芋煮戦争今昔
毎年秋、秋の芋煮をいかに作りいかに食べるかという主義主張は、各々の地域色を反映しながら、我々こそが正統であるという信条のもと、終わりなき戦いを繰り広げてきた。
現在最も宣伝に成功し全国的にも強い影響力を持つ、牛肉を用いたしょうゆ味の山形式、100万都市のスタンダードとして牙城を築き上げた、豚肉にみそ味の宮城式、地元でよく食べられる鶏肉を採用する方向性に活路を見出した秋田式、南部せんべいやほうとうを入れてその一杯を完全なる1食の食事として確立することを目指した岩手式、などなど。今後も全てのレシピは、互いに交わることなく譲歩し合うこともまた無く、秋が訪れるごとに我こそはと戦い続けるのだろう。
かく言う私は居住地を理由に福島式、ことに会津式の、「きのこ山」と呼ばれる芋煮を作る。おっと、一応断っておくが有名なチョコレート菓子の「きのこの山」ではない。
ただでさえ福島・会津勢は劣勢の芋煮戦争。その上きのこたけのこ戦争にまでちょっかいを出してむざむざ死を招き寄せるだけの2正面作戦をやるほど私は戦闘狂ではない。
話を戻そう。会津式のきのこ山は里芋とネギ、ゴボウの他に、天然のヒラタケかもしくは化け物のようにデカい山ナメコをたっぷり入れる。肉は豚肉で、みそ味の味付けだ。これを食べるとだんだん冬だなと実感がわいてきて、頭の隅の方に追いやられていた車のスタッドレスタイヤへの交換をちゃんとやるかと思わされるのである。
さて、もはや開戦理由も忘れ果てながら戦い続ける我々は、そもそもなぜ芋煮を食べるのだろうか?「そこに里芋があるから」などジョージ・マロリーのような理由ならカッコいいが(カッコいいか?)、芋煮文化の根っこにはもっと真剣でのっぴきならない事情がある。
そも、里芋とは南国うまれの植物である。タロイモというイモの名前を聞いたことはあるだろうか?タロイモとはまさに、南国で栽培品種として確立されたばかりの里芋なのだ。
タロイモは石器時代に、航海技術に長けた南の島の民とともに全世界に拡散したが、最も北へ海を越えてやってきたのがまさに里芋なのだ。
里芋は日本に入って来て以降は、土地ごとに固有の品種を生み出しながらさらに北上を続けた。九州を越えて近畿を通り、関東を北進し続け、そして、ついに東北の地までたどり着いたのだ。
しかし、里芋はここでついに、熱帯うまれの植物としての植物の限界に直面することとなる。
寒く厳しい東北の冬を越すことが難しいのだ。
種イモとして厳重な防寒対策をすれば確かに次の年の春に植えることはできるが、食糧として貯蔵することには限界があった。どうしても寒さで芋の細胞が壊死し、そこから腐敗してしまうのだ。
栽培そのものは難しくなく、とくに東北日本海側に訪れるフェーン現象による灼熱の夏は里芋の栽培には好都合だった。となると、東北における里芋栽培は、種イモは確保できるし栽培もできるのだが、冬には寒さに耐えられず腐る、という条件と向き合うことになるのだ。
もうお察しの方もおられるかと思う。作るには作れるが冬には腐る、ということであれば、里芋が採れたら秋のうちになるべく食べ、カロリーを体脂肪に変えて冬をやり過ごすことが、東北の地では賢い里芋活用術なのだ。全ての芋煮はここから出発している。すなわち寒さで腐る前に、みんなで集まって食える限りの芋を食う。それが芋煮の原型なのだ。
時代が下り各地方で芋煮の料理法が確立されると、今日につながる地方色豊かな芋煮ができ始めた。昭和からは地域おこしとしても活用され、直接的にはそれが芋煮戦争勃発の引き金となった。
乱暴に言えば芋煮戦争とは戦争経済の一形態であり、裏で陣営を問わず鍋を貸与するキャンプ場や公園、また食材を売るスーパーや直売所などはまさに、メシの商人なのだ。我らはみな、地元愛の名のもとに踊らされている。
現在最も熾烈な戦場となっているのは、蔵王を境とした山形・宮城の両県である。先んじてすぐれた宣伝でイメージを確立させた山形式と、兵力で遥かに勝る宮城式は、今後も終戦の機会を得ることは無いだろう。ただ、地元のプライドゆえに。私の所属する福島勢は、宮城式、山形式の酸鼻極まる戦場からはひとまず離れ、独立独歩、コミュニティの内側でのレシピ充実を図っている。時折山形式が飯豊連峰を越えて喜多方方面へと進軍し、伊達市から宮城式の浸透作戦を受けることもあり、影響が全くないとは言わないものの、比較的地域の独自性は保たれている。
近年ではむしろ、遠交近攻の趣も出てきており、福島県にいながらにして秋田式をまれに見かけるようになった。秋田式もきのこが入るパターンがあり、会津式のきのこ山との親和性はそれなり以上にあるものと思われる。
さらに、各地方の特色が詳細に紹介されるようにもなり、東北以外の地域からは、「どこの芋煮もみんなおいしそう」という意見すら散見される。戦争が無為になり意味を失くしたあと、そこには産業の殻を脱ぎ捨てた真なる文化が残るはずだ。その一点において、「みんなおいしそう」の声は有意義であると信ずる。
しかし、ここ数年、芋煮という文化そのものを滅ぼしかねない問題が急拡大している。
里芋が採れないのだ。
里芋の育っている場所をみたことがある方はわかるはずだが、里芋の葉はとても大きい。そして葉全体に撥水効果があり、雨が降ると美しい水玉が現れる。
上記の特徴はどちらも、里芋が十分な降雨のもとでこそよく育つことを示唆している。だのに、近年夏の間の雨は少ない。カラ梅雨からカンカン照りに繋がるような夏の気候では芋煮の主役たる里芋が順調に育つことはない。
今年も夏の降水量は多くなく、それに引きずられて私の身の回りで里芋を作っている人はみな、芋のサイズが小さいことを話題に出している。
この秋結局、南東北の芋煮は肝心の芋が少ないことを受け、盛り上がりきらないままにシーズンの終わりを迎えた。
これが1年だけで終わればそれは笑い話だが、2年、3年と続けば、東北の芋煮文化そのものが風化していくことになりかねない。戦争どころではなくそれぞれの芋煮文化圏が消滅する可能性があると言えば、それなりに深刻さを分かっていただけると思う。
我々は岐路に立たされている。再び地元の流儀を背負い、堂々と戦うことはできるのだろうか。山形VS宮城の戦いを眺め、時折飛んでくる流れ弾を鍋のフタでいなしながらきのこ山をこしらえ、北東北勢とともにのんべんだらりと秋の休日を過ごせる。そんな日を私は待ちわびている。
終盤に書いたことは個人的に結構真面目に心配している。本当に渇水により里芋の収量が下がっているからだ。
来年こそは、まともな梅雨に恵まれ秋に芋煮が気軽にできますように。そうして山形勢と宮城勢の総力戦を高みの見物をしながら、いや、会津のきのこ山が一番うめぇと能天気なことを言っていたいものである。




