アドラ・レックス③
その日、僕は今一番注目されていると言っても過言ではない二人組に声をかけた。
その二人に対してはほんの少しだけ期待があった。
僕は守られるべき弱い存在だけれど、二人に関してだけは僕が守ってあげられる立場になれるんじゃないかって。
僕だって一度でいい、たった一度だけでいいから人に信頼されてみたかった。
「こんにちはお姉ちゃん達。僕はアドラ・レックス、よろしくね」
空いている席に座ると、二人の顔が少し、ほんの少し引き攣ったのが見えた。
僕が隣にきたのが嫌なわけではないということは分かった。
それならここに座ると不都合な他の何かがある。
そして、それはすぐにやってきた。
何とも言えない強い圧が僕を襲った。
何も言わずにじっと僕を見下ろし、完全な敵意を僕に向けていた。
少し焦った。僕は可愛い。僕は弱い。舐められる事はあっても、敵意を向けられる事はなかった。
大丈夫、僕は可愛いからいつものように、失敗さえしなければ何事もなく終わる。
そう思って紡いだ言葉は、完全に彼の地雷を踏み抜いていった。
持ち上げられた時は生きた心地がしなかった。
その証拠に、彼の友人が僕をしっかりと受け取らなければそのまま重力に倣って落ちていた。
彼は彼女達には僕の時とは全く違う柔らかなトーンで話しかけていた。
彼の上がる口角が優しくて、見つめる目が温かくて、彼女達が羨ましく思えた。
僕と同じ、いや、僕以上に弱者であるはずの彼女達にはもう愛してくれる人がいる。
なのに、僕は偽らなければ、演じなければ愛されない。
僕も欲しいと思ったのか、それとも、彼女達も僕と同じように堕ちてほしいと思ったのか、理由は分からない。でも、その時僕の心には確実に黒い感情が湧き出ていた。
必死に僕の可愛さを彼に見せつけて、他の人も利用して同調圧力で首を縦に振らせようとした。
振り向け、可愛いと認めろ、僕を愛せ、そんな焦りが僕を行動に移した。
でも、ダメだった。
ようやく僕に掛けられた言葉は、僕が付けている仮面を剥ぐ行為だった。
僕ですら騙る為に付けた仮面は、彼の言葉でヒビが入った。
「僕のこと知らないくせに、そんなこと言われる筋合いありません」
その言葉を皮切りに、僕は彼らを貶した。彼も、彼に愛される人も。
そうしないと、僕は壊れてしまいそうだったから。
彼らに嫌われようと、敵対しようと、僕は存在する為に彼らを排除するしかない。
◇◆◇◆◇
僕は感情のコントロールが自分で思っている以上に下手だったようで、令息とトラブルを起こした。
学園に来て初めの頃も、邪魔になりそうな人達とトラブルを起こしていたけれど、時間を掛ければその人の分析は済ませ問題を丸く収める事もできた。
でも、今回はそうできなかった。昨日の事をまだ清算できていなかった僕は、彼を侮辱した。
愛という言葉に僕はかなり敏感になっていた。
命の危険すら感じたその時、昨日トラブルを起こした彼が目に入った。
途中まで出ていた声を途中で飲み込んだ。
彼が助けるはずがない。
この状況、彼にとっては良い物だろうから。
さぞ気持ちいいだろう、昨日散々言ってくれたやつが今は情けない姿で助けを求めることしかできないのだから。
それどころか昨日の事をチャンスとばかりに当たられるかもしれない。
そしたら本当に僕は死んでしまう。
彼が早く去ってくれるよう願ったが、予想に反して彼は僕に歩み寄ってきた。
心臓が恐怖で怯え、今すぐ逃げてと僕の体内に血を必死に巡らせる。
彼の影が僕を覆うと、あっさり諦めることができた。悔いは対してないけれど、せめて最後まで嫌な僕を演じることにした。
でも、僕の予想に反して彼は僕を助けた。いや、助けたのは僕ではないかもしれないけれど。
力無く床に座り込んでいる僕に粛々と手当を施す。
そんな彼を僕は理解ができなかった。
なぜ、嫌いなはずの僕に手当てを施すのか。
「君は僕のこと嫌いじゃないですか。僕なんてほっとけばいいのに」
不貞腐れた言葉が口から出ていた。今見捨てられたら本当は困るくせに、僕のちっぽけなプライドが虚勢を張ってしまう。
「放っといたら君はどうなっていた。今のままじゃ済まなかったでしょう」
「僕一人でどうにかできました。彼の逆上を抑えて、逆に僕の味方にすることくらい──」
「それができなかったから今こうなっているんでしょ。恋する人間は君が考えるほど単純じゃないよ。それで君、執事は? 止めてくれなかったの?」
たとえこの場に執事がいたとしても、彼は止めてくれるとは思えない。
家にとって、僕がいなくなってしまった方が都合が良いのだから。
