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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

その手を放してください~イケメンの幼馴染だからって、恋に落ちるとはかぎらない~

作者: 紺青

 「ルナ!」

 呼び止める声に振り返ると、腕を掴まれる。


 「いよいよ、明日、成人だな……」

 燃えるような赤い髪に、深い緑の瞳を輝かせて語る青年とは対照的にルナは無表情で佇む。


 目の前に立つ青年は、辺境の村の男らしい大きな体にしなやかな筋肉をまとい、大柄であるが、まるで貴族のように整った顔をしているので圧迫感はない。むしろ、赤い髪と緑の瞳というはっきりとした色合いがさらに美しさを引き立てている。


 この青年ダレンは、所謂幼馴染だ。ルナの隣の家に住んでいる。


 「やっとだ、やっとだな。わかってるだろうな。明日の夜は、俺の家に来い」

 

 村の皆が美しいと誉めそやす緑の目は、興奮で爛爛と輝き、ルナの腕をつかむ手にも力が入り、ルナの細腕をぎりぎり絞める。


 ルナの暮らす辺境の村では、この国の成人となる十五歳の祝いは、各々の誕生日ではなく、年に一度の節目の日に行われる。誕生日を迎えていなくても、成人とみなされ、結婚や家督を継いだり、冒険者登録などのもろもろが許されることになる。

 ――と同時に、王国から定められている家長の子どもへの責任も解除される。子どもの養育や保護などだ。故に子どもは結婚したり、手に職をつけたり、自立する事が必須となる。



 「アビゲイルさんと婚約しているのでは?」

 子どもの頃から、やたらとルナを敵視してくる少女がルナの脳裏によぎる。


 栗色の豊かな髪をなびかせて、ルナを見つけるたび、綺麗な顔を歪ませて、叱責してくる。

 『いくら幼馴染だからって限度があるのではなくて?ダレンに馴れ馴れしいのよ!』

 『ダレンも迷惑していると思うわ。血筋のわからないあなたみたいな人にまとわりつかれて』

 『ダレンの婚約者は村長の娘である私なのよ!! ダレンに近づかないで!』

 むしろ、折に触れ、まとわりついてくるのは、ダレンの方だし、ルナは迷惑していて、ほっといてほしいのだが。いつも一方的にまくしたて、こちらの言い分など聞きはしない。村長の娘なので、あまり機嫌をそこねると村で生きていけなくなるという気持ちもあり、ただ黙ってやりすごしていた。


 黙っているからといって、平気なわけではない。小さな棘がチクチク刺さるような不快感がある。


 「まーだって、結婚はしないといけないだろ。俺に見合うのはアビゲイルくらいだしなぁ。結婚式は、一ヶ月後だし、明日の夜くらいお前に捧げてやるよ。なんだ、嫉妬してんのか? 大丈夫だ。俺が次期村長だしな。お前にも何不自由ない暮らしをさせてやるよ。空っぽで、なんにもできなくて、そんななりのお前がどうやって生きてくんだ?」

 ダレンはルナを掴んだ手の指を、今度はするりと滑らせる。その感触の気持ち悪さにルナの背中が粟立つ。


 「お前は俺のものって決まってんだよ。この村で生きていきたかったら、俺の言うことを大人しく聞くんだ。明日、待ってるからな」

 ルナの腕を放し、小柄なルナの体を覆うように後ろから両肩を掴むと、耳元にささやかれる。青白い顔で震えるルナに満足したのか、にやりと笑みを浮かべてダレンは軽い足取りで、去っていった。


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 腕を洗いたい。いや全身洗いたい。耳も洗いたい。

 ダレンといると、自分自身が穢れてしまったように感じる。


 でも、と胸元の小袋を握りしめる。

 大丈夫、大丈夫。

 明日までの我慢だ。


 やっと解放されるという安心感より、上手くいくのかという不安の方が大きい。

 でも、一か八か掛けるしかルナに道は残されていないのだ。


 村は明日の成人の祝いの準備で活気にあふれていた。その喧騒が村はずれにいるルナまで伝わってくる。ダレンも外面のよさを発揮して、準備を手伝ったり、気の早い酒飲み達につきあって、祝杯をあげに行ったのだろう。


 この辺境の村ともお別れか……


 ルナの住む辺境の村は、自然豊かで恵まれた環境にあり、人々は平和で豊かな生活を享受していた。


 豊かな生活が送れる理由の一つに、辺境の村と隣国との境にある魔の森があげられる。魔の森は薄暗く、瘴気が濃くて人は住めない上に魔物が発生する。しかし、魔の森があるおかげで、隣国が攻め入る脅威はなく、魔獣討伐に定期的に冒険者達がやってくるので、人の交流があり、賑やかだ。冒険者向けの宿屋や装備などを扱う店も繁盛している。


 魔の森に隣接しているといっても、魔の森と村の間に、緑豊かな森があり、その森が緩衝地帯となっているので、村に住んでいるとあまり魔の森の存在を感じさせない。


 村は緑豊かで、水源にもめぐまれ、気候も温暖。農産も畜産も盛んであり、この村独特の刺繍が、国の一部に人気があり、食べ物、産業、環境に恵まれて、辺境とは思えないほど、人々は豊かに平和に暮らしている。


 ただ、ルナは自然豊かで恵まれているこの地で、ゆったりと呼吸できたためしがない。いつだって、息を殺して、身を縮めて、気持ちを押しこめて生きてきた。この村では珍しい色彩の髪や瞳、肌の色をしているからという理由だけで。黒や茶などの濃い色の髪や瞳、褐色の肌が主流のこの村で、銀髪紫瞳、白い肌のルナは異色の存在だった。


