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黒髪の暗殺エルフを彼女したら大変だった件についての報告書

作者: ルグラン・ルグラン

      ◇報告書ナンバー A0023567 ◇

       報告者:天道廉二郎(種族:人 男性 20歳 )

           ギルド番号  C34405 

           ソードマスタ LV71

           提出日:王都歴325年8月12日

         書類審査管:パメラ(イニティウム郡/第3ギルド長)

         審査通過日:王都歴325年9月1日

            補足:口語手記、音声自動記( > にて表記)

               追記 (ペンテレシア)



<報告書本文:天道兼二郎>


 俺は天道廉二郎。この辺では珍しい極東の国の出身だ。皆は俺の事を“レン”と呼ぶダンジョン冒険家だ。これまで女性とは親しい関係をもったことのない、さえない音の恋愛事情である。それを以下にまとめる。


 これは俺と彼女との出会い、この奇妙な“連れ”についての出会いから現在までをまとめた報告書である。



>   「奇妙とは随分、失礼じゃない?」

>   「実際にそうだからな。それより横から読まないでほしいが…」

>   「いいじゃないの! 私の事を書くんでしょ? あとで必ず読ませてよ」

>   「わかったから、あっちに行ってくれると助かる」

>   「変な事…書かないでね。あとで怖いわよ」

>   「…はい」




 俺は刀匠の家で、次男として生まれたが、家業は一子相伝、次男の俺は継ぐことができない。そこで、十四で家を出ると王立軍学校から軍に入った。剣術大会では常に上位の腕前で、将来を嘱望されたが、どうも軍の組織や規律になじめず…除隊して、フリーの冒険者となった。


 その後は冒険家として、地方のギルドに登録すると、世界各地のダンジョンの攻略で生計を立てた。刀匠の家系のためだろう、ダンジョン攻略で手に入れた貴重な古代ドワーフの鍛えた逸品に感銘し、刀剣のコレクターに目覚めてしまった。いろんなパーティに加わっては、地下に眠る過去の銘品に出会うのが楽しくなった。



 より良い逸品を探して、過去のドワーフの王国があったといわれる極東の街“アウローラ”に移住した。この近海には多くの島があり、各島には未踏のドワーフ・ダンジョンが数多く残っている。アウローラの街は、アイテムコレクターにとって素晴らしい場所なのである。



 冒険者はパーティを組んでダンジョン潜るのが普通だ。しかし、パーティだと銘品を発見しても、帰還するときに分配はくじ引きとなることが多い。くじ運悪く、目の前でお宝がを逃すことが耐えきれなくなった。


 そこで、ソロでダンジョンに潜ることが増えた。一人ならお宝はすべて自分のものとなる。当然、リスクも多く、自分の実力の限界を常に考え、潜る回数も少なくなった。


 俺は生活費を稼ぐために、冒険者だけでなく、趣味が高じた集めた武器を売買する武器屋を始めることにした。


 自分でも刀匠の真似事で刀を鍛えたり、持ち込まれる刃こぼれした剣を修復したり、冒険者の装備をメンテナンスする。これが意外と実入りがいい上、各冒険者パーティとのつながりも広くなり、情報も集まる。下手な情報屋よりも情報が入ってくる。


 しかし、ソロでは攻略の難しい深い階層のダンジョンに入る時だけは、信頼のおけるパーティに加わることにしている。




>   「あなたって、本当に武器フェチだものね」

>   「悪いか?」

>   「いいえ。でも、ソロで行くのはもう、止めてほしいわね」

>   「君も来るのか?」

>   「もちろん。これからはソロではなく、ペアでお願いするわ」

>   「帰還後の分配で負けるのが、嫌だんだが…」

>   「まあ、私の武器をすべて奪ったくせに…よく言うわ」

   



「レン、起きてる」

 店の扉を勢いよく開けて、フローラが入ってきた。時々、一緒に組むパーティ所属の女剣士だ。剣技はかなりのもので、この街で上位三名に入れるだろう。レイピアを扱い、高速剣の使い手だ。

