第四話 『竜の舞う王国は共喰いの炎に罰されて』 その11
嗤う赤竜の不吉な影の下で、アンジュー卿は考えなくてはならない。アレサはまだ帰らないのだ。遠からず帰って来るだろう。そのために六頭も馬を提供したのだから。荒くれ者のシェフも、旧知のジーン・ストラウスと揉めることはないはずだ。全ては希望的観測ではあるが……。
正直に告白すべきことかもしれない。
ズーに乗る男爵が、真実を語っているとするのならば。
「どうした?まさか、いないのか?」
不在を望んでいるようにも見える。信用は置けない。信じるに値するほど、誠実な男だと感じたことは、これまでで一度たりともないが―――リースの腹にいる子供は、判断を間違わせていく。
拒絶すべきである男も、不用意に近づけている。その自覚が少なからずあるのに、状況に従っているのだ。嘘を指摘されながらも、駆け引きのための無表情を使う。見つめ返すのだ、動揺を悟られないように。
どんなことが起きたとしても、守るべきは一つ。
「竜騎士姫へのメッセンジャーとして、リースを使って欲しい!」
「身重の、リースをだと?」
「そうだ!身重だからだ!!……彼女の命はもちろんだが、彼女の腹のなかにいる我々の孫の命こそ……危険に晒すべきではなかろう!!今は、政治的な緊張が張りつめ過ぎている!!冷静に、ならねばならない!!私の屋敷に、竜から降りて君は来ないだろうが……リースならば、どうだ?……私と君が、どちらも絶対に失いたくない命だ!!」
「……ふ、む。そうだな。リースと、腹の子の命は守らなければならない……良かろう。ズーが地上に降りて、リースをそちらに渡す。怪しい企みがないことを示すために、そちらの弓隊と衛兵は、武装を解除しろ。ズーが降りるのだ。見合った取引だ。信じ合うためには、必要な行いだろうよ」
「……ああ。そうしよう」
すべては、リースと、その腹に宿った孫のため。夢が、願望が、老貴族の心を充たしていく。ガルーナの未来も大切だ。少年王エルヴェの正義が成されることも、罪無き少年王の命を守る任務も大切である。しかし、このときの老人の心は、存在を始めて知った孫に夢中だ。
「武装を、解除しろ!!男爵にも、男爵の竜にも、絶対に矢を撃つな!!」
武装は解除されていく。衛兵たちは、しぶしぶ従っている。赤竜ズーを前に、素手になることは、あまりにも恐ろしい。しかし、主の命令は絶対であった。弓も槍も剣も、あらゆる抗いのための鋼が、手放されていく。
「……いい答えだ。おい、リース」
「……っ」
「……お前なんぞに、多くは期待せん。せめて、アレサ・ストラウスを長くその場に引き留めていろ。どうせ、すぐに……こちらの準備は整うのだ」
「……私は、もう、嘘をつくのは……」
「敵中だということは、アタマに入れておけよ」
「……っ!?」
「真実を、知れば。アンジューもアレサ・ストラウスも敵だ。お前を、殺すかもしれない。つまり、いい演技が必要なんだよ。お前も、女だ。演技は、得意だろう。自分と、腹のガキの命を守れ」
そばに置いておかなくても、娘を操る方法をリングスタッド男爵は心得ている。恥辱に耐え切れず死ぬことを選べるのならば、とうに死んでいるだろう。父親は憎めても腹の子までは、憎めてはいない。知っている。だからこその、手札なのだ。
「…………わかり、ました…………」
「そう、それでいい。取るべき態度を取ればいいだけのことだ。どうせ、すぐに、終わる。オレとズーが勝者となり……ガルーナ南部で最も偉大かつ豊かな男の誕生だ」
「リングスタッド男爵、どうした!!こちらは、武装を解除したんだぞ!!」
「ああ。伝えるべき作戦を、リースに教えていたんだよ。我々は、共に、大きな仕事をしなければならないからな!!……では、ズーを降ろすぞ!!」
赤竜ズーは、眠ったままの凶竜ザードをにらみつけたまま着陸した。巨体を浴びせられた地面が揺れて、老伯爵がその背にいるリースを心配し、勇敢にも駆け寄って来る。
「リースよ、無事か?」
「は、はい……アンジュー卿、お久しぶりです……」
「ふう。男爵よ、もう少し、気を使って着地せぬか。彼女は、身重なのだから」
「ズーは、凶竜ザードの気配に集中していてね。アレサ・ストラウスの責任だ。姿を現さず、竜を動かそうとはしない……」
「指示は、しなかっただろう?」
「当然だ。凶竜ザードを、アレサ・ストラウスがそこまで御し切れるとは、思ってはいない。正しい理解さ。彼女は……小娘―――いや、若くて、まだまだ未熟だ」
「……そう、だろうかね。竜騎士の技は、私には理解が及ばぬ領域ではあるが……」
「御し切ってなど、いないさ。凶竜ザードは、まだ幼稚すぎる。洗練されていない竜は、常に暴走と紙一重だよ」
……己に言い聞かせているのだろうか、プライドゆえに。老貴族はそんな認識もした。白竜フィーエンに続き、凶竜ザードを使役する……そんな偉業を、年若い乙女が成したことを、男爵は認めたがってはいない。それも、一つの事実ではあった。
何であれ。
守るべき命を、確保しなければならなかった。この状況で最も信じられる者は、自分に他ならない。責任もある。
「さあ、リース。私の手を取るんだ」
「ありがとう、ございます。アンジュー卿」
乙女に手を貸してやりながら、赤竜ズーの背からリースを降ろした。
「リース、しっかりと、アレサ・ストラウスにこちらの意図を伝えるのだぞ!無駄な血を流したくはない。すべて、お前にかかっているんだ」
知っている。
マジメな娘だ。淫らな母親とも、ギャンブル狂の父親とも違い。責任を与えてやれば、まるで猟犬のように守りたがる。邪悪な父親ではあるが、娘については誰よりも詳しい。
うなずく乙女を、老貴族は屋敷へと向かって手を引いて歩く……ドアは、内側から開かれた。メイドが出迎えてくれる。緊張している。主の嘘を、守るための方法を探しているのだろう。
難しい仕事を押し付けてしまっているが、問題はない。彼女たちも、器用に状況へ応じてくれるはずだ。貴族の屋敷でメイドを長くやっている者たちばかりなのだから。
「……では、屋敷に。メイドたちに案内させるよ。屋敷からは、絶対に、出ないように。どんなことが起きても、君は、君自身とお腹の子を守るんだよ」
小声を使う。
小声を。
老貴族は何かを恐れているのだと、リースは見抜いたが。しかし、口はつむがれたままであった。
死にたくはない。守りたくもある。
命は、罪よりも重い。