 澄んだ夜空にぽっかりと浮かぶ月を眺めていると、とりとめなく今までの自分の幼い頃からの、出来事が浮かんできた。


 ダレンとルナは同じ年に生まれたということを除けば、なにも共通点はなく全てが正反対だった。


 ダレンは金持ちで、体格もよく、顔立ちもよかった。いつも自信にあふれ、人懐こくみんなの人気者だ。

 一方のルナは貧しく、身体は棒っきれのように細く、村で忌み嫌われる色の髪と瞳をもち、内気で陰気で、友達の一人もいなかった。


 なぜ、こんなに違うのに、ただ隣の家に住んでいる幼馴染だからといってダレンがルナにかまうのか、未だにルナにはわからない。


 小さな頃を思い出すと、ルナの心臓は恐怖と痛みできゅっと縮まる。


 豊かな村とはいえ、貧富の差はある。ダレンの家は、畜産業を生業としていて、商人とも交流があり、豊かだった。ルナの家は、家の周りの畑を細々と耕してなんとかしのいでいる貧しい家だった。


 食べているものが体格にも影響を与えるのか、生来のものか ダレンは小さな頃から、同世代の子どもより体格が大きかった。兄が二人いるため、やんちゃな少年だった。日がな一日、外で走り回っている子どもだった。


 一方のルナは、小柄で細身で、村人から疎まれていることもあり、家で静かに過ごすのが好きだった。

 なのに、ダレンは無理やり、ルナの手を引き外へ連れ出す。


 ダレンと一緒に遊ぶのは小さな頃のルナにとって恐怖だった。

 知らない場所にぽつんと置き去りにされるのは、いつものことだし。

 川で溺れたり、木から降りれなくなったり、崖から落ちたり。


 ダレンと二人でも最悪だけど、ダレンの兄達や友達がいるときには、小石を投げられたり、髪をひっぱられたりした。

 ダレンは、ルナが窮地に陥っているのをニヤニヤと眺めていた。痛みや恐怖のなかにあっても、その表情は印象深く目に焼き付いている。


 夕方頃になって、やっとルナを探しにきたり、助けにきたり、怪我の手当をしたりして、『俺のおかげでルナは助かったな』と満足げにしていた。


 時に大きな怪我をすることもあったけど、怪我をするとしばらくは家で安静にできるので、ほっとしたぐらいだ。


 ルナは黒や茶など濃い色の髪や瞳に褐色の肌が主流の辺境の村に生まれたのに、銀髪、紫目に、白い肌をしていて、村人と違った色素をしているため、村人からは、『捨てられ子』だとか『取り違え子』だとか、遠巻きにされ、嫌悪されていた。


 実の両親はルナをいないものとして扱っている。ごはんはもらえるし、寝床もある。ただ、弟や妹にするみたいに、抱きしめたり、話しかけたりしないだけだ。


 だから、両親は目障りなルナを家から連れ出し、村の子ども達との橋渡しをしてくれるダレンに感謝こそすれ、叱ったりしない。


 どれだけルナが怖くても。

 どれだけルナが痛くても。


 両親は何も気にしない。怪我をしたって、『ルナの注意が足りない』『ダレンが手当をしてくれてありがたい』『ダレンがいなかったら、もっとひどいことになっていた』と叱責された。

 例え、ルナが死んだとしても、なにも思わないし、むしろ、ほっとするのだと思う。


 子ども心にも、ダレンがなぜか“ルナはダレンが好きだ”と思っていることがわかった。そしてそのことが不思議でならない。


 いくら格好良くても、みんなにとってはヒーローだとしても、なんで自分に意地悪して、嫌な事ばかり言ってくる人を好きになると思っているのだろうか?

 ルナはダレンが大嫌いだし、苦手だ。そのことが伝わらないことも不思議で仕方ない。


 そして、幼馴染であるというだけで、かまってくるダレンから逃げたくて仕方なかった。けれど、周りから圧倒的な信頼を得ていて、親切を装って近づいてくるダレンから距離を置くことはできなかった。

 どうにもできないことはわかっているけど、毎晩、布団に入ると涙がこぼれてくる。


 『ダレンのいない、どこかへ行きたい』

 『私を必要としてくれる人のいる場所へ行きたい』


 無理だとわかっている。そんな場所ありはしないとわかっている。それでも、寝る前になると、心の底から思いが湧き出てきて、止まらなかった。


 きっと、ヤクばあちゃんとサイラスと出会っていなかったら、ルナの心はとうに折れて、魔の森へと入っていくか、川から身を投げていたかもしれない。


 ルナに希望を与えてくれた人と人生に彩りを与えてくれた人。二人のことを思うと、心がふんわり温かくなる。


 ヤクばあちゃんは、村はずれの緑の森のなかに一人でひっそりと住む薬師だ。村では、『人喰い魔女』なんて言われている。辺境の村では、悪い事をした子に『悪い事すると、魔の森の魔女に喰われるぞ』と言われるのだ。


 実際には、村に胃薬や傷薬、咳止め薬などの常備薬から、避妊薬まで日々の生活に必要な薬を調合して、破格な値段で村に卸している。村人はヤクばあちゃんにお世話になっているのにひどい言いようだ。


 当の本人は、『人付き合いがめんどくさいから、恐れられてるぐらいがちょうどいいのさ』なんて言ってるけど。


 ヤクばあちゃんと出会えたのは、ダレンにいつもより森の深い位置に置き去りにされたのがきっかけなので、このことだけはダレンに感謝していいのかもしれない。


 出会い頭に、『家に帰りたくない。帰れというならこのまま魔の森に行く』と号泣するルナに、めんどくさそうにして、渋々ながらも、ルナの拙い話を日が暮れるまで全部聞いてくれた。


 「うん、話はわかったよ。まずは、家に帰ろうか」

 幼いながらに、目の前の魔女が、魔法のような手段で自分を救ってくれるのでは、と思ったルナの期待は裏切られた。


 「今の時点で家を出るのは、悪手だ。あんたの親はまだしも、ダレンとやらはあんたに執着している。あんたがいなくなったら、うまいこと村人を巻き込んで、捜索するだろう。いくら人里離れてるからって、ここが見つかるのも時間の問題さね。


