第二話 『黒竜の誓約』 その23
空の上を竜の群れが動く。加速していくザードの動きに備えるため、バロウ勢力の竜らは羽ばたきを重ねながらも隊形を維持した。アレサとの戦いで負った傷からあふれる血のにおい、それを追いかけようとする竜の本能と、竜騎士からの制御がぶつかり合い、その追跡は整えられる。悪くはない、妥当な帰結であった。しかし、その程度でしかない。
「本能と理性をぶつけ合わせると、あれほど竜の飛び方は色あせてしまうんだよ」
残念だった。竜と在り方と、竜騎士の在り方が、ずれてしまっている。ザードにはその感覚がまだ分からないが、竜の動きにぎこちなさがあることは理解できた。
『……つまらんとびかただ。ひとなどと、つるむから、ああなる』
「違うぞ。正しく竜と語り合えないから、ああなるだけのことだ。私とお前は、上手く飛んでいるだろう。翼の力をまだまだ残しているのに、これだけ速い」
『もっと、はやい。きずをおっていて、おまえなんかがのっているからだ。おもくて、しょうがない』
「軽いぞ。女の体はな。お前の負担になど、なるものか」
『きやすく、くびをなでるな』
「愛おしいのが悪い。反抗的な気高さも、私の心をくすぐる。竜とは、そうでなければ」
『しはいしているのは、おれだ!』
「支配したいわけじゃない。共に在りたいだけさ。お互いが、力を合わせるだけ」
『……わからん』
「いいや。賢いから、分かってしまう。風を乗りこなしながらの、羽ばたき。その瞬間に、私の動きがお前の負担を消しているじゃないか。竜だけでは、この反動を消せはしない。だが、竜騎士がいて、正しい乗り方をすれば、翼をより強く使えるんだ」
『……ぜったいに、おまえなんか、いないほうがはやい』
認めたくはない。
認めたくはなかったとしても、現実を否定するほど愚かな知性をザードは持ってはいなかった。正しい言葉だ。翼を、使いやすいと来ている。独特の使いやすさだ。単独での飛行では、使えない力がここに実在した。
「その力はな、受け入れて、認め合わねば出せない力なんだぞ。互いへの敬意が、力の価値を決める」
『けいい、など……』
「強い私と、弱い私。どちらが、ザードの背に相応しいのか」
『……ずるい、といだ』
『ずるさも、賢さだよ。人はな、こういう手法でしか、賢さを使えない』
『だめないきものだな』
「そう。弱くて、ダメな生き物だ。愚かさが目立つ。たいして強くもないのに、竜よりも傲慢に振る舞うことだってある」
『きらいだ』
「嫌っていていい。全ての者を好きになる必要もない。相応しい強者だけに、身を許せ。心を開くのは、認めた相手だけでいいのだよ。気高いとは、本当の竜とは、そう在るべきだから」
竜を愛しているからこそ、伝えたい価値がある。より深めてやりたい意味がある。
「200年、ガルーナの竜騎士と竜が共に生きて、ようやく培うことの出来た技巧と知識がある。この歴史が成し遂げた、強さの証明を……お前にくれてやろう。真に最強の竜となるべく、我々の血と魂が空に遺した歌を……歴史を、お前のものにするんだ」
アレサが身を低くする。ザードの傷だらけの首を抱きしめるのだ。
「深みだぞ」
『!?』
予告のあとで、朝の空から風の圧力が消える。風は気まぐれに振る舞うものだ。強くもあり弱くもあり、いきなりの空白で空にいる者を襲う。読むことは困難で、それに備えるほかない。
竜や鳥、翼がある者はそれに合わせて、翼を使えばいいだけだ。羽ばたいて誤魔化すことも、翼を閉じて降りて加速することも、自在である。だから、それほど深くは感じ取ろうとすることもない。
「翼を持たぬ者は、これを怖がる。弱いからこそ、繊細に知覚が使われることもあるんだ。それは、強さを補強する。今みたいに」
落ちるはずだった。ある程度、風の力を失えば、羽ばたきでの対処をしなければ、そうなって当然だ。しかし、その現象が起きない。アレサの動きに、ザードの体は反応させられていた。羽ばたきを強め、加速するように。首への負担が、自動的にその反応を作っていたのだ。
その結果、風のない深みに落ちることはない。速さを失いもしなかった。さらに……。
『うしろのやつらは、おちた』
「そう。下手だからな、竜騎士が。空にも、不慣れだ。情けないことに」
首を向ける。翼を使わせ過ぎて、余力を失くしていた竜を、この無風の穴に落とした間抜けどもを見下すために。
「私の動きを見ていなかった。動きに潜在する意味を、見ていなかった。だから、この差が起きる。これはな、ザードとお前たちの竜の翼の差ですらない。それ以前に、竜騎士の失態だ!!」
怒り。
それが湧き上がる。竜の強さを損なわせる、みじめで不勉強で怠惰な竜騎士を、竜騎士姫が許せるはずもないのだ。それは、彼女の愛への冒涜に等しい。竜騎士ならば命の限り空を学ばねばならない。天才であり努力家の愛は、生ぬるさを何より嫌う。
「竜騎士と、名乗っておかせるべきではないなッッッ!!!」
愛を喰らった怒りが燃える。魔力の昂りとなり、殺意が……ザードと結びつく。ザードは、同じ貌となる。怒りと殺意。それを伝えられて、理解し……共感もしていた。一致したのだ。敵どもの弱さが許せない。
この二体の獣は似ている。
群れの弱体化を許せない本能を持っているのだ。誇りゆえに、愛ゆえに。その動機の差など些細なもので、望みは全くの一致があった。だからこそ、この湧き上がる感情の一致が楽しく、嬉しいと思えるのだ。怒りを帯びているのに、笑顔となった。竜と竜騎士が、戦いの場で浮かべるに相応しい表情そのものに。
右のブーツが動く。右の翼が動く。無風の穴に落ちたとき、隊列は崩れた。竜と竜騎士の対処の能力が異なるからだ。竜に任せた竜騎士もいれば、竜騎士の選択を待った竜もいる。個々の力を律して作っていた隊形全体の速度は、今や不ぞろいに乱れた。
想定外への対応と、それからの回復には個性が出てしまうものだ。とくに余裕のないときは如実に。強さが違うのに、余裕を捨てて追いかけ過ぎてしまっていれば、補い取り繕うための力が出し切れないままこの結果へと堕ちる。大きな隙であった。
この隙を、見逃すのろまな捕食者はガルーナの空にいない。
『ゆるせないなら、すべきはひとつだッッッ!!!』
旋回を完了し天空に君臨した者たちが、はるか下方にいる獲物をにらんだ。青い双眸と、金色の隻眼が殺気に煌めき。罰して淘汰すべき弱さへ、牙の浮き上がった笑顔を見せる。




