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「……まぁこればかりはフィオナの意志ですからね。断っても構いません」
「よろしいのですか!」
「構いませんよ。また違う形でリトライするだけです」
「……え?」
「僕はね諦めが悪いのですよ。だから早いうちにあなたが折れてくれることをおすすめします」
今日一番の笑みを向けるエドモンドにたじろぎそうになる。
(エドモンドってこんな性格だったかしら?)
わたしが知っている彼は、皮肉屋で意地が悪く、狡猾な男だった。
だからこそこんなにもストレートに自分の考えを伝えようとする彼が別人のようで、わたしをからかっているのではないかとさえ思えてくる。
(何を考えているの?)
今まで積み重なってきた疑心から、捻くれたことを口にしてしまう。
「結局わたしの答えなんてどうでも良いってことですか?」
「ーーそんな訳ないでしょう!」
彼は強い力でわたしの手を自分の胸に引き寄せた。彼の鼓動は驚くほどに早い。
「エドモンド様……」
「様は付けなくて良いです。フィオナには敬称抜きで呼んでもらいたい」
そんなこと今まで言われたことがなかったのに。
躊躇いがちに言葉を詰まらせると、彼は懇願するようにわたしの名前を呼んだ。しばらく見つめあった末に、わたしは押し負ける形で彼の名前を口にした。
「……エドモンド」
名前を呼ぶとバクリと心臓の音が大きくなる。彼の心を覗き見ているようで、聞かされているわたしの方が気恥ずかしくなる。
「どうやら僕は未だあなたの前では格好をつけたがるようだ……けれど、どれだけ外面を取り繕っても、あなたに名前を呼ばれるだけで嬉しいと思っています。そのことはお分かり頂けたでしょうか?」
臆面もなく言うものだから、こちらが照れてしまう番だった。じわりと頬が赤くなると、彼は嬉しそうに口端を綻ばせた。
「わたしばかり照れているのだと」
「フィオナはただ異性に対して免疫がないだけですよ」
「それはまぁ、そうなのかもしれませんが……」
「けれどそれは僕にとってはかなり都合が良い」
ん? 今さらりと不穏なことを言わなかった?
身の危険を感じて逃げようとすれば、すかさず腕を掴まれてしまう。
「あの、エドモンド?」
「ああ、失礼。貴女が逃げようとなさるものだからつい」
呆気なく放されたことに安堵する。露骨に胸を撫で下ろしたわたしに彼は「随分と分かりやすいですねぇ」としみじみと呟いた。
「面白がらないで下さい」
キッと眦を上げて睨みつければ、彼は降参とばかりに両手を上げる。
緩む空気ーーこれがエドモンドが意図的に作ったものだとわたしは気付かなかったのだ。
***
あの後すぐに、エドモンドは屋敷を訪ねてきた彼の部下達に引きずられるようにして、王城に連れ去られていった。
夜には戻るとエドモンドが言うと、彼の部下達からは「どんだけ仕事が溜まっていると思っているんですか?」「夜どころか数日は帰れませんからね」「俺達だってねぇ、帰りたいんですからね!」と捲し立てられていたから、彼らの言葉を鵜呑みにするのならば今夜は屋敷に帰ってこれないのだろう。
(まさかあのエドモンドが仕事を休んでいただなんて)
王城で次期宰相候補のエドモンドをやっかむものは多い。いかに彼が優秀であろと、人当たりを良く振る舞おうと、彼が『公爵家の次男』だというだけで彼の実力が『親の七光り』だと吹聴されてしまう。
彼はそれを鼻で笑って「身をもって僕の優秀さを骨の髄まで分からせてやりますよ」と言って、その言葉通りに朝も昼も働き詰めだった。そんな彼がわたしのために休んでくれていたことが意外だった。
(今夜はわたし一人か……)
既にわたしは夕飯を終えて、お風呂にも入った。後は寝るだけなのだが、少しの間くらいエドモンドを待つべきなのだろうか?
チラリと部屋に一つしかないベッドに視線を落とす。
(このベッドで寝たら良いのかな?)
メイドに案内された部屋は、今までわたしが使っていた部屋ではなく、エドモンドの私室であった。だから今夜わたしが眠るとしたら、彼が普段使っているものだ。なんだかドキドキしてベッドから視線を外す。
彼の部屋はインテリアはほとんど置かれていない。その代わりに壁一面もある大きな本棚には所狭しといわんばかりに本が敷き詰められている。
時間もあることだからと何冊か取ってみると、どれも専門的な内容でわたしには難しい。これでは暇を潰せそうにないなと思っていると、部屋の扉からノックの音が聞こえた。
「はい」
「……良かった。まだ起きていたのですね」
部屋を訪ねてきたのはエドモンドだった。彼は安堵した様子で胸を撫で下ろすと、真っ直ぐにわたしに近付く。
「ただいま、戻りました」
「お、おかえりなさい」
「ふふ。なんだか新婚さんみたいなやり取りですね」
「……まだ仕事があるのでは?」
思わぬ不意打ちに顔が赤くなりそうで、慌ててそっぽを向く。
「そんなもの休憩なしで終わらせてきましたよ」
「なんで、そんな無茶を……」
「だって約束したでしょう? 今夜には帰るって」
なんてないことのように言ってのけるが、彼の部下達も数日の泊まり込みを覚悟するほどの仕事量をこなしてきているのだ。
「……クマが濃くなっています。今日は早めに休んだらどうです?」
「そうですね。さすがに僕も疲れました。入浴を終えたら、フィオナと眠るとしましょう」
「え?」
どうやらわたしは墓穴を掘ってしまったらしい。