 それに、こちとら老い先短いばばぁだよ。いつまでもあんたを匿ってはいられない。あんたにできることは二つ。できるだけ、その幼馴染から身を隠す事。自立できる技術を身に付ける事。十五歳になって、成人したら、あんたが家を出ても、家長には連れ戻せない。目指すは王都だよ」


 この時、ルナは七歳。十五歳ということは、まだあと八年ある。その時間の長さに、途方にくれる。


 「私の提案に乗るも乗らないもあんた次第だ。いきなり状況は良い方にいかない。これからだって、嫌な思いもするし、辛いこともある。むしろ、こそこそ隠し事をしないといけないし、私の指導はスパルタだ。それに頑張ったところで、上手くいくとも限らない。どうする?」


 ルナの覚悟を問うてくる、ヤクばあちゃんの黒い目。相手が七歳だからといって、容赦せず厳しい現実をつきつけてくる。でも、その分真剣さを感じた。吸い込まれるようなその黒に、こくりと力強くうなずく。


 「この村にあんたが必要なかったんじゃない。この村が、あんたに似合わなかっただけさ。王都に行けばわかるよ」


 パチリとウィンクされて、ルナは泣きたいような笑いたいような不思議な気持ちになった。


 それからの日々は、ヤクばあちゃんが言った通り、黒が白になるように状況が好転したわけではないけど、一人ではないということと、未来への希望があるということは、日々削られるだけだったルナの心を支えてくれた。


 ヤクばあちゃんと会ってからも、ダレンが毎日のように誘いに来るので、それを断ることはしない。いつものように無の表情で手を引かれ、付いて行く。ダレンに放置されたり、ダレンが兄や友達との遊びに夢中になっている隙に、ヤクばあちゃんの小屋に向かう。


 夕方になると、ダレンに置き去りにされた地点に近いところで、うなだれて座る。そこに、ニコニコ顔のダレンがやってきて、『ルナは仕方ないなぁ』と言われ、手を引かれて家に帰る。そんな日々を繰り返した。


 ヤクばあちゃんとルナで話し合い、ルナは薬師を目指すことにした。ルナには弱いながらも魔力があるらしいが、魔術師になれるほどではない。冒険者登録をしたところで、ルナには戦闘力も魔力もないため、戦うことはできない。ただ、冒険者を支える職業につく者も冒険者登録できるということで、その職業の一つである薬師を目指すことにしたのだ。


 宣言通り、ヤクばあちゃんはスパルタだった。子ども相手に一切の妥協を許さなかった。


 薬草図鑑に載っている全ての薬草の区別がつくまで、ひたすら採取と仕分けをさせる。薬草の採取は、小屋の裏にある薬草畑から始まり、崖の端だとか、山の上とか、魔の森ぎりぎりとか、結構過酷な場所にも行かされた。


 ただしダレンと違って、サポートは手厚かった。危険な場所にはヤクばあちゃんも同行してくれたし、魔術や魔道具でサポートしてくれたので安全に採取できたし、仮に怪我をしても、ヤクばあちゃんが治癒魔術で治してくれた。


 採取をクリアしたら、調合だ。

 『とりあえず千回かね』

 調剤図鑑の全ての薬について、同じものを千回調合する。もちろんヤクばあちゃんの納得する品質のものでなければならない。


 ふはっと、後ろから柔らかく笑う気配がする。

 『子ども相手にも容赦ないなぁ』

 ルナの心許せる人物の二人目のサイラスだ。サイラスは、人付き合いの嫌いなヤクばあちゃんの小屋に訪ねてくる唯一の人だ。村に薬を納めるときは、ヤクばあちゃんが直々に、村長の家に行くらしい。サイラスは王都の冒険者ギルドの職員で、ヤクばあちゃんのポーションを定期的に買い付けにきているらしい。


 サイラスは猫のようにしなやかで中性的な美しさを持っていた。辺境で大柄で筋肉隆々な男達を見慣れているルナにとっては新鮮だった。小柄で、すらっとしていて細身で、柔らかそうな少し癖のある銀髪をなびかせていた。


 いつも色のついた眼鏡をかけているので、その表情はよくわからないが、口元はいつも柔らかく弧を描いている。サイラスがいると空気が軽くなるような気がした。


 「当たり前だよ。この子の将来がかかってんだからね!!!」


 「まぁ、その品質へのこだわりが唯一無二のポーションを生み出しているんだから、仕方ないのかぁ」


 「あんたみたいに甘やかしてばっかりいたら、碌な大人にならないんだよ!」


 「ハイハイ、師匠は鞭ばっかだと、小さい弟子に嫌われますよ。ルナはちょっと休憩ね」


 「だから、その師匠って言うのやめとくれ! 名前で呼んどくれ!」


 恒例の仲の良い親子のようなやりとりをニコニコ見守っていると、サイラスにそっと手をひかれる。サイラスはボディタッチの多いタイプだが、ダレンのような嫌悪感はないし、むしろもっと頭を撫でてほしい、手をつないでほしい、とルナは思ってしまう。


 サイラスは週に一度、いつもふらりと予告なく現れるのだが、毎回ルナにお土産を持ってきてくれる。カラフルな飴玉や、ほっぺがとろけそうになるケーキとか。


 甘い物が苦手なサイラスは、お茶を飲みながら、ルナがおいしそうにお菓子をほおばるのをやさしく見守っていた。ルナの髪がお気にいりのようで、ルナの腰ほどまである銀の髪を手先でもてあそんだり、くるくるしたりしている。


