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2.跡取り息子

西暦1690年。


元禄3年の春。


京都ーーー。


5代将軍徳川綱吉の統治のもと栄え、後に

“元禄時代”とも呼ばれるこの時代。


壬生には古くからの武家が住み、久道(くどう)家もそのうちの一つだった。


久道家はその中でもさらに古く、遡れば平安から続く位の高い武家。


俺はその家の、次男坊として生まれた。


鴉丸(からすまる)!鴉丸っ!!」


春。


庭の桜が、徐々に風に乗って散り始めていた。


廊下から母の怒鳴り声が聞こえてくる。


「どこに行ったのかしら、あの子はもう…」


足音が遠ざかる。相変わらず俺の名前を呼ぶ声は家中に響き渡っていた。


瓦屋根の上に腰掛けた俺は、ほっと胸を撫で下ろす。


「けっ!俺のことなんてほっとけってんだ」


とびきりの悪態をついて立ち上がる。



14にもなって、何をやってるんだろうと自分でも思う。


母は面倒だった。


次男である俺を大切に思っている?いや、違うね。


母がこの世で愛しているのはきっと、兄だけだから。


「おはよう。

今日は過ごしやすいね。桜ももうすぐ散りそうだ」


と、下から優しげな口調の人の声が聞こえた。屋根の下を覗く。


黒い羽織を羽織り、月代を剃った端正な顔立ちの青年が洗濯物を干している奉公人に声を掛けている。


兄だ。


俺はすぐさま梯を伝って屋根から降り、兄の元へ行く。


「兄上!」


兄は俺の姿に気づくと、微笑んでくれた。


「鴉丸、おはよう」


「外に出て平気なの?体調は大丈夫?」


訊ねると、兄は整った眉に優しげな曲線を作った。

「うん。ここ何年かすごく調子が良いし、寝込むこともめっきりなくなったよ」

そっか!と俺は笑った。


7つ上の兄は、身体が弱い。


幼い頃は風邪で寝込んでばかりで、いつも命の危険にさらされていた。

故に、この久道家の跡取りになることが難しいのではと囁かれていた。


久道家は、平安から始まった非常に長い歴史を持つ武家だ。

最盛期の戦国には、西日本に沢山の分家があったほどの良家である。


…と、14年間教育されてきた。


そんな名家の久道家、断絶の危機。


その時に生まれたのが、俺。


跡を継げない兄に変わってたくさん教育を受けた。俺は頭が良くないから、普通の人より努力しないとできないことが多かった。 


「心配してくれてありがとうな、鴉丸」

そう言って、兄は薄く笑って優しく俺の頭を撫でた。


俺は、兄が家族の中で一番大好きだ。


だから兄のために、兄の代わりになろうと精一杯努力した。跡取りになるために。


…でも。


「久道の跡取りとして、寝込んでるわけにはいかないからね」


兄は言った。

「…うん」


成長とともに体調が安定した兄は、この家の正式な跡取りとなった。


今では伏せることも殆どなくなり、賢い頭脳と非の打ち所がない人格で将来を期待される存在になった。


物心つかないうちから教育された俺は、もう用済みなんだってさ。


「どうした?」


はっ、と顔を上げる。


陽光に照らされながら優しげな瞳を俺に向ける兄の顔がある。


「あ、ううん!何でもない」


兄のことを憎むのだろう。それがきっと普通なんだ。


でも、俺は兄のことを嫌いになれない。

優しくて、いつも俺のことを気にかけてくれる兄のどこを嫌いになれよう。


いずれにせよ、跡取りにならない俺にもう教養なんて必要ない。


「ちょっと、外出てきます」

「どこへ行くの?」

「飛鳥んとこ!」

兄に手を振って駆け出す。


俺の姿を見つけた母の大声が聞こえてきたけど、そんなの無視無視。




ほんとは学問を学ぶことなんてのは吐きそうなくらい嫌いだった。嫌いすぎて身体に発疹ができたこともある。


でも俺は自由なんだ。跡取りじゃなくなった俺は自由の身だ!

もう大っ嫌いな教養を身につける必要なんてないんだ!!


俺の家を北に一丁行くと、大きな敷地を持つ剣術道場がある。


そこの一人娘の飛鳥(あすか)とは同い年で、小さい頃から友達。


「飛鳥ー!起きてんだろー!開けてくれよ!」


神辺一刀流(かんなべいっとうりゅう)


