03
稲はモモタリにキスを落とされた自分の額を手で覆った。何が起こったのか急ピッチで頭を働かせるが理解不能だ。脳内でエラーが延々と吐き出されている。
とりあえず稲は後退り、モモタリと距離を取った。そんな様子の稲を見てモモタリは吹き出すように笑った。
「後退は敗者の行為だけど、イネがするとかわいいね」
そういってモモタリは自身の頬を包むように覆い「やっと会えてうれしいよ」と言葉を続けた。
「け、けけ、…結婚?私と、あ、あなたが?」
未だに理解が追い付いていない稲は、改めてモモタリから発せられたその単語を口にした。すると、稲は自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。史上最も稲の顔は赤くなっていることだろう。
稲はこれまでの人生、誰かに告白されたこともなければ、お付き合いもしたことがなかった。
ましてやキスなんて身体のどこにもされたことがなかったのだ。
「約束したろ」
モモタリは愛しいものでも見るような微笑みを稲に向けた。
いつの間にやら稲との距離を詰めたモモタリは「行こうか」とだけ言うと稲の手を優しく取った。
異性と手をつないだことすらない稲は完全なるパニック状態となり「ま、待って!待って待って!」と思ったよりも大きな声を出してしまった。自分でも声の大きさに引いてしまうほどの声量だ。
しばらくモモタリと稲は引っ張り引っ張られを繰り返しその場で物理的な押し問答を続けていると、背後から少年の声が響いた。
「お!おい!お前!今すぐ稲の手を離せ!」
二人が声の方向へ振り向くとそこには稲と同じ制服を纏った少年が大きな竹ほうきを構えてこちらを睨んでいた。
彼はこの鳶頭神社の神主の息子、粕川大和だ。
稲とは幼馴染で、今の時間帯は学校の、はずだ。
「や、大和…」
「学校さぼって今日で五日目…だからさすがに単位やばいんじゃないか!と思って探してたらこれかよ!」
大和は説明口調でそう叫び「これはいったいどういう状況だよー!」と稲に問いかけた。稲は涙目のまま大和をみた。
そんな稲を見て大和は怒ったようにモモタリを睨むと「おい!お前!稲を離せって!」とより声を荒げた。
モモタリはそんな言葉を浴びせられても全く焦った様子はなく、反対に少しめんどくさそうに眉間にシワを寄せた。
「矛を向ける相手を間違えてるぞ」
先ほどまでの緩い口調でも声色でもない凛とした話し方でモモタリは言った。モモタリはきつく朱色の瞳で大和を睨むと、稲の腰を引き抱き寄せた。胸元からとういうわけかいいにおいまでする。これがイケメン…?と、異性への免疫のない稲はもう気を失いそうだ。
「俺はここに祀られる者だ。そして、お前は俺に仕える者だ」
そんなモモタリの発言に「は?」と大和は素っ頓狂な声を発した。
ちなみに稲も「は?」と思ったが目の前にとんでもないイケメンがいるので脳は九割視覚画像処理に使用され、疑問が口から出ることは叶わなかった。
「人間はどうしてこうもみんな野蛮なんだ」
と、モモタリはアンニュイに頭を抱えるようにした。その仕草すら美しい。
「お前に俺を止める権利はないぞ」
と、声を低くしてモモタリは言うと、稲をもっともっと強く抱いた。
稲は腰を引く大きな男性の手の感覚に「おひゃあ!」とだけ声を上げ、全身ぐつぐつに煮えたような感覚を受け入れていた。このままマグマにでもなって死ぬんじゃないかと思ったが、まだ自分の身体は人の形を保っている。
「な、なに言ってんのかわかんねえけど、今の状況だけ見たらお前はただの暴漢だ!」
大和はそう言って、ほうきを構えてモモタリへ振りかぶった。
「武神である俺に戦いを挑むのか?」