と土俵と古書店―  作者: 明石竜


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第二話 週末の訪問

それから鬼丸さんは週に一度、稽古の合間を縫って翠雲堂を訪れるようになった。最初は相撲の資料探しが目的だったが、次第に私たちの会話は様々な話題に広がっていった。ある土曜日の午後、鬼丸さんは珍しく早い時間に店を訪れた。

「今日は稽古が休みなんです。それで、千鶴さんに見ていただきたいものがあって」

彼が差し出したのは、一冊の分厚いノートだった。

「これは?」

「祖父の日記を、わたしなりに整理してまとめたものです。技の解説や図解を加えました」

ページを開くと、几帳面な文字で技の名前と解説が書かれ、余白には詳細な図が描かれていた。

「すごい...これ、鬼丸さんが全部?」

「ええ。夜、部屋で少しずつ書き溜めています。いつか、これを本にして残したいんです」その時、私の中で何かが動いた。

「鬼丸さん、これ、本にしましょう」

「え?」

「私、活字の組み方を少し知っています。父の知り合いに印刷所の方もいます。きっと素晴らしい本になりますよ」

鬼丸さんの目が輝いた。

「本当ですか? でも、費用が...」

「大丈夫です。相撲ファンの間で売れば、きっと元は取れます。何より、これは残すべき価値のある記録です」

父も賛成してくれた。

「千鶴の言う通りだ。鬼丸さん、一緒に本を作りましょう」

こうして、私たちの新しいプロジェクトが始まった。毎週末、鬼丸さんは店を訪れ、私たちは原稿の整理や図版の選定を行った。父は内容の監修を、私は編集と校正を、鬼丸さんは執筆と図解を担当した。

「千鶴さん、この表現でいいでしょうか?」

「もう少し、一般の人にも分かりやすく説明した方がいいと思います。ほら、ここの部分とか」

「なるほど。では、こう書き直してみます」

作業の合間、私たちはよく近所の甘味処で休憩した。月見屋という小さな茶店で、ここの白玉ぜんざいが絶品だった。

「鬼丸さん、力士なのに甘いもの、食べていいんですか?」

 ある日、私は尋ねた。

「稽古で消費するカロリーが半端ないんです。だから、これくらいは大丈夫」

そう言いながら、鬼丸さんは小さな湯呑みで上品に茶を啜る。大柄な体に似合わぬ繊細な所作が、何とも微笑ましかった。

「千鶴さんは、なぜ家業を継ごうと思われたのですか?」

「父が病気がちになって。でも、それだけではありません」

私は白玉ぜんざいをゆっくり口に運びながら答えた。

「本が好きなのです。古い本には、今を生きる私たちが忘れてしまった何かが詰まっている気がして」

「分かります。わたしの祖父の日記もそうです。墨で書かれた文字から、祖父の熱意や、谷風関への敬意が伝わってくる」

同じものを大切にする者同士、私たちの会話は尽きることがなかった。

店の常連客たちは、私と鬼丸さんの関係を面白がって見ていた。

「千鶴ちゃん、良い婿殿が見つかったじゃないか」

近所の魚屋の主人がからかうように言った。

「何を言ってるんですか。鬼丸さんは、ただのお客様です」

私は赤くなって否定したが、本当にそうだろうかと自問することもあった。

鬼丸さんと過ごす時間は、確かに楽しかった。彼の真面目な性格、知識への探究心、そして何より、物事を大切にする心。全てが私の心に響いた。

でも、彼は力士だ。いずれ横綱を目指す男だ。そんな人と、古書店の娘である私が釣り合うのだろうか。

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