14(side:エドモンド)
フィオナに触れられるのは僕にとって天上の喜びだ。しかし彼女からすれば、自分が嫌っている男に身体を差し出さなければならないのは、苦痛以外のなにものではないものだろう。
そう考えて必要最低限の接触で抱くようにしていた。
そんな配慮をするくらいであれば、最初から触れない方が良い。フィオナと結婚できたのだから大人しくそれで満足すべきだ。
頭ではそう理解している。けれど、どうしても彼女を求めてしまう。
(フィオナが好きだ……)
ーー結婚して横にいてくれるだけで良い。
最初はそう思っていたくせに、いざ彼女が隣にいると僕を見てほしいし、うつむかないで笑ってほしい。少しで良いから僕のことを好きになってほしいと願うようになった。
(……なにを愚かなことを。フィオナが想いを寄せている相手はシリウス殿下なのに)
僕じゃない。フィオナは僕のことを好きになんかならない。
心の中で何度も繰り返し言い聞かせたのは、自分への戒めのため。
夫婦として近くになった距離に勝手に勘違いしないように、日に何度も言い聞かせていても、時折どうしようもないほどに彼女への気持ちが溢れそうになった。
(フィオナは絶対に僕を好きにならない)
ーーどうして僕を見てくれないんです、と直接詰め寄りたくなる日もあった。
みっともなく自分の気持ちを全てぶつけて、汚い部分を曝け出してしまいたい。
あんな性悪殿下のことなんか諦めてください、と懇願したい。
(そもそも、なんでフィオナはシリウス殿下に惚れているんだ)
確かに見目も良いし、女性には紳士的だが、性格は相当『アレ』だぞ。
彼の性格のことくらい殿下と親しかったフィオナであれば、当然知っているはずなのに……。
(それに殿下は昔からグレイシアを好いているじゃないか)
自分の姉を希っている男なんかいい加減諦めて、僕のことを見てくれたら良いのに。
そもそもフィオナは僕と話す時はうつむいてばかりいるくせに、殿下と話す機会があれば、頬を染めて熱い視線を送っているのが気に食わない。
僕が手を伸ばせば届く距離に彼女はいる。
それは紛れもない事実で、僕の執念が実らせた結果である。
だから彼女が自分以外の他の誰かのことを想っていても、それで良いと諦めていたはずだった。
なのに彼女に触れるたびに自分の欲が膨れ上がっていく。
(……フィオナの想い人がシリウス殿下でまだ良かったのかもしれない)
グレイシアを心の底から好いている殿下であれば、間違ってもフィオナの想いに応えることはないだろう。
そう確信しているから、まだ堪えることができた。
フィオナは僕を愛さない。
だけど彼女は婚姻を結んでしまったことで、僕に人生を縛られている。
一生僕の横にいるのなら、彼女に愛されない事実から目を瞑ろうと思ってはいた。
ただでさえフィオナは僕を嫌っている。そんな相手に想いを告げられたとしても、きっと迷惑なだけだ。
そんなことくらい分かっている。
だから大人しく彼女が抱いている殿下への想いが小さくなることを虎視眈々と待っていた。
けれど、どれだけ僕が健気に待とうと彼女は殿下への恋心を捨てられないようだ。
このまま待っていようと彼女は殿下への想いと共に一生を終えてしまうのではないか?
そう思うと気がおかしくなりそうだった。
愛しているからこそ、他の男のことをいつまでも好いている彼女が憎らしく感じる時がある。
(僕と結婚して、人妻になったのだから良い加減諦めたら良いのに)
どうせ殿下がフィオナの想いに応えることはない。だが仮にフィオナが諦めたところで、彼女は僕のことなんか好きにはならないのだろう。
彼女のことが好きなくせに、他の者に恋慕している彼女に苛立って勝手に八つ当たりしてきたのだ。こんなにも性格が悪く、陰険な男。好かれようはずがない。
長年フィオナに抱いていた恋心はドロドロに煮詰まり、決して美しいものとは言えないだろう。
本当に愛しているのならば、いっそのこと解放してやるべきなのかれもしれない。
どうせ自分ではフィオナを幸せにしてやれないのだから、せめて自由くらいは与えてやるべきなのだ。そう理解していても、そのことを考えるだけで頭がひどく痛む。
(だが自分の妄執に彼女の一生を付き合わせてしまうのは可哀想じゃないか……?)
ふと頭に過ぎるのは僕の前でうつむいてばかりいるフィオナの姿。
彼女は僕がいるといつも困ったように下を向く。
その姿を見るとみすみす彼女を不幸にしている罪悪感から胸が痛んだ。
ーー本当に彼女を愛しているのならば、手放すべきじゃないだろうか……?
他のことであればすぐに決められるはずなのに、フィオナのことになると女々しく悩んでばかりいて、ろくに眠れない日々が続く。
そんな時になんの偶然か僕は『魔女の秘薬』を手にしてしまったのだ。
***
(嗚呼、こんなもので……)
自分の掌にスッポリと収まっている『魔女の秘薬』を握り締める。美しく装飾された硝子瓶の中にあるその薬の効能は眉唾ものだ。
本来の自分であれば、鼻で笑う程度のもの。それを自分の汗で滑り落とさないようにぎゅっと掴んでいるのだから、なんて愚かな存在に成り下がったのだろうと思う。
(第一、こんな得体の知れないものフィオナに飲ませようなんてどうかしている)
そっと瓶の蓋を開ける。少し薬草の匂いはするが、きつくもない。ハーブティーに混ぜると気付かれないのではないかと思うほど。
その事実に気付いて、グラグラと理性が揺れる。こんなものに頼るなんてどうかしている。けれどその薬の効能はどこまでも自分に都合が良いもので頭を悩ませた。
ーーこれを彼女が飲めば……。
もし効能が本当であったとしたらと思うとどうにも踏ん切りが付かず、諦めきれなかった。
甘美な誘惑は日に日に理性を溶かす。
眠れないほどに頭を悩ませて、ほんの少し睡魔に負けると夢の中に現れるのは、薬の効いた彼女の姿。それに驚いて飛び起きる。
心臓がバクリバクリと音を立てて、慌ただしく鼓動していた。
(……僕は何を考えている?)
冷静になろうと自分の部屋を抜け出して、フィオナが眠っている部屋に音を立てないようにドアを閉めて、こっそりと入る。
ここ最近では薬を持っている後ろめたさから、ろくに彼女の顔を見ていなかった。深夜だから、寝つきの良いフィオナのことだ。今の時間なら深い眠りに落ちていることだろう。
だから、今日は彼女の寝顔を見て、すぐに自室に戻ろうと思った。
寝ているかもしれない彼女の部屋に入ると、予想通り彼女は眠っていた。いつもであればフィオナが起きないように、こっそりと寝顔を見て立ち去っていたのに、今日はどうしてか気付いたら彼女の柔らかい頬を撫でてしまった。
まろい感触は楽しむと、ふにゃりと彼女が微笑む。まるで警戒心のないその微笑みはずっと自分が欲しかったものだ。
初めて会った時以来、自分に向けられてこなかった笑みが今ようやく向けられているのだという事実に、ゴクリと喉を鳴らす。
(彼女が薬を飲めば、フィオナの心が手に入るのではないか?)
甘い誘惑が強烈に自身を揺さぶる。
頭を横に振ってその誘惑に抗おうとしても、彼女の微笑みが頭から離れない。
そして数日の葛藤の末、僕は愚かにもとうとう欲望に負け、彼女に薬を飲ませてしまったのだ。




