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稲は渡り廊下に設置されたソファに座っていた。
あんなさっきプンプンの怖そうな妖が鎮座している自分の席に座ることはできない。
大きくため息を吐き「こんなことなら家にいればよかった」とぼやいた。
「あれ、赤城さん」
背後から声をかけられ稲が振り返ると、そこには見るからにか弱そうな男性教師が立っていた。
稲のクラスの副担任を務めている多聞力、理科教師だ。
大きな銀縁メガネによれたワイシャツ、地味な茶色いスラックス。いかにも地味で弱そうなのに名前が力…生徒に時々からかわれているが温和で優しい性格なので生徒たちからは慕われている。
稲はおずおずと立ち上がりソファから離れ、多聞の近くへと移動する。
「多聞先生…」
「さぼりですか?」
ぷくりと頬を膨らますように多門は言うと「…教室にはいきましたか?」と優しい声色で稲に聞いた。
稲が返事をせず目を泳がせていると「…だと思って職員室にプリント取ってありますよ」と多聞は微笑んだ。
面倒見のいい先生ではあるんだけれど、どうも稲がいじめられている…と思っている節があるようで会う度ちょっとかわいそうなものを見る目で向けられるので稲は多聞が少し苦手だった。
「どうもありがとうございま…」
泳がせていた視線を多聞へと向けた稲だったが、最後まで言葉は続かなかった。
多聞の肩口に先ほどまで稲の席に座っていた少年が顎を乗せ、じっとこちらを睨んでいたのだ。
「…先生、あ、あの」
「どうしました?職員室まで一緒に行きましょう」
少年の妖など見えていないだろう多聞は優しく笑う「今回は七
じっと多聞の背中を稲は見つめた。少年がべっとりと多聞に張り付いている。…多聞の背中から少年の上半身が生えているように見え、稲は気分が悪くなった。
「…赤城さん?体調でもわるいんですか?」
呆然と立ち尽くしている稲を心配しているのか、多聞は振り向き首を傾げた。
稲はどうも足がすくんでしまい、歩き出せない。
そんな稲を見て多聞は「大丈夫ですか?」と歩み寄ってくる。
多聞は親切心からだろうが今は近寄ってきてほしくない。稲はずりずりと足を引きずるように後退った。不思議そうな表情のまま多聞はこちらに距離を詰めてくる。足が震えている稲にすぐ追いついてしまいそうな歩幅だ。
『ナンデイキテル』
多聞の肩口からぐっと首を伸ばした少年の妖は地を這うような低い声で言った。
息がしずらい、稲は呼吸が浅くなりながら必死に多聞と距離をとる。多聞はそんな稲の行動に困惑したまま「赤城さん?」と呟いた。
「イネ様~」
困惑した多聞と浅い過呼吸気味の稲だったが、奥の廊下から稲を呼ぶ声に稲は顔をそちらに向けた。
多聞の背後からモモタリの従者である双子が走ってきていた。
「イネ様~!」ニコニコとコウギョクは手を振り、その後ろからよちよちと無表情のままナンギョクも小走りでついてきている。
稲は全身の血が引いていくのが分かった。コウギョクとナンギョクが妖に目をつけられては大変だ。
「ん?子ども?」
多聞が振り向くと少年の妖から金属同士をすり合わせたような嫌な音が響く。
少年は歯ぎしりをしているようだった。色素の薄い髪の毛の隙間から大きく見開かれた瞳と食いしばられた口元が透けて見える。
「こ、こっちにきちゃだめ!」
稲がやっと思いで声を上げると、なぜか多聞が肩をはねさせ「ど、どうしたんですか赤城さん、親戚の子を学校に入れちゃったからって先生はそんな怒りませんよ…!」と見当違いな返答をしている。
コウギョクとナンギョクは稲の声が聞こえたのか聞こえていないのかそのまままっすぐ稲の元へ走ってくる。そんな二人にやきもきし、稲は自分も走りだしコウギョクとナンギョクを迎え抱きしめた。
多聞の隣をすれ違ったとき、何かが折れるような大きな音が響いた。
稲は目をぎゅっと瞑り、コウギョクとナンギョクをかばうように抱きしめ続けた。