 最近はよくこの店に来る。武器の手入れをしてあげているお得意さんの一人だ。

「頼まれた剣か? できているぞ」


 レイピアを受け取ると、これからダンジョンに潜る相談をギルドでするという。自分もギルドに届ける武器があったので、一緒に行くことにした。

 フローラの淡い栗色の短い髪が風に揺れる。ブロンドの瞳、スラっとした長い手足、いつも短い服を着てスカートよりも動きやすいパンツルックに防御魔法が付与されたコートを纏う。少し日焼けした肌、南部から来たという彼女は、左右にレイピアを腰に佩く、“二神闘龍”という元龍族が編み出したと言われる古流剣術の指南役だ。



>   「あら、龍族系の剣術というのが残っているの?」

>   「かなり古い流派だと聞いているが」

>   「龍族の剣技はほとんど絶えているわ。人の世界で残されていたのね」

>   「直系は滅んでいて、亜流らしいが…」

>   「それは残念。今度、手合わせしたいわね」

>   「本気はやめてくれよ。フローラが死んでしまう」

>   「わたしの心配をしてくれないの? 龍族の奥義ならわたしに届くかも」

>   「君と対峙した経験がある俺としては、それは想像がつかないな…」

>   「それでも心配してほしいの・・・バカね」

 


 ギルドへの道すがら、フローラの剣の状況を伝える。

「最近、剣の摩耗が酷いな…」

「そうなのよ…私の剣は、魔法付与のできるミスリルが少しだけで含まれた鋼だからね。純粋な鋼の方が強度はあるのは知っているわ。でも、私の風属性スキルを付与したいから…ミスリルが混ざっているアスリル(純ミスリルに対して不純物があるものを“亜ミスリル鋼”のこと)にするしかねぇ…。もっとも、純粋なミスリルなら強度も付与も最大にできるけど、高価すぎて買えないし…というか、売らないでしょ、あれ?」


 店に一つだけ、純ミスリルのレイピアがある、

「おいおい、あれは売れないよ。家宝だからな」


「家宝ねぇ。…そうかぁ…なら、わたしがあなたの家族になれば使える、ってことかしら?」

 自分を指さしながら屈託なく笑う。


「それって…」

 意味深な台詞にちらりと横目で見ると、こちらを見つめて笑っている。いつもは男と変わらぬ接し方の中に、時より見せる女性的な笑顔。そのギャップが魅力的なんだよフローラは…。

 いかん、いかん、またからかわれている! いつもこの調子で本気にすると笑われるのだ。

「あのレイピアのためにか?」

 自分の動揺を読まれないように視線を外す。


「それだけって訳じゃないんだけどな…」

 そんな台詞にまた困っている俺の表情を楽しんでいるようだ。


「ギルドに着いたよ、レイ!」

「!」

 気がつくとギルド前に着いていた…。


「早く入ろうね」

 ウインクしながら、先に入って行くフローラ。こんな感じに、彼女にはいつも振り回されている。



>   「ぶー、この辺の下り、面白くないわ。削除!」

>   「わ、消すな! まあ、そのときの気持ちを正直に報告しないと…」

>   「いらない!」

>   「そうは言っても」

>   「いらない!」



 幼い頃から刀匠の家で鍛えられ、その後は軍隊、今は刀ばかりを見つめている…。俺の人生には華がない。色気もない。あるのは詫び寂び、いや錆ばかりか…。

 だからだろう…俺が鍛える剣は、剛剣ばかりで、しなやかさ、柔軟さ、が欠けている。折れやすいのだ。試合ならいいが、深いダンジョンなど、長期戦では使いにくい。


 それは俺の“未熟さ”だと思っている。そして、女性には柔らかさと強さ、その両面を持っていることに気づかされるのだ。フローラと接していると、いろいろと教えられうことが多いのだ。


 冒険者パーティを組んでいれば女性と出会える機会もある。しかし、俺は基本をソロにしている。その中でもフローラは数少ない異性だ。しかし、彼女のパーティのリーダーもいい奴だ。俺から見ると、二人はお似合いだと思っている…。フローラは「あいつはないわ!」と首を横に振るが…。

そうだな、できればソロの女性冒険者がいれば理想だ!