 幸せだなぁ、とルナはふわふわした心地だった。最近はダレンもかまってこないし、修行は順調だし、サイラスとも会えるし。


 その頃には、年頃になり、ダレンはますます男っぷりに磨きがかかってきた。身長も辺境の男達と変わらないくらいに伸び、いつの間にか、冒険者達から剣を教わり、鍛錬を怠らないらしい。昼間に家業の牧畜や、頼まれた村の畑や大工仕事などをしていることもあり、筋肉もしっかりとついて今や熊のような大男になっていた。顔は綺麗なままに育ったので、逞しく麗しいダレンは辺境の村で一番モテていた。


 ルナのように噂に疎いものでも、知っているぐらい女関係は派手なようだ。女冒険者や未亡人、同じ年頃の娘達……。仕事や鍛錬の合間に、さまざまな人と遊び歩いているらしい。おかげで、ルナはダレンから解放されたので、ありがたいことだ。


 ダレンは、女達と遊び歩くだけでなく、同年代の友達とバカ騒ぎしたり、村長や年かさの男たちの酒盛りの場で飲めないながらも盛り上げたり、そつなく全方位に愛嬌をふりまいていたので、女癖の悪さを咎められることはなかった。むしろ、『辺境の男はそれぐらいじゃなければな』なんて言われたりもしていた。


 ルナは完全に油断していた。


 辺境の村では、女も背が高く、肌は褐色で、濃い髪色、濃い瞳の色をしていて、体つきも豊かだ。女冒険者も色気のある豊かな体型のものが多い。ダレンもそういったタイプの女が好きだと思っていたのだ。


 ルナは年を重ねても、棒っきれのように細く、背も小さいまま。肌も透き通るほどに白いままだ。

 ルナに執着しているのは、昔から自分の傍にいて、自分の所有物や子分のように思っているのだと思っていたのだ。


 サイラスとお茶したことを思い出して、軽い足取りでヤクばあちゃんの小屋から帰っている途中、突然現れたダレンに、ルナは驚いたもののあまり警戒していなかった。


 「また、魔女のところに行ってたのか?」

 ただでさえ、大柄なのに体の前で腕を組まれると、詰問されているような圧迫感がある。今日はどうやらご機嫌斜めなようだ。ルナの浮かれていた気持ちも霧散する。


 「俺達もあと二年で成人なんだぞ。いつまで、魔女とのけ者同士なぐさめあってるつもりだ? そろそろ、家のこととか刺繍とか、嫁に入る準備の一つでもしたらどうだ?」

 ダレンの言う事が一つも理解できなくて、唖然としているうちに、木の幹を背に、ダレンの大柄な体に覆われてしまう。


 「うちの母さんに色々教えるよう頼んどいてやろうか? それよりも、いつまでたっても色気がでてこねぇな。もっと食って肉つけろよ」

 ダレンの汗混じりの男臭い匂いに、本能的な嫌悪感を感じて吐き気をもよおす。ダレンの太い指がルナの顎にかかり、ぐいと強い力で持ちあげられる。小柄なルナに合わせて、ダレンがかがみこんでくる。


 何をされるか悟ったその瞬間。

 脳裏に浮かぶのはふわふわの銀色と猫みたいに目を細めた笑顔。


 ダレンなんかとキスしたくない!!

 キスもその先も捧げたいのは、サイラスだ。


 ルナは湧き上がる強い思いで、ダレンの手をふりほどき、頭突きした。ルナに抵抗されると思っていなかったダレンに見事に当たる。


 鼻を押さえて蹲るダレンから、ふらふら離れルナはその場で嘔吐した。


 「くそっ、痛ぇ。なにすんだよ、お前!! っっきったねぇな。なんだ体調悪かっただけか……」

 見下していて言いなりになるルナにキスできなかった上に頭突きされたら、暴力をふるわれるか、強引にキス以上のことをされたかもしれない。嘔吐したことで結果的に、ダレンは興ざめしたようだった。


 「ダレンとはこういうことはしない」

 吐き気は未だに止まらないが、嘔吐の合間に、ダレンの目をまっすぐ見て言い切る。


 「お前、そういう目もできるんだな。まぁいいよ。成人までは待ってやる。それまでにそそるぐらいに体を仕上げとけよ」

 ルナの吐瀉物が臭ったのか、顔をしかめてダレンは足早に去っていった。


 その後も、ルナは嘔吐が止まらなかった。胃の中の物を全部吐き出しても、胃液だけになってもしばらく吐き続けた。


 ようやく嘔吐は止まったが、胃がまだ痙攣している感覚がある。ルナは近くの泉で口を漱ぎつづけた。


 どこまで、ダレンは執着してくるのだろう?

 所有欲だと、モノのように思っていると思っていたのに、今日ルナに色気がないと宣いながら、獣のような欲をにじませた眼で迫ってきた。


 女としてダレンに見られている。その事実はルナを久々に恐怖に陥れた。

 そして、ダレンにキスされると思った瞬間、強い思いが湧いたことに気づいた。初めてのキスをダレンにくれてやるもんかという気持ち、そしてキスもそれ以上も捧げたいのは誰なのかということ。

 成人するまではと、無事、逃げられるまではと気づかないふりをしていた、蓋をしていた気持ち。


 「サイラス……サイラス……会いたい……」

 はじめてヤクばあちゃんに会ったときのように、子どものように号泣する。

 

 思えばはじめから、すらりとして物腰のやわらかいサイラスに惹かれていた。幼い初恋だった。十歳年上のサイラスとの恋が叶うなんて思ってもいない。


 サイラスが買ってきてくれるふわふわのお菓子よりなにより、一緒にお茶をする甘くてやさしい時間が大好きだった。 

 

 難所にある薬草を取ってきたとき、見分けづらい薬草を見分けられるようになったとき、頭をなでられると心があたたかくなった。


 ルナの話を聞いてくれる時の優しい顔とか、ヤクばあちゃんに騙されて甘いお茶を飲んだときのしかめっつらとかいろいろな表情に心躍った。


 全種類の薬草を見分けられるようになったときや誕生日などのお祝いに、いつもすてきな魔術を見せてくれた。色とりどりの花を舞わせたり、氷の彫刻を目の前で作ってくれたり。


