ブルーロック17話見ました 史上最高の1選手~ 特別編
ブルーロック17話において、私が史上最高の1選手である彼に言いたかった事を代弁してくれました。
それは、バロウ選手とチームを組む二人による、バロウ選手に対する台詞です。
まず、一人が、自分勝手なプレーをし続けるバロウ選手に問います。
バロウ選手の、自分が輝けないなら負けた方がましとの答えに、
【 その考えが自分(→バロウ選手)の可能性を潰している事になぜ気がつかない、俺はお前がもっとすげー選手になると思った 】から組んだんだ!
そして、バロウ選手にいつまでも拘り続ける理由を自問します。
この試合に勝つためか、【 バロウ選手の歯がゆい現状を勿体ないと思う 】からか。
【 】で囲ってある内容のバロウ選手を、史上最高の1選手である彼に置きかえると、そのまま私の心情になります。
また、もう一人が
あれだけ通用していないのによく王様気分でいられるよね。負けを認めなきゃ、本当の悔しさは手に入らない。
王様を最高の選手に変えれば、私が史上最高の1選手である彼に言いたかった事、そのままです。
本当に、この数シーンのやり取りは鳥肌もので、私が史上最高の彼に抱いていたものと絶妙にシンクロします。
私が脚本を書いたみたいです(笑)。
最後に、何が通用していないのかを補足したいと思います。
彼は格下の相手には鬼のような働きを見せるのですが、対強豪、それもここ一番の試合ではその勝負弱さ(A代表準優勝数回)を露呈します。
ここ一番、のどから手が出るほど点が欲しい状況で、最高の選手である彼が得点していれば、その歴史は変わっていたのです。
他の試合でいくら点を取ろうとも、ここ一番でその脆さを露呈しては、とても最高の選手だと認められません。
A代表において、ここ一番で点を取ったのは22W杯決勝ぐらいのものです。
通用していないとは、同じような失敗を繰り返すことを指します。
つまり、負けを認めて本当の悔しさを手に入れ、その失敗を糧にここ一番を『乗り越える』のです。
もちろん、彼はA代表の主軸ですから責任は大いに感じていたと思います。
ただ、心の奥底ではバロウ選手と同じく、負けても「王様」ならぬ「最高の選手」の『やせ我慢』があったのではないでしょうか。
おそらく、本心から負けを認めていなかったのだと思います。
負けても「最高の選手」の『やせ我慢』により、その鼻はくじかれず、結果として選手として成長できなかったのです。
22W杯においても、自身の能力の衰えにより周りを上手く使うようになったとの評価がありました。
彼は、自身の才能の高さ故に、自分で何でもやろうとし過ぎたのではないのでしょうか。
サッカーも、会社と同様なところがあり、それは上司と部下に例えられます。
自身がどんなに出来ようとも、上司が自分でやりすぎては駄目で部下に任せなければなりません。
部下が育たず、一人相撲になってしまいます。
サッカーも個の能力が突出しただけでは駄目で、全体として能力を発揮しなければなりません。
11対11のチームスポーツなのですから……
おそらく、彼はその才能がアダになってしまった例だと思います。
その才能により、一人相撲を取り続けてしまったのです。
もっと、若い頃から周りを上手く使うようにしていれば、最高の選手かなんて議論は起きなかったでしょう。
才能は史上最高のクラスであることは、私も疑っておりません。
本当に勿体ないことをしたと思います。
史上最高の宝の持ち腐れです。
ただ、可能性がないわけではないです。
三浦カズ選手のような例もあります。
しかし、それにはバロウ選手のように、自分が輝けないなら負けた方がましではいけません。
控えになることも受け入れなければなりませんし、自身が囮になって周りの選手を活かすことも必要です。
ただ、もし彼がそれらを受け入れたならば、チームへの貢献を第一に考えるのなら、私もそんな彼の姿を是非みたいと思います。
真の意味で、サッカーと和した彼のプレイする姿を……