本当の救世主。
先ほどまで無人だった廊下に、賊と思わしき野太い男達の声が聞こえる。なぜ火蛇を放たれる前に気付かなかったのだろうと疑問に思いながら、私は絶え間なく水魔法を使い続けた。
「良かった、まだまだある……っ!」
魔力量には限界があれど、魔石だけには事欠かない。この日のために、より上質なものをこつこつと集めていたことが功を奏した。
砕け散る粒子の対空時間が長ければ長いほど、私が捻出する魔力とより強く結びつく。エドガーのアドバイスでその密度を濃くする訓練を受けていた為、私の水縄は炎に負けない。
「賊だ、直ちに捕まえろ!」
「外に逃げた、逃すなーっ!」
普段、私とライオネルが夜に見回りをしても全く気付かない護衛達だけれど、さすが訓練を受けた玄人。屋敷の構造を網羅し、上手く連携を取って男達を追い詰めているようだ。
「火に気を付けて!カーテンを破るのよ!」
絶えず砕け散る魔石の粒子に包まれながら、必死に声を張り上げる。鈴と同じように、耐火性のある煉瓦や天然の石材を使うようにと、必死に指示を飛ばす。姿は見えないけれど、きっとライオネルも同じ行動をしているだろう。
怒号と唸り声、悲鳴が混じり合い、夜闇に混じった濃い煙が鼻先を刺激する。予想以上に火の広がりを食い止められているとはいえ、やはりあちこちで小さな火災が起こっているようだ。
火煙の広がる中で叫んでいるせいで、喉が焼けるように熱い。むせ返りそうになるのを必死に堪えながら、屋敷を走り回る。
「あの小娘が火を消している!水魔法だ!」
「魔力のある人間がいるなんざ聞いてないぞ!」
どうやら賊は数人ではないらしく、護衛や武の心得のある執事と相対しつつ、私を捕まえようと手を伸ばしてくる。小柄を生かしてそれ掻い潜りながら火蛇を追いかけるのは、至難の業だった。
「子どもだろうと構うな、殺せ!」
荒い息に塗れてぎらりと光る刀身。恐怖で背筋がぞくりと震え、その拍子にポケットバッグからばらばらと魔石が零れ落ちた。
「あ……っ、ダメ……っ!」
これがなければ、水魔法が切れる。一欠片だけでも拾わなければと足を止めた瞬間、後ろの追っ手とは別の賊が間近に迫っていた。
「クソガキが、死ねえっ‼︎」
赤黒く上る炎に照らされた男の血走った瞳が、ぐわっと見開かれる。その手に握られたファルシオンが、私目掛け勢いよく振り下ろされた。魔石を拾う暇すら、与えてはもらえない。
ああ、私の人生ここまでだ。両親もライオネルも、悲しませたくなかったのに……っ!
「マーガレット‼︎」
瞬間、聞き慣れた声が私の名を呼んだ。同時に膨大な量の水が、まるで竜のように男を飲み込んだ。
「うわあああ‼︎」
「なんだ、このガキじゃないぞ!別の使い手か!」
「何でもいい、早く殺せ!」
先ほどの優勢が一変、情けない声で慌てふためく賊達は、その人物を認識することなく次々と水流に飲まれていく。死を覚悟した私の体はぴくりとも動けず、ただその光景を唖然と見つめていた。
「マーガレット、怪我はない?」
「エ、エドガー……?」
「うん、そうだよ。もう、何も心配いらないから」
耳に響いたあの声は、決して幻聴ではなかった。この場にいるはずのない人物が、しっかりと私の体を抱き止めている。
「ど……して、ここ……に」
喉の奥が焼けたようで、上手く声が出ない。この喧騒の中では、すぐに掻き消されてしまう。
「大丈夫、全ては終わるよ。残党もすぐに捕まるし、火災も大したことはない。それに、死者もゼロだって」
「ほん、と……?」
「君がこの屋敷と、大切な家族を救ったんだ」
滑らかで傷一つない肌が汚い煤だらけで、ブルーサファイアのような髪もぐちゃぐちゃだ。戸惑い、安堵、恐怖、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、自分が今どんな表情を浮かべているのかさえ分からない。
「ああ、見てごらん。神も君に味方しているみたいだね」
彼は私を安心させるように、にこりと微笑む。しばらくして聞こえてきた音に、エドガーの言葉の意味を理解した。
「あ、め……」
喧騒は止まず、捕えられた賊達が離せ、殺すぞと喚いている。それでも、事態は確実に収束の方向へ向かっている。
「さぁ、マーガレット。君も今すぐに治療を」
「よかった……、本当に……」
小雨はあっという間に土砂降りとなり、フォーサスの屋敷を火災から守る。まるで雨漏りでもしているかのように、私の頬にも絶え間なく雫が零れ落ちた。
エドガーから詳細を聞きたいのに、もう体が言うことを聞いてくれない。遠のく意識の中で、温かな手がそっと私の頭を撫でてくれた気がした。