「そんな人、見たことないわ」

 顔が広いフローラでも聞いたことがないと言う。

「まぁ、その条件の女性は…諦めることね」






 ところが…である。その日、その条件の女性がいた。


 フローラに続けてギルドに入ると、彼女が奥に入らずに立ち尽くしている。

「どうした?」

 彼女の視線を追うと、ギルドの受付に冒険者らしき人物が立っていた。

 背はフローラよりも高い、全身フードに身を包み、外見は見えないが物腰は明らかに女性だ。


「まさか…」

 直感だが、この女性はソロだと思った。


 フードを深くかぶっているが、動き方に柔らかさがある。そして、驚くほどに隙がない。かなり“できる”。フローラも気になって注視している。いや、彼女の放つオーラのようなもので動けないのだ。

 ギルドには珍しく、他に人がいない。俺とフローラ、そして、フードの女性だけだ。


「ここで一番お宝がありそうな難易度Bランク以上のダンジョンを教えてくれるかしら?」

 フードの女はよく通る声で、受付にギルドカードを提示した。


“えっ!”

 横にいたフローラが小さく声を出した。


 Bランクと言えば、LV80以上がいないと難しい。この街で80超えの冒険者は数名しかいないはずだ。フローラは、どこかに仲間がいるはずだと、いないはずのギルド内の気配を探る。Bランクをソロで攻略できるはずはないからだ。もちろん、ソロの俺もとても無理だ。


「あの…お一人で、ですか? 」

 ギルド受付のパメラさんも躊躇している…、そりゃ、そうだ。その難度なら必ずパーティで行くはずだからだ。


 パーティであったとしても、Bランクは決死の覚悟で挑む必要がある。

 しかし、あのベテラン冒険者だったパキラさんが、ギルドカードを見つめて困惑している。記載内容に納得がいかないのだろう。パーティならギルドカードにパーティ名があるが、俺のようなソロだと空欄だ。おそらく彼女のカードは、そこが空白なのだ。


「レン。あの人、それほどLVが高いのかしら? わたしには…分からないわ」

 横でフローラが囁く。

「ああ、分からないな。しかし、あのパメラさんが困惑するとなると…」

 LV90クラスか…まさか。軍でもLV90は最強の団長だけだった。


 目の前の女性がLV90以上とは思えない。


 しばらく、悩んでいたパメラさんが口を開いた。

「Bランクとなると難度も最も高くなりますよ。ギルドでは、Bランクのソロ攻略は、斡旋していないのです」

 パキラさんの束ねた赤い髪が揺れている。少し彼女が圧をかけているのだ。

“ふざけるのも大概にしなよ、お嬢さん”

 無言でそう言っているのが、ここからでもわかる。


“ああ、やばいな! パメラの姉御は怒らすと、見境ないし…”

 彼女も軍隊上がりで、先の大戦でも活躍し、各地のギルドにも影響をもつ実力冒険者だ。彼女が本気で睨むと、大抵の冒険者は逃げるのが常なのだ。


 しかし、驚くことにフードの女はまったく怯まない!

「なるほど…つまり、あなたはわたしでは無理だと…」

明らかに先ほどの声よりトーンが下がっている。この女も威圧をかけている。


 ソロの冒険者には自信過剰が多い。多少そうでないとソロはできないのは確かだし、俺もこの街に来たときはそうだった。しかし、ここのダンジョンは他とは違う。古代ドワーフ王国時代の迷宮ばかりで、しかも未踏のものが多い。どれも初心者なら即死レベル、中級者でもたいていは瀕死で帰還する。

 つまり、ここのギルドは上級者専用で、当然、そのギルドをあずかる受付も手練れ揃いだ。その中でもパメラさんは破格に強い。 


 フローラは呆れるのを通り越して、フードの女性に同情した。

「何言ってんのかしら。あいつが外へ放り出されるのは時間の問題…」

 そう彼女が言い切る前に、大きな音と共に相手が吹き飛ばされた。


 それを見て、フローラが口に手を当てながら声を挙げた。

「嘘でしょ?」


 飛ばされたのは、パメラの方だったのだ。



「まさか…」

 そして、フードの女は此方を見ていた。被っていたフードはもうない。

「黒髪…のエルフ?」

 見たことがない…黒髪は、極東か、南方にしかない。エルフは西方だ。

 耳が尖っていなければ、同じ極東出身地だと思っただろう。


 フローラも驚いたように黒髪のエルフをみつめている…。


 視界に突然、淡いピンクの物体が舞っているのに気がついた。

「これって、桜の花?」

 驚くことに室内の桜の花びらが舞っている。


「どうして? 」

 思わずそう口にしたフローラがその花びらを掌にのせると、彼女はそのまま崩れ落ちた。慌てて倒れ掛かる彼女を支えた。腕の中のフローラにもう意識がない。


「春花の術?」

 彼女の手には、黒く光る刃があった。


「ほう、わたしの術の名を、古来そう言うと聞いたことがある…。術を知っていたといい、黒髪といい、危険な奴かな?」

 そう言って少し考えるしぐさをすると、小さく呟いた。

“眠らないのなら…殺しておくか”


 き、聞こえてますけど!