と、大きく達筆に書かれた札がかけられた門を何度も叩く。


やがてしばらくすると、かんぬきが開けられる音と共に、大きく軋む音を立てながら門がゆっくりと開いた。


「朝っぱらからうっさいわね〜…どっから湧き出てくんのよ、その元気…」


中から吊り目がちな寝ぼけ眼を擦りながら、飛鳥が顔を出した。


「おはよ、飛鳥。入ってもいい?」


「ちょちょちょっ、ダメダメ!お父さんまだ寝てるんだから!」

敷地内に入ろうとすると、飛鳥が全力で俺の道を塞いだ。


しっかりと娘らしい着物を着込んでいるにも関わらず、俊敏な動き。流石は師範代、と言ったところか。


「そんなに剣術が好きなら、あんたがこの道場の家の息子に産まれればよかったのにね」


飛鳥が冗談ぽく肩をすくめた。


「そのうち正式に入門するつもりだぜ」


俺は適当に腰を折って地面に座った。立ち尽くした飛鳥が、驚いて目を丸くする。

「えっ、そうなの?」

「だって俺、もう久道家の跡取りじゃないし。


次男坊のくせに家に残るなんて、迷惑以外のなにものでもないからさ。

だから、俺は元服したらとっとと家を出て

剣術に生きるんだ」


吸い込まれそうなくらい澄み渡った青空に手を伸ばす。


ーーー自由に生きたい。


あの鳥みたいに何にも縛られずに、剣に生きたい。


勝手に跡取りとして必要に厳しく接してきた両親も、勝手な都合で俺が跡取りじゃなくなった瞬間に、勝手に俺を邪険に扱って、勝手に兄にばかり媚びへつらう周りの人間も。


全部から逃げたい。


「あんたみたいな大食漢住まわす余裕なんてないわよ。ウチ、見ての通り門下生ゼロ人のビンボー道場だもん」

「メシ代くらいどっかで稼いでくらぁ!」

「あーあ、鴉丸がこのボロ道場継いでくれたらいいのに!

女の子なのに剣術道場の一人娘で産まれるなんて、私可哀想」

飛鳥はいつもそう言う。


剣術が嫌いらしい。


俺にはおおよそ理解できない考えに興味を惹かれて、何で嫌いなのか聞いたら、汗臭い防具と面倒な礼法、あと痛いのが嫌で怖いらしい。


「けっ!何が可哀想だよ。俺より強い馬鹿力暴力娘のくせにさ!」

「はぁ!?馬鹿!?馬鹿に馬鹿って言われたくないわよ!大体ね、あんたさっきメシ代くらい自分で稼ぐとか言ってたけど、アテはあるの?良家の世間知らずの坊ちゃんが、一体どーやって稼ぐおつもりかしら!?」


目の前の少女の凶暴な雰囲気に気圧され、

俺は言葉に詰まった。


「そ、、、そりゃ、、、あ、ホラ、神社の賽銭箱の周りをちょ〜っと拝借して、、、」


はぁ?と見事な呆れ顔を見せられる。

苦笑いと共に、俺の口角は引き攣った。

やっぱり馬鹿じゃない!と言いかけた飛鳥が、


「あ」


と打って変わって真面目な顔つきになって言葉を切った。

「え?」

俺が思わず聞き返すと、はっとして両手を顔の前で振った。


「あぁ、いや…

あのね、昨日ちょっと…

そこの角を曲がってちょっと歩くと神社があるでしょ?あの古くてこぢんまりとした」


「ああ、うん。静忠(せいちゅう)神社?」


そうそれ、と、眉を寄せて神妙な顔をして続ける。


「昨日、出稽古の帰りにあそこの前を通ったんだけど、なんか…ヘンな、鳴き声みたいな、女の子の声みたいなのが聞こえたのよ。

夕暮れ時だったからなんだか、おっかなくて」


声を下げて、怯えながら話す様子が何だか可笑しかった。

「はは…何だそれ。もしかして、お化けがいるとでも言いたいのか?」

揶揄うような口調で言うと、やっぱり飛鳥は盛大に反論した。


「おっ、怯えてなんかないから!…ただちょっと、気味が悪くて…」


怯えてるなんて一言も茶化してないし!

と突っ込みたい気持ちを置いて、俺はふと頭の中を遡った。

「…そーいえばさぁ、ちっちゃい頃よく言われなかったっけ。えーと、何だっけ、あの、

子供がわがまま言った時に怖がらせるための…」

ああ、と飛鳥が言う。


「アヤカシの話?」


「そうそれ!


大昔、日本にはアヤカシっていう怪物がいっぱいいて、そいつらが人を襲って食べちゃうんだよ〜、ってヤツ。

…もしかしてそういうのマジメに信じてた人?」

ぷっ、と笑うと、飛鳥がまた怒った。

「も〜っ、うるさい鴉丸っ!

いいわよ、信じないならそれでっ!

怖くないなら丑三つ時に神社の前、通ってみなさいよ!アヤカシに食べられても知らないんだから!」

「へっ!子供かよ、そんなん信じるなんて。アヤカシでも何でも出るなら出てみろよ。俺が全部ぶった斬ってやるぜ!」


そう。確かに小さい頃、そうやって脅かされていた。


目に見えないものを信じないタチだったから、俺にはちっとも効かなかったけどね。

でも一応、頑張ってお利口さんにしてた。


跡継ぎだって言われてきたから。


なんだかんだ言って、別に親のことは嫌いではなかったし。


「よし!」


俺は膝を叩いて立ち上がった。

「飛鳥、竹刀持ってきてよ、竹刀!

飛鳥の言うそのアヤカシがいつ出てきてもいいように特訓しようぜ!」

「はぁ…」

と、やる気の出ないため息をついてから飛鳥は自分の両頬を手で軽く叩いた。


「全く、元気なお馬鹿に付き合うのも楽じゃないわね」


飛鳥はそう言って困ったように笑い、道場へ竹刀を取りに行った。


青い空がどこまでも広がって、どこの家の物とも分からぬ桜の花びらが風に舞う。


いつもと変わらない、京の一日。


結局その日は一日中、飛鳥と一緒に道場で手合わせをしていた。


帰り道に静忠神社の前を通ってみたけど、やっぱり俺には、何の鳴き声も音も聞こえなかった。

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