 はじめて、色付きの眼鏡をとって、瞳を見せてもらったときには恋に落ちていたのかもしれない。

 サイラスの瞳は、左が紫、右が水色のオッドアイだった。片目だけだが、自分の瞳とおそろいなのがうれしくて胸がくすぐったくなり、瞳の色の綺麗さにほうっとため息がでた。


 「こっちはルナとおそろいだね。でもルナのほうが深い色で綺麗だよね。ちょっと珍しい瞳だから、他の人にはナイショだよ」

 その綺麗な瞳を細めて笑う表情に、ルナの頬が紅にそまる。


 「ルナは僕の瞳が気に入ったみたいだね。じゃ、ルナの前では眼鏡ははずすことにしよう」

 なんて茶化されて、なぜかサイラスにヤクばあちゃんからゲンコツが落ちた。


 「サイラス……」

 ぐすぐす蹲って泣きながら、胸元の魔石を握りしめる。ヤクばあちゃんが作ってくれた首から下げられる小袋には、サイラスからもらった綺麗な紫色の魔石が入っている。


 出会って間もない頃に、サイラスはおみやげに髪飾りを買ってきてくれたことがある。形に残るものだとダレンや家族に見つかったときに取り上げられる可能性があるから受け取れないと伝えると、それからは形に残らない菓子や花になった。


 でも、十二歳の誕生日に『お守りだよ』と言って、サイラスとルナの瞳の色である紫の魔石をプレゼントしてくれた。


 『辛い時や不安な時にこの石を握りしめたら、気持ちが楽になるから。あ、心配しないで。認識阻害の魔術もかけてあるから、ルナ以外にこの石の存在は察知されないよ』

 こわごわと魔石を受け取ったルナの両手を包むようにサイラスの両手で包まれて、うれしさとときめきでルナは首まで真っ赤になった。


 『えー石と小袋への認識阻害。石を持つ者の感情察知に音情報通信、位置情報感知まで掛けてんのかい……。なんたる才能の無駄遣い……』

 その後ろでは、ヤクばあちゃんがぶつぶつぼやいていた。


 どうしようもなく腸が煮えくり返る時も不安な時も悲しい時も、サイラスのくれた魔石を握りしめると、そんな負の感情が溶けて、あたたかくてやさしい気持ちになる気がした。その魔石を強く握りしめる。


 「ルナっ!!!」

 サイラスの事に想いを巡らせていたからか、聞きたかったその声が聞こえた気がする。


 「夢……?」

 目の前には恋を自覚して、会いたいと思ったサイラスがなぜかいた。いつもの飄々とした様子とは違い、髪は乱れ、額には汗が浮かんでいる。昼間会ったときのカッチリとしたギルド職員の制服とは違い、戦闘用の服に、色付きのゴーグルをしている。


 戦闘用の格好のサイラスもかっこいい。ぼーっと見惚れていると、もどかしい様子でゴーグルをはずし、ルナの様子を見ようとぐっとサイラスの顔が近づく。


 「ルナ、ルナ、大丈夫? あいつになんかされた? もう、アイツ殺してこようか。百回くらい殺したほうがいいね。もう、ルナは王都に連れて行こう。そうしよう」

 やっぱり夢なのかな? いつものおっとりとした丁寧な話し方と違うし。いや、それでも素敵なことには変わりないけど。


 戦闘用の服に、泥や魔獣のものであろう返り血が散っている。髪も乱れて、ルナを心配して、わたわたして、らしくもなく早口になるサイラスを見て、ルナの中に愛おしい気持ちが溢れた。その気持ちのままに、そっとサイラスを抱きしめる。


 「えっ、ルナどうしたの? うれしい、うれしいけど、汗かいてるし、汚れてるし、臭いし……ルナが汚れちゃうから……」

 どうしてだろう、汗の匂いがしても、血の匂いがしても、汚れていてもサイラスだったら、ちっとも嫌じゃない。汗の匂いに混じって、サイラスのお日様みたいな匂いがして、ほっとする。


 「……私も、……私も汚れてるの。……ダレンにキスされそうになって、気持ち悪くて、吐くの止まらなくて。たくさん吐いたの。いっぱい口ゆすいだけど。……汚いよね?」

 不安になって、下からサイラスを伏し目がちに見上げる。


 「うっ、かわいい……。もうあの蛆虫は、村中引きずりまわそうね。あいつの家のヒツジにくくりつけて、村を十周くらい引きまわして、あそこをもいで、十回くらい殺そうね。あとルナは女神で天使で妖精だから、何があっても穢れることはないから心配しないで。全然汚くなんてないよ」

 ルナの背中をやさしくさすりながら、早口が止まらないサイラスにルナはおかしくなって、ふふっと笑みがこぼれる。


 「サイラス。私、ダレンにキスされそうになって、嫌で、嫌でたまらなくて……その時に気づいたの」

 サイラスの腕の中で、居住まいを正して、サイラスをまっすぐに見つめる。


 「私、サイラスが好き。キスするならサイラスがいい。サイラス以外嫌だ」

 サイラスは切れ長の目をまん丸にして固まった。驚いてるけど、きっと嫌われてはないと思う。


 「ね、サイラスお願い。私の事、好きじゃなくてもいいから、キスしてほしいの。はじめてのキスはサイラスがいいの。それ以上は望まないから。今日みたいに、強引にダレンにキスされるとか嫌なの」


