婚約者同士の会話。
その後夕刻となり、私達は並んで寄宿寮へ戻る。その道中、唐突にライオネルが腕を引いた。
「しーっ。あれ、見て」
「アンドリッサ様と……、エドガー様だわ」
お喋りに夢中で気が付かなかったけれど、生垣の向こうに長く伸びた影が二つ。あちらからは、どうやら自覚になっているらしい。表情まで伺うことは出来ないけれど、声は聞こえる。
「ちょっと盗み聞きしようか」
「そうね、そうしましょう」
私達姉弟には、少々モラルが欠けているらしい。勘づかれないぎりぎりの距離で、しっかりと聞き耳を立てた。
「上手く事は運んでいるのですね」
「ああ、つつがなく」
久し振りでも何でもないのに、この声を聞いただけで腹の奥がぐっと締まる。悪事を働いているようで、自身の心臓の音がやけに甲高く響いていた。
「私達はきっと、良い夫婦になります」
「もちろん、君は誰よりも素晴らしい妻だ」
「生涯を懸けて、公私共に貴女をお支えいたしますわ」
自分の立場を忘れ、思わず声を上げそうになる。ライオネルが慌てたように私の口元を掌で塞いだ。
「さぁ、そろそろ寮へ戻ろうか」
「ええ、エドガー様」
まるで、絵本の中の王子様。いや、彼は本物だった。そして、相手はアンドリッサ。日のうちどころのない才色兼備であり、エドガーと並んでも全く見劣りしない。
実に自然な仕草で、二人は腕を組む。どうしてか、それ以上見ていられず私はくるりと背を向けた。
「……マーガレット」
声色だけで、今彼がどんな表情をしているのかが良く分かる。
「こんな気持ちになること自体が、おかしな話よね。だって二人は、正式な婚約者同士なのだから」
私は、今の立場に胡座を掻いていた。アンドリッサがエドガーとの婚約を望んでいないから、何だというのだろう。
我が国の第一王子と、由緒ある公爵家のご令嬢。幼少期より交わされた取り決めは、簡単には覆らない。
「だけど、アン様の夢が……」
彼女が私だけに打ち明けてくれた、秘密の夢物語。たくさんの本を読んでいる内に、いつしか自分自身も狭い世界を飛び出して、冒険をしてみたいと思うようになったのだと。
王妃の座に収まれば、それは叶わなくなる。視察という名目で他国へ渡ることは出来るかもしれないけれど、アンドリッサが望んでいる形とは違う。
全員が幸せになる道筋はないものだろうかと、僅かな希望に想いを馳せた。
「ショックだよね。二人のあんな姿を見て」
「えっ?ああ、そうね。悲しくないと言えば嘘になるかしら」
「もっと取り乱すかと思った」
非常に複雑な心境であることに変わりはない。私は確かに、エドガーに恋をしている。そしてそれと同じくらい、アンドリッサを大切に想っている。
かといって、彼が他の誰かと結ばれてほしいわけではない。恋物語の相手は、私がつとめたい。
「ああ、もう!どうしましょう!」
だんだんと、頭がこんがらがって来た。
「こんな時は、チョコレートを食べるのよ。セロトニンが分泌されて、何か良いアイディアが閃くかもしれない」
「セロ……、何?」
「幸せになれるってこと!」
ポケットに忍ばせておいたそれをふた粒取り出し、一つはライオネルの掌に乗せる。暑さのせいで少しふやけているけれど、これはこれでより甘さを感じられるから好きだ。
「まったく。マーガレットのチョコ好きには誰も敵わないな」
「当たり前よ!いつか専門店を開くのが夢なんだから」
ふふんと胸を張ってみせると、彼は至極嬉しそうな顔をする。
「マーガレットの口から未来の話が出るなんて、中々貴重だね」
「あら、そうかしら?」
「そうだよ」
もしかすると私は、無意識のうちに避けていたのかもしれない。臆病者でうじうじ虫で、肝心なところで素直になれない面倒なマーガレット。
それでも、思考だけは放棄しない。何度間違えようとも、私は自分の道を歩んでみせる。
――君がこの屋敷と、大切な家族を救ったんだ。
最初から、辿り着きたい場所はたった一つだけなのだ。