 眠らないのは、この手のものに昔から不思議と耐性があるからだ。


 ゆっくりと腰を下ろして、フローラを床に寝かした。

 相手は5m程先にいる。達人なら一瞬の間合いだ。

 何しろ相手は、あのパメラさんを簡単に吹き飛ばせる相手だ。


 明らかに俺よりも強い。


 視線を外さず、ゆっくりと彼女を中心に反時計回りに動く。フローラを間合いから遠ざけたいからだ。彼女を巻き込みたくない。


 相手もフローラを間合いから外したいという、俺の動きの意図を見切っているようだ。ありがたい。女はフローラには一瞥もくれずに俺に向けた視線を維持して、そのまま彼女もゆっくりと反時計回りに向きを変えている。


 フローラは死ななくてもよさそうだ。


 俺は死にそうだ…かなりの確率で。ダンジョンでも稀に龍族の生き残りや魔族などに出会ったことがあったが、その時と同じような寒気が走る。こういう時の直感は正しい! 何も考えずに逃げるのだ。

「いい判断だわ。逃げるのが最善手よ」


 心を読まれた?! 達人の中には相手の心の動きまで読むと…聞いたことがあったが、こいつがそのレベルか?


だとしたら、ほぼ生き残れない。


 しかし、フローラとパメラが倒れている。

 逃げることはできない!

「いい心構えだわ。殺すのは惜しい男ね」

 相手のエメラルド色の瞳が光る。


 それなら、見逃してほしいが…。

「それは、できないわよ」


 ギルドの中が恐ろしいほどの殺気に満ちている。


 俺の持っているのが、幸い、ダマスカス鋼の逸品だ。フローラの仲間たちに見せようと(自慢しようと)して持ち出した店屈指の銘釼だ。


 まず、折れることはない。


 もしも、初撃で相手の黒剣を折れれば、それで「ごめんなさい」と土下座でまるめよう。できなければ…死ぬ。


 この均衡を破れる瞬間を待つ。

 フローラの仲間がもうすぐ現れるはずだ。この場所で相談する予定だと、彼女が話していたからだ。彼らがあの扉を開ける瞬間に、彼女の気が乱れるはずだ。その一瞬しか機会はない。


 数秒が数分、数十分に感じる。

 あいつら、遅い!…約束の時刻通り来いよ!


 どうせ、道中でかわいい女子にでも声をかけているんだろう!

 真っ直ぐ来い!!


 間が持たない…


「君、この辺のダンジョンは他とは違って難度が高いのが多い。女性一人で入るのは無謀だと…」

 助言のつもりだったが、最後まで言わせてくれなかった。


「女性だから…ソロは無理? それは偏見ってもんだわ」


 俺は苦笑いをした。俺自身がソロでよく言われ、自分が言い返した台詞と同じだからだ。できれば、こんなソロの女と一緒にダンジョンに潜りたかったが…それも無理か。


 黒髪にエメラルドの瞳。おどろくほどの白い肌、長い耳、細身の体つきは、魔術師か精霊術士に見える。しかし、彼女の長い剣と腰の短剣から発する恐るべき殺気は、明らかに今まであった中で、いや話に聞いた中でも、最強の剣豪といえる。しかも、それが女とは!


彼女もすぐに殺す気がないようだ。

「ふん、剣士のようね。レベルは70前後、ってところかしら? この辺では高い方ね。しかし、あなたには特別な何かを感じる…危険だわ」

 瞳の奥の瞳孔まで見える。


 相手の微かな瞳孔の動きまでわかるほど集中しろ!