 「……え、夢かな? ……幻覚かな? ルナが僕のこと好きって言って、キスしてっておねだりしてるけど、これ現実?」

 突如、サイラスは自分の頬をグリグリつねると、両頬をバンバンたたいた。


 「わかってるの。妹のように思ってるのは。それでも一回だけでもいいから。お願い……」

 固まってしまっているサイラスに、涙目ですがる。


 「ぐぅ……かわいい……破壊力……」

 サイラスは一瞬、天をあおぐと、真剣な表情に切り替わる。


 「ルナ、ルナの方から告白してくれて、ありがとう。僕もルナが好きだよ。キス以上望まないなんて言わないで。僕を全部ほしいって言って」

 ルナは、キスしてと言ったもののこういったことは初心者で、サイラスの綺麗な顔が近づくのを真っ正面から見たまま、唇が重なり、そっと離れていく。


 サイラスの唇はやわらかくて、少しかさついていた。ルナを腕に抱いたまま、ルナの白い頬をサイラスの手がなでている。サイラスの綺麗なオッドアイはいつもあたたかくて優しい色をしていたけど、そこに甘さが含まれた気がした。


 「マークには幼女趣味だって言われるし、師匠にはグサグサ釘刺されるし。ルナの幼馴染があんなだから、男の欲みたいのは、見せないほうがいいのかなって思ってたんだけど…」


 「確かに苦手だった。でも、サイラスならいいの。サイラスには触れたくなるし、キスもしたいし……ダメかな?」


 「ダメじゃないダメじゃない。うれしい。うれしいけど、ルナの成人まで我慢できる自信がない。がんばる。うん、がんばって僕の理性に仕事させるよ」

 

 せっかく二人の思いが通じ合ったけど、帰りが遅くなるとまた面倒なことになりそうなので、サイラスに送ってもらいつつ、会話を重ねる。


 ほとんど、ダレンにキスを迫られた衝撃と嫌悪からの勢いだったので、今更、恥ずかしくなる。でも、結果として、サイラスに想いが通じたのがうれしくて笑みがこぼれる。


 「あのね、サイラスの気持ちはうれしかったけど、サイラスを殺人者にも誘拐犯にもしたくないから、成人までこの村でやりすごして、堂々とこの村を出ていきたいの。その時まで気持ちが変わらなかったら、王都に行ったら恋人にしてくれる?」


 その瞬間に、サイラスに抱きしめられる。サイラスの香りとあたたかさにルナはうっとりする。サイラスになら、何度だって抱きしめられたい。


 「ルナ、この気持ちは例え空から槍が降ってきても、魔獣が降ってきても変わらないよ。本当は、ダレンも村人も全滅させて、村も跡かたなく燃やし尽くして、ルナを攫って行きたいけど、我慢するね。あ、あと今は認識阻害の魔術を僕とルナにかけてるから人に見られる心配はないから。それじゃ、名残惜しいけど、行くね。ルナ、愛してる。またね」


 ルナの家の前に着くと、ルナの額にやさしく口づけて、現れたときのように、一瞬でサイラスは消えてしまった。


 それから成人までの日々は、サイラスと想いが通じ合った分、これまでより長く感じた。ヤクばあちゃんは、サイラスが会いにくるたび、ルナへの甘さを全開にするので、うんざりしていた。王都へ行った後の話をすると、ルナがそんな夢のようなことが叶うのかとよけいに不安に苛まれるのを察して、サイラスは今までのように、何気ない会話しかしなかった。それでもサイラスが隣にいてくれて、一緒に過ごせる時間があるだけで、ルナは幸せだった。


 成人の祝いの日が近づくと、期待よりも、ちゃんとこの村から出ていけるのか不安が降り積もる。


 できることをしようと気持ちを切り替えて、薬草の採取、選別、調合で合格点をもらい、さらに、ポーション作りの練習をはじめた。ルナは魔力量が少ないが、ポーションを作るには十分らしく、慎重に、手順を正確に踏んで作業するルナは調合やポーション作りに向いているらしい。王都に行ってサイラスのお荷物になりたくないルナは、少しでも稼げるようにポーション作りの精度をあげるよう、日々精進した。


 ダレンは村長の娘のアビゲイルと恋人同士になり、十四歳の時に婚約した。さすがに、他の女との関係は切り、身綺麗にしたらしい。常にアビゲイルを侍らせているが、相変わらず人のいないときに、ルナに声をかけてきた。

 そしてしょっちゅう、隣にアビゲイルがいるときでも、ルナのことを上から下まで舐めるように見てくる。結局、婚約してもダレンのルナへの執着は消えることはなかった。


 そして、いよいよ成人の祝いの日を迎えた。

 成人の祝いの前日にダレンとの不愉快な邂逅があったが、キスを迫られて以来、身体的な接触はなかった。


 成人の祝いは男女問わず、白色をまとうと決まっている。装飾などは自由だ。ルナの家族が衣装などを準備してくれるわけもないので、ヤクばあちゃんとサイラスがシンプルなワンピースを用意してくれた。あまり美しく着飾っても、人の目をひくので、装飾のない体のラインのでないシンプルなワンピースだ。髪もいつものように三つ編みにまとめ、アクセサリーもつけなかった。

 

 「いよいよだね。最後まで気を抜かずに気合いれていくんだよ」

 一人会場に向かうルナを、認識阻害の魔術をかけたヤクばあちゃんと、サイラスが見送りにきてくれた。


 「ルナ、成人おめでとう。今日まで本当によくがんばったね。シンプルな衣装だけど、本当に女神のように綺麗だよ。今日は姿を隠してずっと見守ってるから。今日は、ルナが危険な目にあったら、相手をぶっとばしてでも守るからね。安心して。一緒に王都に行こうね」