「…………君だって使用人をつけていないじゃないですか」
「今は妹についてもらってる」
「あの呪われた子ですか」
彼はよく見ていると言っていたけれど、良くも悪くも噂になる。誰だって知っている事実だ。
けど、彼の言葉の真意はそういうことではないのだろう。
「そうですよ、僕はそうして生きてきましたから」
「私の前では猫被らないんだね」
「あなたはもう僕のこと見抜いているじゃないですか。無意味なことはしない主義なので」
「……君、愛されてこなかったんだね」
「僕はたくさん愛されていますよ」
僕はこれほどまでにプライドを持った人間なのかと思わされる。
守られる為に、媚びる為に捨てたプライド。けど、彼にだけは舐められたくない一心で思ってもない言葉を紡いでいく。
恐らく、彼に期待しているのだろう。僕の可愛さではなく、僕の心意を見てくれるのではないかと。
強がっている姿を馬鹿にしないという根拠のない確証で僕は無意味なプライドを彼の前でだけ見せている。
「いいや、愛されていない。愛されていたらわざわざ人の仲を裂こうとなんてしないでしょ。君の体を見れば分かる。今回みたいなこと、ここ入ってから何度もあったでしょう。明らかに今日のじゃない傷がある」
ほら、やっぱり彼は全てを見抜いている。
それでいい。
馬鹿にしないで、舐めないでくれたらそれでいい。
僕の可愛さじゃなくて、僕を見てくれたらどんな言葉であっても僕は僕として存在できる。
でも、欲をいえば、彼ともっと違う巡り合い方をしたかった。
そしたら、もしかしたら対等になれたかもしれない。
彼はきっと僕を許す事はない。僕もずっと意地を張ったままだろう。
そう思っていたのに、僕を撫でる頭が優しくて、彼の目が温かくて、初めて期待した。可愛いだけが取り柄の僕じゃなく、可愛い以外にも僕としての、僕だからこその存在意義が生まれるのではないかって。
きっと、それが願うのは僕の可愛いが通じない彼の側だけだろう。
でも、僕の最大の取り柄である可愛いが通じないのはそれはそれで悔しいから、いつか絶対、可愛いと言わせたい。
ヴィリアン・ロジャー、僕はいつか君の側に立ちたい。だから、敬意を込めてボスと呼ばせてほしい。
◇◆◇◆◇
懐かしい事を思い出していると、ボスは特に何も考えていなさそうなトーンで僕の言葉を否定した。
「別に可愛いから当主になれないって、そんな馬鹿げた話。アドラはちゃんと親と話したの? 悲観しているだけじゃないの? 世の中には一桁の年で当主になる人だっているんだよ」
確かに面と向かって言われたわけじゃない。でも、両親が相談しているのは何度も聞いた。
もう確定事項なんだ。
それに、ボスが出した例も今じゃありえなさすぎて説得力に欠ける。
「ボス、それもう歴史上の出来事でしょ」
「いやまあ、極端だったとは思うけど。でもさ、シオンはもう当主だよ。学生で、女で、性格悪いのに当主だよ。まあ確かに頭もいいし、忠犬──忠誠を誓わせるのに異様に長けているけど」
「加えてシオンちゃんは実績も多く残している。何もない僕とは大違いだよ」
「アドラだって味方を増やすのは得意じゃん。リーダーって、何も自分がトップになれる人だけじゃない。皆に愛されるのも立派なリーダーの素質だと私はそう思うよ。それに、私は知らない人よりアドラが侯爵になってくれた方がいい。その方が色々と文句言いやすいし」
ボスは本当にいつも余計な一言を付け加える。
「今一度話してみなよ。侯爵になる気があるなら。シスタとリシアはもちろん、王子とかネイトにも相談すれば一応力にはなると思うよ。シオンだったら全力で後押ししそうだし。だから、一度ちゃんと話しなよ。それで無理だったら、まあ、できる範囲で助けてあげるから」
頼りない言葉のはずなのに、どうしてかボスにそう言われると勇気が湧いてくる。
「そうだね、そうしてみるよ。どうせ侯爵の仕事をする事になるんだしね」
正直まだ不安はある。理解しているからこそずっと避けてきた話題だったから。
でも、ボスが味方にいると思えるだけで僕の心は強くなれる。
だってボスは僕の希望だから。
「お父様、お母様、お話があります。僕が当主になる事について」
四章第二部これにて終わりです!
次話は四章第三部に入ります!
学生編最後です!
一応七章で終わるつもりですので、半分終わった感じです。
四章第二部は特に投稿頻度が安定しない部になりましたが、三部はなるべく気をつけます。
三部に入るのは8月18日を予定しています。予定が早まる事はあっても遅くなる事はないようにします!
第三部も引き続きよろしくお願いします!




