第三話 『少年王の受難』 その7
アレサが風を完璧に読み、ザードは彼女のブーツが伝えてくれる方向へと飛ぶ。
「地形も見るんだぞ。肌で、風だけでなく、熱の流れも感じ取れ。お前は、すでに感覚で知っているはずだ。それを、知識でもこなす。知識の檻に閉じ込めるんじゃない。知識で、感覚をより精密に、より正しく使いこなすために使うんだ」
『……ふん』
「いい返事だ。静かな飛び方をしている。ムダな力を使わない。翼の傷口にも、背中の筋肉にも、これは影響が少ない穏やかな飛び方だ」
『ぬるくて、おそい』
「そうだとも。それを、目指している。遅く飛べば、疲れない。体を守れる。敵には、見つかりやすくなるかもしれないし……敵に、多くの行動をさせてしまうが、焦るな」
『おれは、あせらん。いちばんつよいから、そんなことは、しない。だが……つよさは、ほしい』
「それでいい。一致しなくてもいいのだ。今は、まだ。お互いの感情程度しか、分かり合えていないようでは……より深いところまでを知ることは難しい」
『そんなひつようは、ないしな』
「私は知りたいぞ。そっちの方が、間違いなく強いから」
凶竜ザードの心に、どうすればより深く入れるのか。アレサもそれを探している。企みを使うことではなく、己の本質を明らかにしていくことで。
強い竜を作りたい。
強い竜騎士を作りたい。
力を得たい。
力を愛する怪物たちは、その点で深く一致していることを示す。それが、現状では最も強い両者の絆であった。
『はらがたつぜ』
「私は、とても気持ちがいいんだぞ。私のザードよ」
また、首の付け根を撫でられてしまう。その所作は、竜に慣れた指は、これもまた本能へと深く伝わってくれるものであった。
はらがつ。その一方で、心地よさにあふれている。否定したくない、やわらかな指。
「竜は、ここが気持ちいいからな。しっかりと、私の指を覚えてくれ、ザード」
『……そんなことより、とびかただ』
「ブーツの動きでも、伝わるだろう。ああ、そうか。言葉でも、伝えるべきだな。コミュニケーションを取ろう、たっぷりとだ!」
片思いの乙女のように、アレサは熱心である。その様子は、夫となったばかりの男には新鮮に映った。それに押され気味のようにも見えるザードも、抱いていた印象とは大きく異なる傾向であった。
「可愛いところがある方々で、オレも安心できるよ」
「あなたもトラブル・メーカーなところがあるんですから、発言にはお気を付けください」
「そうだねえ……おじさんの軽口は、良くないところに火をつけちゃうからね」
古代からそうだった。場をわきまえない発言が、多くの戦乱を招きもする。誰かのつまらない失言のせいで、燃え上がった戦はいくらでもあった。
歴史的な失言でなかろうとも……マジメな会話をしているときの皮肉めいた言葉は気をつけないといけない。誤解されることもあった。
「オレはついつい場を和ませようとする悪癖があるからね。ほら、悲しむべきときに道化を演じるおじさんって、いるでしょ?」
「はあ。私に絡むうちはいいんですけどね。ザードいじりとか、アンジュー家いじりとかはやめてくださいよ?」
「しないさ。命を安売りしていたのは、二十年以上も昔のことで、今は詩作活動を中心に日々を過ごすような、愛らしいおじさんなんだから」
「そういう軽口が、誤解を生むって、知っていますよね。どうして、知っていて、修正することが出来ないのでしょうか」
「自分の悪癖は、見過ごしがちなものだよ。ついつい、擁護しちゃうっていうかさ。メリッサ君にも、そういうのって、あるでしょ?」
「あなたの人間観察が、私にどんな悪癖を見つけているのかは知りませんが。可能な限り、良い道具であろうと心がけています」
「……だよね……そんなカンジ。有能だもん……おじさんも、がんばるとするよ」
「私のメイドと夫が、仲良きようで嬉しいぞ」
『……なかが、いいようにはかんじない』
「おしゃべりし合う。殺し合っていない。それは、とても仲が良いということだ」
『……なるほど』
変な価値観を学習することを止めるべきか、止めないべきか。おしゃべりな中年男は考える。常識を凶竜ザードに教えられることが出来たなら、ストラウス家は『第二のフィーエン』を手に入れることになるが……。
ザードは、『第二のフィーエン』という立場など、超えて欲しいとアレサは願っているだろう。
「……女らしい欲望ってのも、あるよね」
「何か、トラブルを招きそうな言葉を、口にしようとしていませんか、ジーンさん」
「……ああ、そうかも。口からは、出さないようにしておくよ。気にしないでくれ、レディーたち」
「嫌な言い方ですね。でも、気にしてあげませんよ」
「そういう塩対応が、いいんだよ。おじさんには効くからね」
……言わない。心に閉まっておこう。
ザードを自分の子供にでも見立てて、より有能な男へ育てようと必死なようにも見える。母性。自らの願望を投影してもいるような……。
クインシーが政治的な国母を目指したのならば、アレサは軍事的な国母にでもなりたいようだ。彼女の人生には、自分が子供を出産するという計画はないのかもしれない。
ただの、自分の経験則ではあるが……子供がいた人生は、きっと、今よりも幸せだったんじゃないかとも思う。子供……か。
「いらんことを考えている場合ではないな。もう、遠くにだが見えて来ちまったよ」
「ええ。アンジュー家の領地に入ります。お姉さま、準備を。ザードを見て、攻撃してくる者がいないように、警戒を強めなくてはいけません」
「そうだな。アンジュー家の政治的態度が、現状でどちらを向いているのか、分かったものじゃない」
「弓隊を配置している可能性もあるぞ。あらゆる客を追い返しておきたいという動機で。アンジュー家は、どう転んでも安泰。商いは順調さがある。バロウの勢力や、我々のような反バロウの勢力のどちらからも距離を取りたがるかもしれない」
「八方美人を貫くか」
「それが、商いの上では最も正しい。より多くの顧客を手に入れる。政治が強いる専属の客ばかりでは、ちょっとした政変と共にビジネスの構造が破壊されてしまうからね。無能な商人でなければ、八方美人というのが商人のただ一つの正解だ」
「そう。だが、商人の顔だけではない。ガルーナの貴族でもあるわけだ。問いただしに行こう。アンジュー卿のもとに……ザード、ムダな攻撃は、するなよ」
『やられたら、やりかえす』
「それでいい。やられるまでは、平和に行こう」