 いつものごとく、ルナへの甘さ全開のサイラスの言葉にほっとして、涙がこぼれる。


 「ほらほら、一人で泣いてるとおかしいと思われるよ。シャンとして最後の仕事をしてらっしゃい!」

 王都へは、サイラスと一緒に行く手筈になっているので、ヤクばあちゃんとはこれで最後だ。そっとヤクばあちゃんを抱擁し、サイラスにうなずくとルナは会場へと歩き出した。


 成人祝いの会場へとルナが現れると、会場の空気がざわりと揺れた。

 今まで、村の者は皆、ルナのことを嫌悪の対象として、ほとんど視界にいれていなかった。白いワンピースに包まれたルナは、儚い美しさがあり、綺麗な顔立ちに、日の光を浴びてキラキラと輝く銀髪と紫の瞳がさらに彩をそえて、化粧をしていなくても、装飾がなくても、人々の目を惹きつけた。今年、成人を迎える華やかに装った少女達の中で、ルナは一番輝いていた。


 村長や村長の娘とともに上座に座るダレンはそんなルナを見て、ちっと舌打ちをして、歯ぎしりをした。そんな婚約者を見て、なにかを察したのか村長の娘のアビゲイルの睨むような目線がルナに刺さる。


 成人の儀式が淡々と進む。あんなに成人を待ち焦がれていたのに、意外と感傷もなく、こんなものかといったかんじだった。それよりも、時折感じるダレンからのほの暗く粘りつくような視線とか、今までは忌々し気にされ、視界に入るなといった風情の同世代の男たちから向けられる蛇のようなまとわりつく視線を浴びて、ルナは疲れてしまった。

 

 夕方から宴がはじまった。儀式が終わったので、いつ抜け出してもよいのだが、目立たないよう夕闇にまぎれて出ていく話になっている。

 できるだけ無用に絡まれないように、人目がある場所で、女達の中で、雑用をこなした。いつものように女達からもチクチクと不愉快なことを言われたり、小さな嫌がらせをされたが、最後だと思うと、それらもスルーすることができた。


 空の色が茜色から徐々に暗い色に染まっていくのをながめて、ルナはよし、と覚悟を決めた。


「ルナ」

 呼ばれた声に、条件反射でびくっと肩を揺らす。まさか、こんな人の多いところで堂々と声をかけてくるとは思わず驚く。そこには、白の礼装に身を包んだダレンがいた。


 「親父さんが呼んでる。大事な話があるそうだ。家にいくぞ」

 いつものようにルナの腕をつかむと、ルナを引きずるように歩き出す。


 「ちょっと、ダレンどこに行くのよ!!!」


 「あぁ、ルナの親父さんにコイツが呼ばれてるんだ」


 「だからって、ダレンが付いて行く必要なんてないでしょ?」


 「最近、コイツ反抗ばっかりしてるから、確実に連れて来いって言われてるんだ。連れて行ったらすぐ戻るよ」


 ヒステリックに叫ぶアビゲイルをなだめるように、頬にキスをおとした。片手で、ルナの腕をつかんだまま。


 ルナの家の方向に向かって、人気のない道をダレンはずんずん進んでいく。ほとんど引きずられているルナの腕がちぎれそうに痛い。


 ルナはパニックと絶望に襲われていた。幼い頃からの恐怖と痛みと嫌悪に染まって、なにもできない弱い自分にたちどころに戻ってしまう。


 やっぱり、私がダレンから逃げ出すことなんてできないんだ。

 一生この獣みたいな幼馴染に蹂躙されるしかないんだ。


 怖い怖い。

 嫌だ嫌だ。


 コトンッ


 その時、胸にはずむ魔石の存在に気づいた。

 ルナの恐怖と痛みと嫌悪の気持ちの中から、怒りが湧いてくる。


 ヤクばあちゃんから最後に習ったルナの少ない魔力でもかけられる身体強化を、掴まれているのと逆の手にかけると、ダレンの指を一本ずつひきはがした。ダレンの手が離れるとその勢いで、ルナは後ろにふっとんで、転がった。


 「もう、その手を放して。あんたなんかに従わないんだから」

 ルナはすぐに体勢を整えると、立ち上がる。目の前では、一瞬何が起きたかわからずに、ダレンが目を瞬いている。


 「今日、私はこの村を出ていくの。成人したら家長に子どもに関する権限はなくなるわ。人をゴミみたいに見てのけ者にする村の人達も、人をいないものとして扱う家族も、人の気持ちも考えずに所有物のように扱う幼馴染も、もういらないの」

 

 「は? なんの取柄もないお前がこの村を出て行っても、野垂れ死にするだけだぞ。いい加減、その反抗的な態度を改めろよ」


 「ちゃんと村を出ていく算段も、暮らしていく手段もあるわ。だから、もう私に干渉しないで!!!」


 怒りで目をぎらぎらさせて獣のように唸っているダレンのことが、怖くて、足を一歩後ろに引きそうになる。

 今すぐに、逃げ出したい。

 でも、きちんと自分の意思を伝えておかないとどこまでも追ってきそうな予感がして、足を踏みしめ、目をそらさず、ダレンに対峙する。


「お前の意思を尊重してやりたかったけど、しょうがないな。成人までは自由にさせてやっただろ。もう二度とそんな生意気な口がきけないようにしつけてやるよ」

 怒りで顔色が赤から土気色になったダレンが襲い掛かってくる。体がすくんで、逃げられない。


 「しつけられるのは、お前だよ、ばーか」

 その瞬間、現れる銀色。お日様の匂いに包まれる。

 ダレンの巨体が吹っ飛んで、地面に叩きつけられる。


 「サイラス…」


 「ルナ、ごめんね。助けるの遅くなって。怖かったよね。腕もこんな赤くなって。師匠にちゃんと自分でけじめつけさせろって言われてて。でも、我慢できなくて出てきちゃった。もういいよ。あの蛆虫は人間じゃないから、ルナが誠実に正面から話しようとしても伝わらないよ」


 「この、くそ……お前いつの間に男なんて作って……いてっなんだこれ? 手と足が動かねぇ。えっ凍って……」

 ダレンはサイラスにふっ飛ばされ、仰向けに地面に転がり、手と足に氷のような枷で、地面に括りつけられていた。


 「あーこの村って魔術と無縁だもんねぇ。うん。お前動けると碌な事しないから、手と足を凍らせた。凍傷で壊死するか、手足切り落とすかすれば、動けるよ。あ、どっちみち手足なくなるねぇ、ふふふ」

