知らない子
大学生の頃のことである。
憧れていたとは言え、まったく異なる環境に戸惑うばかりであった私は都会での生活に疲れ、夏休みが始まると同時に帰省した。
故郷に帰っても連絡をとるような友人もおらず、慣れぬ暮らしに疲れていた私は怠惰に日々を過ごしていた。
私の田舎は雪国だが、山々に囲まれた盆地で、夏は大変気温が上がる。それでも風が通れば涼しい。
それに、父も母も仕事に出掛けていた。そしてその日は祖母も何かの用事で不在であり、私はひとりであった。
安い集合住宅の生活音が始終密着し、よく眠れぬ夜が続いていた為か、久しぶりの孤独は開放感すらあった。小学生の頃に与えられた自室のベッドで蝉の声を聞きながら寝そべり、本を読んでいるとうとうととしてしまう。
とろりとした眠りに身を任せようとした、その時であった。
何かが私の手首を掴んだ。
痛くはない。
しかし、しっかりとそれは私の手首を掴んでいた。
触れた。
そう感じた途端に、体が動かないことに気がついた。
それは手であると感じた。
細い指が、私の手首に絡まりついている。
それが指であるとわかった時に、子供だなと思った。
四歳か、五歳くらいの男の子だろうか。
目を閉じたままであったのだが、なぜかそんなふうに見えた。
見えぬ筈なのに、小さな男の子が私の手首を掴んでいるのが見える。男の子はフローリングの床に膝をつき、ベッドに横たわる私を見つめている。そして、手首を掴んで、時折力を込めて握った。まるで構ってもらおうとしているようだった。
家の中には私ひとりしかいない。
男の子など、いる筈がないのだ。
嫌な感じはしないのだが、妙に体が強ばっている。頭では動きたい、その手を振り払いたいと思っているのに体がそれを拒否している。背中には冷や汗が滲んでいた。
男の子の手はゆっくりと私の腕を伝い上がる。
ぎし、とベッドが軋んだ。
男の子がベッドに乗り上がったのが判った、
彼が、何かを言っている。
うまく聞き取れない。
□□□ちゃん。
名前?
誰かと間違っているのだろうか。
違うよ。私じゃないよ。
□□いちゃん、遊ぼう。
おにいちゃん?
違う。
私じゃない。
小さなてのひらが、首に触れた。
暑い最中に、氷のように冷たい。
ゾッとする。
違うってば!!
磔のようにされた体を無理矢理に起こし、私はそれを振り払った。
なんだ、起きれるじゃないか。
起き上がると、そこには誰もいなかった。見慣れた私の部屋である。ドアも閉まっている。開け放った窓辺から流れ込む風で、僅かにレース地の白いカーテンが揺れていた。もちろん、そこには誰もいなかった。