なぜこんな展開に。
「レ、レグルス皇子殿下ではありませんか!」
ついまじまじと彼の顔面を観察していると、エドガーの声が耳に響いてくる。彼にしては珍しく、狼狽えているように感じた。
「エドガー殿下。おめでとうございます、上手くいって本当に良かったですね」
「え?ああ、うん。それは君のおかげ……、じゃなくて!今はそれどころじゃないよ、マーガレット」
そう指摘されて初めて、はたと思考が止まる。彼は今、レギーのことをなんと呼んだだろうと。
「レ、レグルス、おうじでん、か?」
「だから今そう言ったろ?俺言ったよな?」
「いいえ、伺っておりませんわ!」
まさか、コックコートにびん底眼鏡を掛けた男が皇子だなんて、誰が気付けるだろう。そういえば、あの時パティシエだかコックだかの一人に「でんでん虫がどうのこうの」という話をされたような。
やけに決定権を持っていて、大胆で、自信に溢れている。失敗をちっとも恐れていない様子で、むしろトラブルを楽しんでいるような節さえあった。
「い、いやいやいや!なぜ厨房に⁉︎なぜコックコート⁉︎あり得ない、あり得なさ過ぎます‼︎」
「マーガレットだって、令嬢らしからぬ格好してんじゃねぇか」
「お立場がまったく異なるでしょう‼︎」
しれっとへ理屈をこねるものだから、つい強い口調で反論してしまう。レギーにだいぶ心を許していたせいもあり、皇子に対してあるまじき態度を取っていた。
「ご挨拶が遅れました無礼を、どうかお許しいただきたい。私は、エドガー・ド・リオンヌと申します」
「これはこれは。第一王子殿下が自ら自己紹介をしてくださるなんて、光栄です」
先ほどまでとは雰囲気ががらりと変わり、同じコックコートがなぜか発光して見える。レギーはにこりと柔和な笑みを浮かべると、エドガーに向かって恭しく頭を垂れた。
「僕は、帝国第四皇子レグルス=オルグ・ランキューズと申します。以後お見知り置きを」
「ま、まさか本当に皇子様だったなんて……」
あんぐりと開いていた口が、ぎゅんと閉口する。これまでの失言の数々を、今すぐに拾い集めて胃の中に納めてしまいたくなった。
「今回はあくまで非公式とのことで、王宮への正式なご挨拶は遠慮させていただいておりました。どうか、ご無礼をお許しください」
「僕の方こそ、こんな場所でお名前を口にしてしまって申し訳ありませんでした」
互いの表情はいたって友好的なのに、なぜだかばちばちと火花が散っているような気がする。
「ああ、それは一向に構いませんよ。わざと、この場に姿を現しましたから」
「そうでしたか。なぜ、またそんな」
「いちパティシエのままでは、こちらのご令嬢に堂々とアプローチが出来ませんから」
どさくさに紛れて距離を取っていたのに、レギーは再び私を引き寄せる。その瞬間、エドガーの片眉がぴくりと反応したように見えた。
「あ、あの私、皇子殿下を軽々しく愛称でお呼びしてしまって……」
「いや、それは俺が許したことだ。これからも、ぜひそう呼んでくれ」
「ど、どうかご容赦を!」
まさか、帝国の皇子をレギーなんて呼び続けるわけにはいかない。たとえ、超絶女たらしと悪名高い人物だとしても。びん底眼鏡の下は涼しげな男前だなんて、どこぞのべたな漫画みたいな展開に頭を抱えたくなった。
「マーガレット、俺はお前が気に入った」
「わ、私⁉︎」
「お前は、俺が今まで出会った女の中で一番おもしろいから、見てて飽きない」
こんなに嬉しくない口説き文句も、そうそうない気がする。
「婚約者いないんだろ?だったら、問題なし」
「わ、私は本来、皇子殿下とこうしてお会いできる立場にすらありません。婚約者がどうこうという話では……」
「これも運命だと思って諦めろ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、いまだに私の腰から手を離してくれない。頭が混乱していてどう切り抜けるのが正解なのか思いつかない私は、もうこの場から逃げることにした。
「ち、厨房に戻りますね!きっと忙しいでしょうから!」
「すでにデザートの提供まで終えてる」
「後片付けとか!掃除、ゴミ捨て、床拭きなんでも!」
「お前は令嬢だろう」
腰を抱く力がますます強くなってるし、私の肩にベルベットの髪がかかるくらいには、至近距離に迫っている。あとはもう、拳で気絶させる方法以外にないのではと、体が勝手に戦闘準備を始める。
このままでは、遊び人の本日のデザートにされてしまう。胸元の飛び出たドレスに身を包んだ、女豹のような狩人の目付きをした令嬢はたくさんいるのだから、出来ればそちらを狙ってほしいのに。
「レグルス殿下。こちらのご令嬢はご覧の通り、本日は裏方として生徒会の為に尽力してくれました。さぞや疲労困憊のことと見受けられますので、申し訳ありませんがこの辺りで失礼させていただこうかと」
「エ、エドガー殿下……」
私とレギーの間にやんわりと割って入ってきた彼は、柔和な口調でそう言った。ちらりと視線を向けると、一瞬ウインクで合図されたように見える。
「そ、そうなのです。実はもう体が限界で……。ああ、倒れちゃう」
エドガーの意図を察した私は、手の甲を額に当てながら大仰によろめいてみせる。突然のことにするりと離れたレギーの腕の代わりに、エドガーがしっかりと私を受け止めてくれた。




