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(わたしが自分からバルコニーから飛び降りた……?)
バルコニーから転落したと聞いていたけれど、それはてっきり事故だと思っていたーー否、無意識の内にそう思い込もうとしていたのだ。
(けれど、それはどうして?)
考えてみれば、わたしは転落した場所すらエドモンドに尋ねていない。
『バルコニーから転落した』という事実だけ聞いて、ただそれだけで納得していたのはいささか不自然じゃないか。
ピタリと動きを止めて、考えこんでいるとグレイシアがわたしを覗き込む。交わった視線になんと答えようか考えあぐねていたその時、後ろから足音が聞こえた。
「エドモンド」
忌々しそうに姉が彼の名を呼ぶ。グレイシアとエドモンドは同じ年で、幼い頃から交流を深めていた。なのに彼が現れた途端に、姉は顔を顰めた。
「グレイシアお久しぶりですね。あなたがやって来たと聞いたので、王城から戻ってきました。屋敷を訪ねるのならば、前もって連絡を入れて下されば良かったでしょう?」
「確かになんの連絡もなく、突然屋敷を訪ねるのは無礼な行いでしたね。その件は謝罪致します。けれど、わたしは可愛い妹に会いに来ただけで、べつにあなたに会う気はなかったわ。宰相補佐として目が回るほどに忙しい日々を送っておられると聞いてます。でしたらわたしのことなんかお気遣いなく、どうぞ王城にお戻りになっては?」
「いえいえ。宰相補佐なんて所詮使い走りの仕事ばかりですよ。それよりアポなしといえど、せっかく妻の姉が屋敷を訪ねて下さったんです。ランブルン公爵家長女であるあなたをもてなしもしないで仕事に励むことなんか臆病者の僕にはとてもできませんよ」
「まぁ……。姉妹二人の内緒話に水を差すおつもり?」
「おや、僕がいると何かまずい話題でもあるんですか?」
表面上はにこやかにしているが、場の空気は急速に冷え込んでいるように思える。対立してどちらも引かない姿勢にわたしの背筋が震えた。
それを寒さゆえだと思ったのか、エドモンドは自分が羽織っていた上着をわたしに手渡す。
「まだ倒れたばかりで寒さは身体に堪えるでしょう」
慈しむ視線はひどく優しい。記憶を失ったと嘘をつく前にはなかった労わりの言葉。それを手放したくなかったからこそ、わたしは自分自身すら騙そうとしていたのではないか。
***
あれからすぐに姉は帰っていった。エドモンドも王城へと仕事に戻り、わたしは一人になった。
先程まで人といたからか、静寂が気になる。それを紛らわすために、本を読もうと思ったのだけれど、どうにも集中できず、結局すぐ閉じてしまった。
暇を持て余して、屋敷の長い廊下を歩く。
目的もなく、歩いても疲れるだけではつまらなかった。
壁に飾っている絵画を眺めることにも飽きて、わたしは二階の窓から外を見る。
(わたしは一体どこの部屋のバルコニーから落ちたのかしら?)
二階の部屋だとは聞いているが、詳細は教えられていない。エドモンドに直接尋ねてみようかと考えたけれど、彼が詳細を語らなかったことを思えば、なんとなく彼に転落時のことを改めて聞くのは気が進まない。
(それに本当のことを教えてくれるのかしら?)
彼は夫婦関係について度々嘘を言っている。もちろんわたし自身、彼に大きな嘘をついた手前、弾劾できるものではないが、彼の言い分のみ聞くのは危うい結果になるのではないか。
(結局わたしは自分の保身のことばかり考えているわね)
こんな卑怯な自分が嫌になる。話し合いもせずにただ逃げていてもなにもならないのに。
(……やっぱりエドモンドが仕事から戻ってきたら、直接聞いてみようかな)
今夜は早めに戻るから、一緒に夕食をとりましょうと言っていたから、もうそろそろ彼も屋敷に帰ってくるだろう。
ならばそろそろわたしは部屋に戻ろうかとしたその道中。通りがかった先で、どうにも気になる部屋があった。
その部屋は普段は使われていない客室だ。今までわたし自身利用した記憶もない。だというのに、どうしてかこの部屋が気になって、ドアに手を伸ばそうとすれば、背後から肩を掴まれた。
「……エドモンド」
「フィオナ。こんなところで何をやっているんですか」
振り返って彼を見る。穏やかに話し掛けられたというのに、掴まれた肩の力が強く、怒っているのではないかと思った。その証拠に口角は上がっているけれど、彼の瞳はちっとも笑っていない。
凍える眼差しが冷たくされていた過去の記憶を思い起こして、身が竦む。何を言われるのだろうかと怯えたが、意外なことに彼は黙ってわたしをエスコートするだけだ。
彼がなにも話さないのなら、わたしもそれに合わせれば、これ以上空気が悪くなることはないだろう。しかし、こうもあからさまに不自然な彼の態度にを目の当たりにしたからこそ、わたしはたどり着いた答えを口に出してしまったのだ。




