05
稲はモモタリに腕を引かれ社に入った。
その社には裏口があり、そこから長い長い廊下が続いていた。
廊下はぐにゃぐにゃと右へ左へと曲がりくねり、稲の顔の高さすべてが透明度の高いガラスが張られていた。そのガラスには切子のような毘沙門亀甲が彫られている。
隙間を埋めるように張られたガラス窓から稲が外を覗くと、お屋敷のような大きな建物が窓を埋めるように現れ、稲は何とも言えない恐怖と高揚感を感じた。
互いに一言も発さずその長い廊下を歩き切ると、お屋敷という言葉が似合う大きく立派な社の中に入った。造りは先ほどの小さな社と同じ神明造のようで気品がある。
「こ、こんな建物があったなんて…」
「ここは本殿」
「あの小さいのが本殿じゃないんですか?」
「あそこは拝殿」
幼いころから通い詰めた鳶頭神社にこんな大きな建物があったなんて驚きだ。どうして誰も教えてくれなかったのか不思議になるくらい大きい。
小さな社の裏は山になっているので木々に埋まって見えなかったのだろうか、だとしても埋まっていたのが疑問になるくらい立派だ。
「ナンギョクー!」
モモタリが社の奥に向かってそう声を張ると、奥から十歳ほどの少女が現れた。
彼女は長いであろう緑灰色の髪を頭の上で結っている。それも輪っか状に二つ。古代人のようで可愛らしい。
「あーいー…」
間延びしているもののまっすぐな音程の独特な返事をしながら、ナンギョクと呼ばれた少女はよちよち歩きでこちらにやってきた。少しふらついているようにも見える。これまた服装も古典的な和服だ。子どもからすれば歩きにくいことだろう。
大きな黒目がちの瞳をきゅるんとこちらに向ける。精巧な陶器人形のように愛らしい。
「連れてきた」
「あーいー…、輿入れのご準備ですねー…」
眠いのかそうでないのかわからないが、舟をこぐようにナンギョクは二度頷いた。
「こ、輿入れ!?」
「結婚する…っていったじゃん」
「ま、まって…!」
慌てる稲を見てモモタリは少し目を細めた。
「今更?いやなの?」
「い、今更も何もないとは思うんですけど、けど」
「けど?」
「わ、私たち」
「私たち?」
モモタリは首を傾げて稲の次の言葉を待つ。
もごもごと稲は顔を赤くしてその場で足踏みをした。そんな稲を愛おしそうにモモタリは見つめている。
「えーー…と、そのぅ…、…お、お互いをもっと知らないと!」
…やっとの思いで出てきた言葉がそれだった。
「家に帰して!」とか「これはいったいどういうこと!?」とか「そんな約束覚えがない!」とか…いろいろ言いたいことはあった稲なのだが、あまりにも目の前の男の顔が整っているためにもう言葉が出てこない。
疑問でも否定でもなくどこか結婚を肯定しているような言葉が出たのはきっと稲の中にこのイケメンを逃すのは惜しい…とでもいうような邪な心が作用したのだろうか。
「…なるほど、一理あるね」
モモタリは感心したようにそう答えると嬉しそうに微笑み「奥へ」とナンギョクへ命じ、優しく稲の手を離した。稲は名残惜しそうに離されたモモタリの手から腕、そしてそのまま顔へ視線を上げた。モモタリは「少し待ってて」と言った。すると、稲が瞬きをする間にモモタリは消えてしまった。