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第68話 陰謀家たちの夜

「猊下……ロドリコ猊下」


その呼びかけに、私は書類から視線を上げた。

教皇庁において、重要文書の集積地は一つしかない。それは私の執務室だ。


分厚い報告書の束。書式を見ればどの部署からのものかがわかる。

複数の部署から同一の事象についての報告など、本来なら同時に届くことなど滅多にない。


「……奇跡の報告が、同時に寄せられるなど、前例があったか?」


問いかけると、向かいに立つ奇跡調査官は一瞬だけ言葉に詰まり、慎重に口を開いた。


「記録上は、ほとんどありません。複数地域での同時発生は、教会草創期を除けば……」


「つまり、異常というわけだ」


「はい。ただ……」


調査官は言いよどみながら続けた。


「ここまで起きるということは、本物の神の御業の可能性も、否定はできません」


その言葉に、私は思わず口角を歪めた。


奇跡。

この教会において、最も価値があり、最も扱いやすい資源だ。


奇跡が起きれば、人は信じる。

信じれば、金が集まる。

金が集まれば、権力が回る。


奇跡とは神のものではない。

運用するのは、常に人間だ。


「誰かが仕込んだのだろう。この前の『聖像が赤い涙を流した』件のように」


私は聖職者ではあるが、敬虔な信徒というわけではない。

神の存在を否定するほどではないが、全面的に信じるほど純粋でもない。


奇跡の大半は、意図的に作られる。

何者かが何かの目的を持って。そう思うのが自然だ。


「では、順に報告します」


調査官が一枚目を読み上げる。


「最初は、聖バルク修道院からです。

 この冬、修道士が例年に比べて風邪をひきにくくなったとのことです」


私は眉をひそめた。


「……それは、奇跡なのか?」


「ノーキン院長によれば、バームベルク侯爵の訪問の際に、出入りの商人に神がお告げを受け、風邪を引かなくなる健康法を授けたそうで」


神は、健康管理の指導までなさるのか。


「ただの生活改善だろう。具体的にはどうなんだ?」


「はい。あそこの修道士は自らの肉体を誇示するために上半身裸になります。それは、あの修道院で出されるプロテインという飲み物の副作用で脱いでしまい、そのために風邪をひいていたそうです」


「意味がわからない。そもそも脱がなければいいだけの話だろう?」


「そうなのですが、神の健康指導があってからは、体が暖かくなる食材を使う様になり、脱いでも風邪を引かなくなったそうです」


「脱がなくなったんじゃなく、脱いでも大丈夫になったんだな……理解も共感もできないが理解をしてしまった。……次は?」


「次は、ポエム修道院です。侯爵の滞在中、院長が神より啓示を受けたと」


「ほう」


「『詩は、相手に伝わらなければ意味がない』と」


私は思わず沈黙した。


「……神が、ポエムの添削を?」


「報告書によれば、その後、修道院の詩は非常に簡潔になり、巡礼者からの評判も改善したとのことです」


神は編集者だったのか。的確な助言を得られるとは幸せなやつめ。


「……他には?」


「マチルダ女伯の領民からです。侯爵一行を足止めするために落とされた吊り橋が、翌朝には立派な石橋として復旧していたと」


私は背もたれに体を預けた。


マチルダ女伯。

私が直接、バームベルク侯爵の足止めを命じた相手だ。


“教皇聖下のお望みである”

そう偽り、侯爵に試練を与えさせた。


だが結果はどうだ。


吊り橋は落ち、彼女の居城に孤立させる。足止めは成功した……はずだった。

それが、一夜にして石橋。


神が橋を架けた?

そんな馬鹿な話があってたまるか。


「……話にならんな」


私は書類を閉じ、調査官を下がらせた。


だが。


胸の奥に、わずかな不安が残る。


バームベルク侯爵ハインリヒ。

彼を破門に追い込み、領地を混乱させ、その隙に彼の領地を乗っ取る。

完璧な計画だった。


だが、すべてが裏目に出た。陰謀は失敗に終わった。


「奴には……神がついているのかもしれない」


思わず、そんな言葉が口をついた。


その瞬間。


「どうしたんだい、そんなに思い悩んで」


背後から、軽い声がかかった。


振り向くと、そこにいたのは――

バームベルク侯爵の護衛騎士。ゴリマッチョのゴッツという名前の騎士がいた。


「……ジェーンか。冗談はよせ」


ゴッツは、くすりと笑った。


次の瞬間、筋骨隆々の騎士の姿が歪み、溶けるように変わる。

現れたのは、妖艶な微笑を浮かべる女。


百面相のジェーン。

帝国でも指折りの女スパイだ。


「珍しいね、ロドリコ。陰謀家が、不安そうな顔をしてるなんて」


この女は、かつて帝国第一皇子に取り入り、帝国を乗っ取ろうとした。

だが肝心の皇子がアホだったため、廃嫡され、計画は失敗。流れ着いた先が、ここ聖都だった。


野心に忠実で、危険な女。

そして私は、この女と関係を持っている。


聖職者である以上は結婚はできない。

だが欲望まで捨てる気はない。


「バームベルクの件は失敗だな」


私が言うと、ジェーンは軽く笑った。


「そうだね。でもさ」


彼女は机に腰かけ、その長い足を組む。


「あの侯爵、周囲に幸福をもたらすんだよ」


彼女は護衛騎士に変装して同行していた。

書類よりも、報告よりも、近くで。


「仕込みじゃない。計画でもない。ただ……なぜか結果だけが、良くなる。そして周りに幸せをもたらしてくれるのさ」


私は黙り込んだ。


報告書の内容と、彼女の証言。

一致している。


「……本当に、神がついているのかもしれんな」


「それでいいじゃないか」


ジェーンは、愉しそうに笑った。そして彼女は優しく私の顔を指でなぞった。


「侯爵位なんて小さい。教皇冠が転がり込んでくるかもしれないんだよ。これもあの童貞侯爵のおかげかもしれないよ」


若い教皇は、最近、退位を仄めかしている。

私にとっては一度は諦めた教皇冠。


だが……

機会は、再び巡ってきたのかもしれない。


「私が教皇になれば……」


「アタシは?」


「……教皇の愛人か」


「違うよ」


ジェーンは、ゆっくりと微笑った。


「神の花嫁さ」


「なるほど。教皇になればお前の存在を堂々と花嫁として迎え入れてやれるな。なにせ教皇は……」


「地上における神の代理人だからねぇ」


「ジェーン。お前はつくずく悪い女だな」


「フッ。あんたと蜜の味を分け合いたいだけのけなげな乙女だよ……」


乙女という歳でもないだろうに……とは思ったものの、それは口にはしなかった。


無自覚な聖者と、陰謀家。

そして、悪い女。

バームベルクもジェーンも私に幸福をもたらしてくれる存在なのだろう。


こうして、陰謀と欲望の夜は、静かに更けていった。

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