17
両親との対面は短い時間で終わった。もとより倒れたわたしが本当に元気か直接顔を見たかっただけだとこっそり姉に耳打ちされる。
本当はバルコニーからの転落を叱責されると思っていたから、肩の荷が降りた気分だ。
時間も余ったので、久しぶりに一人で庭園を歩く。角を曲がろうとしたところで、思いがけない人物に声を掛けられる。
「やぁ、フィオナ。久しぶりだね」
「……え。シリウス殿下。どうしてここに居るんです?」
まさか実家に帰って、王族であるシリウスに出会うとは思わなかった。すっかり油断していたせいで、つい彼の名前を呼んでしまう。
(あぁ。記憶喪失だっていう設定なのに)
迂闊な自分の口を慌てて閉じる。彼はそれを気にする様子もなく、爽やかに微笑んだ。
「グレイシアに会いに来たんだ」
「……その予定はお姉様に窺っていませんが」
「うん。アポもなしに来たからね。だって予定をわざわざ告げるとグレイシアは僕から逃げようとするだろう?」
頬を掻いて困ったように肩を竦めているが、そんなもの文字通りポーズに過ぎない。姉への執着が年々重くなっている様子の男に、わたしは苦笑した。
「相変わらずですね」
「うん。何年経とうと僕の愛は変わらないどころか大きくなる一方さ」
片目を瞑っておどけてはいるが、引く気はないらしい。
「それを言えばフィオナだって『相変わらず』エドモンドに惚れているんだろう」
「……え?」
待って。今さらりと重要なことを言わなかったか。
その話を詳しく聞こうとしたのに、彼は視界の端に姉を見つけたらしい。さっさとわたしに別れの言葉を告げて、一目散に姉の元に向かっていく彼に、呼び止める声は届いてはいない様子だ。
伸ばした手をダラリと下げる。そして呆然としているところに、後ろから肩を叩かれた。
「……夫が必死に仕事をしている間に相引きするだなんて、フィオナは随分と悪い女ですね」
久しぶりに聞いたエドモンドの声はひどく禍々しく、怒りを露わにしていた。そして彼は迷いなくフィオナの手を取り、そのまま引っ張っていく。早足で歩くエドモンドに付いていくのがやっとの状態で、息を荒げるがそんなこと彼の知ったことではないらしい。
「エドモンド、どこに行くんです?」
「屋敷に帰ります。そしてしばらくあなたを出しません」
「な、なんで?」
「なんで、って……。本気で聞いています? 不貞していたじゃないですか! こんなの僕に対する酷い裏切りだ」
「不貞なんてしていません!」
「だってあなたの想い人と密会していたではありませんか」
「そんな人と会っていないでしょう?」
「はぁ? この後に及んでそんな言い訳通用すると思っているんですか?」
言い合っている内に、彼が用意した馬車に辿り着く。
強引に押し込まれて、二人きりの状態になると隣に座るエドモンドとの距離が妙に近いことに胸がドキリとした。
(なんでこんなに至近距離なの)
ピタリと横に座ったエドモンドは逃亡防止といわんばかりに、未だわたしの手を繋いでいる。
つい先程シリウスから自分の想いを勝手に吐露されたことで、やたらエドモンドを意識してしまう。繋がれた掌に溜まった汗が、彼に知られているのかと思うと、どうにも落ち着かない。
(わたし、本当にエドモンドのことが好きだったの?)
そんなこと記憶の片隅にもない。タチの悪い冗談じゃないだろかとすら思える。
「エドモンド。逃げませんから手を離して下さいませんか?」
「僕に触れられるのは嫌とでも?」
据わった眼は彼の疲労が滲み出ているのも相まって妙に迫力がある。刺々しくこちらを睨みつけているが、それ以上に気になることがある。
「嫌ではありません。誰もそんなこと言っていないでしょう」
彼の頬を撫でた。普段であれば女性が嫉妬するほどの滑らかな頬はカサついていて、目の下のクマも濃い。スカイブルーの瞳は充血し、痛々しく見える。どれだけ仕事に明け暮れていたのだろうかと思うと、呑気に実家に行く手紙を送ってしまった自分が恥ずかしい。
「……寝ていないのではありませんか?」
労わるようになるべく優しく撫でる。そしてそのまま彼の頭を自身の膝に誘導する。思いの外すんなりと頭を膝に乗せることに成功したのは、それだけ彼の身体が疲労で限界に近いからか。
「な、何をするんですっ!」
「話し合う前に少しだけ休んでください。疲れている時に何を話そうと、きっといい結果にならないでしょう」
「そ、そうやって、時間を掛けて言い訳を探す気ですか」
「ほら。もうこの時点で、後ろ向きなことを口にしているじゃないですか。話はちゃんと屋敷に戻ってからすると約束します。拒否もしません。下手な嘘も吐きません。だから今は休んでください」
手で彼の眼前を覆う。まだ何か言いたそうにモゴついていたが、視界が暗闇になったことで眠くなってきたらしい。膝に乗せている頭が重くなり、そしてそっと手を外すとすっかり寝息を立てていた。
眉間に寄っていた皺をこっそり伸ばし、彼の髪を撫でていると、次第にわたしも人肌の暖かさに瞼が重くなっていく。
とろとろとやってくる眠気。微睡むその気持ち良さに抗えずに眼を閉じる。そうしてわたしは夢の中で過去のことを思い出すのだった。




