全然まったく、ちっとも心当たりがありません。
そして口に入れた瞬間ぱあっと表情が光り輝き、もぐもぐと咀嚼している間にも次に手が伸びている。私が作ったわけではないけれど、その反応を見ていると涙が出そうなくらいに嬉しかった。
「そ、そんなにうまいのか?」
「まぁ、殿下の勧めだしな」
「一口だけ、あくまで話の種として……」
私を警戒して食べようとしていなかった人達も、雰囲気に流されるようにして次々とそれを摘む。一度口にしたら最後、もう虜になるのは必死。前世、ひとりぼっちで寂しさを感じていた私が初めてチョコレートに出会い、こんなにも美味しくて幸せになれる食べものがこの世にあるのだと、生まれてきて良かったとすら感じたことを思い出した。
傲慢で高飛車な令息も、現代以上にマウント合戦に命を賭ける令嬢も、皆一様にふにゃりと頬を緩めて、舌鼓を打っている。そんな姿を見ていると、私まで満足感を感じるような気がした。
まさか、この「死ニ愛」の世界でまた自分の大好きなものをこんな形で食べられるとは、思ってもいなかった。それもこれも、みんな――。
「エドガー様のおかげよね……」
不穏な空気から一転、輪の中心で称賛の嵐を受けているエドガーを見つめながら、これならきっと帝国の皇子も認めてくれるだろうと、自然と頬が緩んだ。
前世の最推しであることなんて、すっかり頭から抜け落ちていた。そういった要素をとっぱらい、この世界でマーガレットとして出会ったエドガーに、私は恋をしたのだから。
「いや、違うだろ。お前のレシピを忠実に再現した俺の功績。だよな?」
不意にぽん、と肩を叩かれ振り返ると、そこにはレギーが立っていた。やたらと詰められた距離のせいで、彼と私の身長差が浮き彫りになる。厨房ではあまり気に留めたことがなかったけれど、彼はとても美しいスタイルをしていた。全てが対照的で均等で、コックコートの上からでもそのしなやかさが見てとれる。
「レギーさん。この度は、私のせいで多大なるご迷惑をおかけいたしました。今一度、心からの謝罪を」
「もういいって。そんなことより、もちろん約束は覚えてるよな?」
びん底眼鏡の山を人差し指でくいっと持ち上げると、にやりと企みの笑みを浮かべる。シャンデリアの下では、艶やかなスカーレットの髪が一層際立っていた。
「約束ですか?何かいたしました?」
「俺を楽しませたら、お前に堕ちてやるって言った」
「そう言われるとそのような気もしますけれど、果たしてそれは約束の扱いになるのでしょうか……?」
私が言うのもなんだが、つくづく変わった人だ。素性も、謎の権力も、その眼鏡も。
「俺は有言実行する質なんだ」
もう一度、先ほどと同じようにぽんと肩を叩く。けれどその腕はするりと絡みつき、まるで親友同士が肩を組むかのごとくぴったりと体を密着させた。
これだけ近付けば、耳元で囁くことなど簡単。彼が言葉を紡いだ瞬間唇が微かに耳輪に触れ、思わず全身に力が入る。
「宣言通り、お前に堕ちてやるよ」
おもむろに束ねていた髪を解くと、美しい髪が惜しげもなく散らばっていく。妖艶な声色に背筋がぞくりと粟立ち、同時に心臓が大音を立てて警鐘を鳴らした。
とても、堕ちる側の人間が発する色気ではない。まるで獲物を捕獲する食虫花のように、甘く危険な香りを惜しげもなく放つ。
――今の標的は、なぜか私のようだ。
「貴方は、一体……」
「お前、まだ気付かないのか?しょうがねぇヤツだな」
びしびしと感じるフェロモンに押し潰されそうになりながら、制御を失った瞼が瞬きを繰り返す。レギーは溜息を漏らしながら、かちゃりとびん底眼鏡を外した。
「これで分かっただろ?」
「いえ。全然まったくこれっぽっちも」
「は?この空気でそんな反応されたら、俺が恥ずかしいだろ止めろ!」
避難めいた目で睨まれても、知らないものは知らない。前世の記憶を総動員させてみても、あの乙女ゲームにこんな登場人物は……。




