第二話 『黒竜の誓約』 その15
必中必殺の意志を込めていた牙が、影と霧を噛みつくだけで終わった。鍛冶屋が鋼を特大のハンマーで叩いたときに出る音に似て、その50倍は大きいであろう音が鳴って響く。
ザードにとっては屈辱の瞬間であった。
しかし、竜は怒りで知性の回転を損なうことはない。脊柱をうならせて、長い尾が漂う霧を撃ち抜きながら空中に弧を描く。鞭の動きであった。長い尾と胴体、さらには首と翼まで連動させてこの跳躍しながらの尾の一撃は繰り出される。
その先端は、実際の鞭と同様に音速を超え、空気を撃ち抜き破裂させる音を立てながら……アレサの頭上から降り注いだ。この速度とリーチに人間の肉体が反応することは、不可能である。『予測』していなければ、間に合わなかった。
ドガシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!
尾の一撃のあまりの威力に土が鳴り、爆ぜて飛び散っていく。
肉の折れる感触も、骨が砕ける感触も不在であったことに凶竜ザードの表情に怒りのしわが寄った。歯ぎしりする。屈辱だ。二度も、必殺であるはずの―――必殺でなければならない攻撃を避けられてしまっただと!?
『ふざけるなあああああああああああああああああああッッッ!!!』
熱くなる。血が、肉が、魂が。屈辱を浴びてプライドが燃えて暴れるのだ。牙を使い、巨体を揺らし、尾で叩きつける。
地上を走り、跳び回るアレサはそれらの攻撃を当たるか否かの距離で避け続けた。たまにはかすってしまうが、その衝撃に上手く身を乗せるように踊り、深刻なダメージが通らないようにすり抜けていく。
「お姉さま……ッ」
「すごいな。竜と、しかも……ザードと、あんな間合いで戦っているのか。避けている。フィーエンと、長く稽古を積んだおかげか」
「はい。それも、あると思います。でも、それだけじゃない。ストラウスの技巧も、知識も、竜が教えてくれた動きも……ザードには通じない。これは、お姉さまが天才だからやれていることです。見なくちゃ……見て、覚えておかなくちゃ……ッ」
メイドは涙を流し、身を震わせながらもこの決闘をにらみ続ける。辛いのだ。一度でもミスを犯せば、愛するアレサは肉片にされてしまうのが分かる。
それに、ザードがどんどん成長しているのも理解が及んでしまった。あれはやはり規格外の竜。フィーエンの『最盛期』は遠い昔であったため、メリッサも知らない。だが、知りえる限りの竜の動きは、今のザードの動きより数段遅く、みじめなほどに弱く見えた。
彼女の認識は非常に正しいものである。
ザードは、竜を滅ぼすために生まれた竜。
弱体化した群れをせん滅し、自らの血で新しい王朝を築くために生まれて来たのだ。どの竜よりも強く、全ての竜に勝る―――竜の霊長。
「はあ、はあ……ッ」
「おい、メリッサくん。あまり、無理するな。この決闘を見るのが辛いなら……」
「辛いですよッ!!怖い、ですからッ!!いつ……いつ、あいつが、私のお姉さまを殺してしまうか、分かったものじゃない……ッ。でも……見る。見届ける。見て、見抜くッ。記憶しておくんだ……お姉さまの願いだから、竜騎士を、完成させるために!!」
もしも、お姉さまが殺されたら。
そのときは―――何年かかっても、何十年かかっても。
……私が、ザードを殺してやるんだ。そのためにも、覚えておく。全てを、全てを。
アレサ・ストラウスは天才的な記憶力と風使いの力を持つメイドに、苛烈な使命を与えていた。勝利しても、敗北しても。メリッサはこの苦悩の時間を思い出しては、心を傷つけることになるだろう。
「……強い愛だ。それが、こういう忠誠を成すんだね。真似は出来ん」
「どうでしょうか。あなたは……邪魔する気ですから」
「バレてるか」
「邪魔しないように、見張れとも言いつけられています」
「アレサは、スゴイな。何でもお見通しだよ」
「……妨害しますよ、命令には、絶対に従うんですからね。でも、でも……本当に、お姉さまが……危険になったら……邪魔する私を……殺してでも、助けて……ッ」
「……ああ。それが、互いの望みならね。でも、そうはならないよ。アレサは、使命を果たす。彼女は見えて来ているようだ。ザードの動きに、慣れて来ている。君が言った通り、正真正銘の『天才』なんだ」
「……お姉さま……」
「笑っているだろ?……少しばかり、不謹慎なことではあるが、楽しんでいる。自分を死の淵に追い込むザードと戦うのが、楽しくて仕方ない」
「……ええ。お姉さまは、誰よりも竜を、愛していますから。だから、愛されるべきです。竜にも、愛されなくちゃ。私の一番大切なお姉さまの、最も深い愛を……あげるんだから」
嫉妬深い乙女は、祈る。
死に追い込まれてしまいながらも、それを楽しむ竜騎士姫を見つめながら。
涙を拭いて、あらゆる感情を込めて、叫ぶのだ。
「お姉さまあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!絶対に、絶対に!!ザードに、勝ってくださいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」




