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放心状態のまま医師の質問に答えていく。医師の隣には夫も立っており、なんだか気まずい。
(わたしのことなんかいつも通り放っておいてくれたら良かったのに……)
そうすれば、少しは平静を取り戻せただろう。
なのに、彼はじっとこちらを見つめていた。その熱烈な視線に内心たじろぎながらも、俯いたまま医師の質問を答え続ける。
「……では、ご自分のお名前も分からない状態ということでよろしいですかな?」
「ええ、その通りです」
とりあえず下手に何か覚えているよりも、全て知らないほうが、辻褄が合わないということを避けられるのではないかと思ってそのように答えた。
専門的な知識を持っている医師を相手に、わたしのつたない嘘で本当に欺くことができるのかという不安で、表情が硬くなる。しかし、それが幸いにも記憶をなくした不安からの表情だと捉えられたみたいだ。老年の医師はこちらを安心させるように微笑む。
「記憶は失っている様子ですが、身体的にはなんの問題はございません」
「妻の記憶は戻るのでしょうか?」
「……そればかりは心の問題になりますのでわたくしの口からなんとも申し上げられません。ただ、記憶は不思議なもので何かキッカケさえあれば、すぐに思い出すのかもしれませんぞ」
「そうですか……」
そのまま何か考えこむ夫に「力不足で申し訳ありません」と医師が頭を下げて、部屋を退出していく。続いて彼も部屋を出ていくのだろうと思ったのに、意外なことに彼は再びベッドに腰を下ろす。
「あ、あの……」
「失礼。まずは名前から教えておきましょう。フィオナ・アシュレイ。それがあなたの名です」
知っています、とは言いづらい。とりあえずぎこちなく頷けば、彼は説明を続けてくれた。
「僕の名はエドモンド・アシュレイ。あなたの夫です」
「夫……」
「ええ、そうです。僕が、あなたの『夫』です」
なんだろう。今なんか語気が強くなかった?
冷静沈着な彼らしくない反応に違和感を抱く。
「あの、どのような経緯でわたし達は夫婦となったのでしょうか?」
経緯はもちろん覚えているが、これは確認だ。しかし彼はわたしの思っていなかったことを言ってのける。
「…………僕の希望であなたを妻に迎えたんです」
「は?」
彼の声は密着する距離でなければ、そのまま聞き逃してしまうほどに小さなものであった。予想だにしていなかった彼の告白に動揺し、つい彼の方を向いてしまう。
彼は耳まで赤くなっており、とても嘘を言っているようには見えない。思いがけない告白はまだ続く。
「僕は幼馴染であるあなたのことを子供の頃からずっと好きだったんです。けれど、その当時の僕は子供で、好きな子を前にすればどうしていいか分からず、いつもあなたを泣かせてしまっていた」
「そ、そうなんですね」
「あなたに嫌われていると分かっていた。だけど、僕はどうしてもあなたを、フィオナを愛していたんです。だからあなたの実家のランブンルン公爵家に再三フィオナと結婚させて欲しいと頼み込んでいました」
「え! そうなんですか?」
「ええ。許可を頂くのにとても苦労しました。しかしその甲斐があり、とうとう結婚は許可され、一年もの間、結婚生活を続けていたのです」
「そうだったんですね……」
なんだろう。怒涛の展開に馬鹿みたいな相槌しか打てていない。たじろぐわたしに彼はそっと手を握る。
「フィオナ。僕はあなたを愛しています。あなたはこうして、僕に手を握られるのは嫌でしょうか?」
「い、嫌では……ありません」
「良かった!」
言われてみれば確かにエドモンドに触れられること自体に嫌悪感を抱いていない。そのことを正直に伝えると彼は満面の笑みを浮かべた。
そしてただ握っていた手の間に彼は指と指を絡めていった。
(なんで、こんなに恥ずかしいの?)
だって彼とはもう子を授かるための行為をしている。それなのに、ただ手を触れられることがこんなにも気恥ずかしいものだとは思ってもいなかった。
(エドモンドに想いを打ち明けられたから?)
我ながらなんて単純なのだろう。けれど、エドモンドと触れ合う行為なんて必要最低限だったし、単純に男性が意図的に触れられることに対して免疫がないのだ。
「……可愛い」
先程まで耳まで赤くしていたくせに余裕そうに微笑む彼がなんだか憎たらしい。
子供っぽく顔を背けて、乱暴に指を引き抜けば、想像していたよりも簡単に手が離れる。
「ねぇ、フィオナ。身勝手な申し出だと分かっています。けれど、その上であなたと交渉したい」
「……何をです?」
「僕とあなたの関係をどうか最初からやり直して欲しいのです」
「……」
切実な顔で告白した彼はわたしとは違って嘘がないように思える。だからこそ、どう答えて良いのか分からなかった。




