今の距離感が、最良だと。
「あはは、おもしろい声」
「ど、ど、どうしてここに……っ!」
「僕はちゃんと声を掛けたよ?」
ベッド脇に跪きこちらを覗き込むのは、紛れもなくエドガーだった。相変わらずきらきらと輝きを放ち、藍色の瞳を惜しげもなく私に向けている。
「君が目を覚ましたと聞いて、居ても立っても居られなくて。アンドリッサと一緒に来る約束だったんだけれど、時間通りに彼女が来なかったから」
「わ、わざわざご足労いただき恐縮でございます、エドガー様」
まだ心臓がばくばくと波打っている。何とか体裁を繕おうとしても、それは無理な話だった。
私の挨拶が不満だったのか、エドガーは形の良い唇をきゅっと尖らせる。その仕草だけでも殺されそうの勢いであるのに、かれはさらに上目遣いという禁忌に手を出した。
「さっきみたいに呼んではくれないの?」
「あ、あ、あの……っ」
「お願い、マーガレット」
無理だ、こんなものに耐えられるわけがない。余計なことを口走ってしまわないよう、私はぐうっと唇を内側に巻き込んだ。とんでもない顔になっているだろうと思ったけれど、今はそんなことを気にしている余裕なんてない。
「あはっ、可愛い」
けれど、それすらも軽々と躱してしまえるエドガーには、もう全面降伏するより他になかった。
その後何とか気を取り直し、私は改めて深謝の念を伝える。一人の死者も出すことなく事態を収束出来たのは、確実にエドガーのおかげなのだ。
「命を救っていただき、なんと言葉を尽くしたらいいか」
「マーガレットを助けるのは当たり前のことだよ」
「それは私が、アンドリッサ様の友人だからですか?」
ついぽろりと口を滑らせた瞬間に、しまったと後悔する。どうか聞こえていませんようにと祈ったけれど、それは当然叶わなかった。
「マーガレットは、意地悪だね」
「……申し訳ありません」
「謝らせたいわけじゃないんだ」
エドガーは僅かに瞳を揺らすと、ベッドに置かれた私の手のすぐ側に、自身の指を滑らせた。
「この間は、ごめんね。君の立場も考えずに、困らせて」
「そんな……、エドガー様が謝るなんて」
「僕にだけ教えてくれないから、ヤキモチ妬いたんだ」
エドガーは全てを知っていて、私に「何か話すことはないか」とカマをかけた。そう思うと腹が立つような気もするけれど、結果的に助けられたことは事実なので、これ以上の追求はしない。
というよりも、また蒸し返すと返り討ちに遭うのは私のほうだろう。
「とにかく、君が無事で本当に良かった」
「……はい」
思わず気が抜け、ふにゃりと笑みが溢れる。エドガーの指に力が込められたせいか、シーツがくしゃりと歪んだ。
「不味いな、僕は近頃ますます制御が効かなくて――」
「エドガー様‼︎」
ばん!という凄まじい音と共に、勢いよく扉が開かれる。壊れてしまったのではと危惧する間もなく、鬼の形相を湛えたアンドリッサがこちらへやって来た。
「私に偽りの時間をお伝えになりましたわね⁉︎」
「うん?何のことだろう?」
「惚けてもムダですわ‼︎」
普段冷静な彼女らしからぬ、まるで興奮した闘牛のような雰囲気。偶然赤いドレスを纏っていることもあって、思わずふふっと噴き出してしまう。
「マギー‼︎貴女今、私を見て笑ったでしょう⁉︎」
「ごめんなさい。アン様があまりにも可愛らしくて」
素直にそう言うと、まるで風船に穴が空いたかのようにしゅるしゅると萎んでいく。アンドリッサはんん、と気を取り直すように、わざとらしく咳払いをした。
「まったく、油断も隙もないのだから」
「ごめんね、アンドリッサ。どうか拗ねないで」
「断じて違いますわ!」
せっかく落ち着いたのに、また再燃してしまった。最早わざととしか思えないし、実際エドガーはとても楽しそうだ。
こんな光景、ゲームの中でもこれまでの転生の中でも、ただの一度もなかった。常に完璧な王子を貫いていたエドガーの、悪戯っ子のような笑顔は新鮮で、私の心を妙に揺さぶる。
「アン様、来てくださって嬉しいです」
そろそろ止めなくては、いつかアンドリッサが平手打ちでも繰り出してしまいそうだ。
「ふ、ふん。私はそんなに薄情な人間ではないのだから、これは当然のことよ」
「ええ、貴女がお優しい人だってちゃんと分かっています」
にこにこしながら告げると、彼女は照れ隠しのように、その見事な金髪をぱさりとかき上げた。
「コンドルセ公爵家は、フォーサス家の復興に全面協力するわ。これはお父様のご意志であって、先程フォーサス侯爵にもお伝えしたの。だから貴女は何の心配もせず、体調の回復に専念しなさい」
「アン様……、素敵、カッコいい、大好き……」
ほうっと感嘆の溜息を吐きながら、ありきたりな茶色の瞳に彼女だけを映す。すると突然、視界に眩い宝石が散りばめられた。
「狡いよ、二人とも。僕もいるって忘れないでね」
まさか、忘れられるはずがない。たった一瞬視界に入るだけで、こんなにも輝きを放つような王子の存在を。
「ちょっとエドガー様!貴方は先にマギーと話していたのですから、今は私に時間をくださいませ!」
「ああ、もちろん。この僕が、大切な二人の邪魔をすると思う?」
「この……っ!」
婚約者同士がぶつかり合う、お決まりのパターン。目の前で見るのは何だか久しぶりだと思いつつ、きっともうすぐ三人目が飛び込んでくるのだろうと予想する。
「マーガレットは目を覚ましたばかりなのですから、あまり刺激を与えないでください!」
そんな考えが浮かんでから数秒もしないうちに、再び大きな音が響く。いい加減部屋の扉が壊れるのではと、心配になった。
「やあ、ライオネル。君も無事で何より」
「本当ですわね、ライオネル」
「……お二人とも、明らかについでという気持ちが隠しきれていませんが」
ひくひくと頬を引き攣らせて、彼は私を庇うようにばっと両手を広げ、仁王立ちで立ちはだかる。
三人でやいのやいのと言い合いを繰り広げる様を見て笑いながら、なぜだか泣いてしまいたくなるような気持ちを、必死に押し隠したのだった。