 天気の話でもするみたいに呑気に残酷なことを話すサイラスに、さすがのダレンも顔色が悪くなる。


 「おい、ルナ、なんとかしろよ」


 「なんで、私がダレンを助けないといけないの?」


 「は? だって、お前は……お前は……今まで俺がどれぐらいお前を助けてやったと思ってるんだ!!!」


 「それは、村で疎まれている私を無理やり遊びに連れ出した事? 話しかけた事? それとも、痛い目や怖い目にあってるのをしばらく放置してから、恩着せがましく助けたこと?」


 「それは……」


 「じゃあ同じことをしてあげましょうか。その状況をしばらくニヤニヤして楽しんで、心が折れそうになる寸前で助ければいいのよね」


 その言葉にダレンは顔色を白くさせる。幼い頃は無自覚だったかもしれないが、物心付いた頃には確信してやっていたに違いない。そして、それをルナに気づかれてるなんて思ってもいなかったのだろう。


 「そもそも、ダレンが遊びに連れ出さなければ、助けられる状況になんて陥らなかったのだけど? 自分で陥れて、自分で助けるって、一体なにがしたかったのかわからないわ。本当に性格が悪いのね」


 「それでもお前は、俺が必要だろ? 意地悪したことは謝るよ。これも俺の気持ちを知るための芝居なんだろ? 試してるだけだろ? だって、お前は俺の事が好きなんだから」


 「うわ――――ぁぁ。サブいぼ出た」


 ダレンから、十五年間で一番気持ち悪いセリフが出たと思ったら、なぜか返事はサイラスがした。同じ気持ちだけど。


 「今までの話を聞いて、なぜそんな発想になるかわからない。私は小さい頃からずっとダレンが大嫌いだし、苦手。一生かかわりたくない」


 なぜダレンは絶望したような、すがるような目をしてくるのだろうか?


 「だって、俺ほどカッコよくて、剣も仕事もできるやつなんていないだろ? 村のみんなにだって好かれてるし。俺を嫌いなやつなんていないだろ?」


 「それは、村のみんなには私にするみたいなクズな本性を見せてないからじゃない? あんなことをされて好きになる女なんていないわよ」


 「誤解だよ。俺はお前が好きだから、ちょっと意地悪をしただけで、俺はお前が嫌いじゃないから……」


 「全然、会話が成り立たないわね。ダレンのことは隣の家に住んでいる他人だとしか思ってないわよ。嫌いだし、苦手。この気持ちは一生変わることはない」


 「ほらねー蛆虫って脳みそも極小サイズだからさぁ、話通じないって。ルナ、言いたいこと言えたならもう行こう」


 どさくさにまぎれて、ずっとサイラスに抱きしめられたまま、ダレンと会話をしていた。そのことに気づいて、頬が熱くなる。サイラスと目を合わせると、コクリと二人でうなずく。


 話している間に、ダレンの手と足の氷は、サイラスが溶かしていてもう自由に動けるのだけど、ダレンは呆然自失となって、動かない。


 「さようなら。あなたのことはきれいさっぱり忘れるから、あなたもわたしのことは忘れてね」


 「未練がましくルナのこと探しにきたり、接触したら、こんどこそひねりつぶしてやるから」


 「アビゲイルとお幸せに……」


 その言葉を最後に、ルナとサイラスはダレンの前から消えた。


◇◇


 歯切れの悪い最後だったけど、それはそれとして気持ちを切り替えて、王都での新生活をはじめた。


 今まで我慢していた反動か、ストッパーのヤクばあちゃんがいないからか、サイラスの過保護と溺愛が止まらない。ルナにとっては、うれしい悩み。


 『この村にあんたが必要なかったんじゃない。この村が、あんたに似合わなかっただけ』

 昔、ヤクばあちゃんに言われた言葉が王都で暮らして三年経つころようやく、腑に落ちるようになった。


 王都には色々な人種がいて、背の大きい人もいれば小さい人もいる。髪や瞳や肌の色もさまざまだ。村では蔑まれたルナだが、王都では美しいかわいいとよく言われる。


 ダレンにも村人にも家族にも『魔女とつるんで、草遊びしている』と馬鹿にされていたが、ルナの卸す薬やポーションは品質が良いみたいで、高値で取引されている。


 自己肯定感の低かったルナも、溺れそうなほどたぷたぷなサイラスの愛と、周りからの評価に、だんだんと自分に自信が持てるようになっていった。


 目を離すとすぐに仕事をしようとするルナをサイラスはせっせと遊びに連れ出した。今日は二人のお気に入りの丘の上でピクニックをしている。

 昔、ヤクばあちゃんの家でお茶をしていたときと同じように甘くて、やさしい時間。


 目の前には、どこまでも青い空が広がっていて、木々や草が風に揺られている。ルナはすがすがしい空気を吸い込んだ。王都に来てやっと、ルナはゆったりと呼吸できるようになったなと思う。


 隣には相変わらず、やさしくて美しいサイラスがいる。

 「ん、どうしたの? 僕の顔になんかついてる?」

 ふふふと思わず笑みがこぼれる。

 「うーうん。幸せだなぁと思って」

 「もーあんまりじっと見つめるから、キスしたいのかと思っちゃった。王都にきてルナはよく笑うようになったね」

 サイラスは相変わらずスキンシップが好きで、ルナの頬をなでると、キスをおとす。


 王都に来たからってハッピーエンドでお終いなわけではなくて、嫌な思いもするし、辛いこともある。

 それでも、ルナを縛り付けていた村や幼馴染から解放されて、そして隣にはサイラスがいる。

 それだけで、ルナは前を向いてこれからも歩いていける。

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