来たる惨事、その時。
♢♢♢
アンドリッサからの報告書を受け取っても、夜の見回りは続けようと決めた。ライオネルは直前までずっと拗ねていたけれど、何度も頭を撫でてやることでようやく機嫌を直した。
「本当に、殿下に不埒なことはされていないんだよね?」
「だから、もう散々説明したじゃない。エドガー様と何かあるわけがないって」
「妙に雰囲気が怪しかったから」
「気のせいよ、この話はお終い」
ライオネルの嗅覚は鋭く、エドガーが私にいかがわしいことをしていたのではと、応接間に入ってきた瞬間彼に牙を剥いた。そして、そんなライオネル以上に詰め寄ったのがアンドリッサで、二人を押し退けて私の体を調べるかのごとくぺたぺたと触った。
「……私は、ご忠告差し上げましたわ。決して、マギーには手を出しませんようにと」
「とんだ濡れ衣だよ。ねぇ、マーガレット?」
この嘘吐き野郎、と罵ることも出来ず、私はただ頷くことしか出来なかった。
「次から、二人きりになっちゃダメだよ」
「ええ、そうね」
廊下の隅に隠れて、ひそひそと声を潜める。ライオネルを宥めすかしてから、見回りを再開した。
今夜は厚い雲に覆われ、月明かりすらもない。美しい星も姿を隠し、雷でもないのに空が不穏な音を轟かせていた。
「最近、夜風が生ぬるいわね」
「特に問題はなさそうだし、後は僕だけでも」
そう言いながら私の背に手をかけた瞬間、ライオネルの動きがぴたりと止まる。上目遣いに様子を伺うと、彼は視線だけで戒心を持っていた。
「この屋敷の人間以外の気配がする」
「……遂に来たのかしら」
一瞬の内に緊張が高まり、引きつる表情を必死に抑えつける。右手をポケットバッグに入れ、そこにぱんぱんに詰まった魔石の一つを力強く握り締めながら、ただじっと身を潜めた。
「マーガレット、僕の後ろへ」
「平気よ、私は」
「だけど」
彼の腕を軽く振り払った瞬間、何の音もなく足元に微かな火が灯る。それはまるで狡猾な蛇のように、うねうねとくねりながら範囲を広げていった。
「これは魔法だわ!」
頭の中ではもう数え切れないほどにシュミレーションを繰り返した。見たくもない悪夢にうなされ、全てが炎に包まれる光景も。
「こんなの気付けない!」
人災であるならば、もっと派手なものなのではと想像していたけれど、地を這うように静かな火の気では確かに発見が遅れても仕方がない。
「お願い、発動して!」
「マーガレット!」
「ライオネルは合図を!」
掌に乗せた魔石が爆ぜると同時に、私の体を細い水の渦が包み込む。長い間訓練を積み重ね、エドガーにも随分と協力してもらった。
大きな火災を消してしまえるほど一度に大量の水は創り出せないけれど、その代わりに水縄の強度を練り上げた。
「無茶はしないで!」
「分かってる!」
火蛇を放たれたのはきっとこの場所だけではない。ライオネルが、父に頼んで至る場所に設置された金属製の鈴を鳴らし警鐘として屋敷中に伝えた。
「チ……ッ、まさかこんなに早く騒ぎになるとは」
「お前、しくじったんだろう」
「うるせえ、黙れ!」
月明かりすらない真暗に包まれていたフォーサス家の屋敷が、たちまち喧騒に包まれる。ランプの灯りがあちこちで照らされ、火事だと叫ぶライオネルの声が響き渡っていた。