「天道廉二郎」

 相手の瞳孔がわずかに揺れて、黒髪のエルフは一瞬、考えた。

 相手が名乗ったのだと理解した彼女は、自分の名を口にした。

「ペンテレシア・オクタージュ」


 本当の名前だろう。なるほど、殺すつもりらしい。

「死人に口なし…か」

「その通りよ」



 その時、ギルドの扉が動いた。

「おーい、フローラ、遅れてすまない」


 来た!


 自分の名を口にし、扉に彼女の注意が移る。


 この間しか、俺が生き残る機会はない。


 この間しか、彼女の持つ抜き身の剣を折れない!



“抜刀、雲鷹の剣”

 これだけは騎士団長にも届いた必殺剣だ。腰から彼女もつ黒剣に薙いだ電光石火の抜刀術を繰り出す。甲高い音が部屋中に響き、凄まじい火花が散った。


 彼女の剣は二つに…


 折れなかった!



 彼女は剣の腹で受けず、剣の刃で受けていた。

 驚くことに黒髪のエルフは一瞬で俺の剣の軌道を見切ると、剣の軸回転させ、俺の必殺剣を受けた。


 “化け物”


 俺ができたことは…

 彼女の黒い髪が少しだけ切れただけだった。


 しかし、これがまずかった。


「あ、あたしの、髪を切った…」


 これが冷静だった彼女の感情に火をつけた。

「だれにも触らせず、ましてや切るなど…ありえない!」


 彼女は滅多切りに、刀を振り回すと、俺に向かってきた。

 しかし、自分の髪が斬られたことに、相当、動揺しているようで、剣に精彩さがない。俺でもかろうじて防ぐことができる…のは、俺の才が優れているのではなく、彼女が取り乱しているだけだ。それでも、彼女の剣は、どれも一撃必殺の剣になっている。少しでも、気を抜けばすぐにあの世行きだ。


「待て! ごめん、謝るから、俺も切るつもりはなかったんだ」

 彼女の凄まじい攻撃に防戦一方だ。

「うるさい、うるさい」

 涙目になっている。


「女性の髪を切るなど、万死に値する」

 そこは女性を主張するのか!

「ごめん、悪かった。償うから」


 ピタッと、彼女の動きが止まった。


「そうか…では、命で償ってもらおう」

それは、もう死者が地獄で聞く閻魔大王の台詞だといっても、信じられるような威圧だった。


 凄まじい威圧に思わず崩れるように後に下がる。机にぶつかり、上にあった筆記用のインクがこぼれる。


 突然、今までの凄まじい殺気が消え、まるで凪のようにあたりが静まったような気がした。

 さっきまでの圧力が嘘のように消えたのだ。まるで台風の目に入り、風がなくなったように…逆にそれが背中が凍るような恐怖に包まれた。命が危ないどころではない、魂まで斬られそうだ!


“極秘剣 陰月の太刀”

 突然、予想外の角度から恐るべき太刀筋が襲ってきた。それは俺の抜刀術よりもはるかに速く、避けることができない。しかし、彼女はそのまま俺を胴から二つに斬れたはずなのに、それをせず、敢えて俺の剣に折りにきた。


 手に持った剣が震えている。いつ、当たったんだ。そして、絶対に折れないはずの剣は、彼女の凄まじい太刀で、二つに折れてしまった。


 おれの“雲鷹の剣”を一瞬で真似したのか?

 そして、この剣を折ったのか! ダマスカス鋼だぞ!


 しかし、横目で見る彼女の眼は氷のように冷たく笑っていた。

 今、通り過ぎた“必死の剣”は“月の太刀”で、その月には陰がある。

 彼女が帯びているもう一つの小袖のを剣を逆手に合わせ、二つの太刀は1つの両刀剣となり、この第二の太刀が“陰月の太刀”となって、相手を両断する。

 陰月の太刀は、連続の死角からの攻撃で、誰も避けることはできない。いかなる剣豪であろうと、この剣は斬る! 誰も避けたことがないのだ。


 しかし、足元にこぼれたインクが俺を助けた。インクに足を滑らし、その拍子に刀の鞘が、“陰月の太刀”にあたり、鋼でできた鞘がまるで紙のように二つに斬られたが、彼の身体は陰月の軌跡からすり抜けた。


 俺はそのまま後頭部から、床を叩き割るような音を立てて落ち、一瞬、気を失った。気を失った俺の横に、自慢のダマスカス鋼の剣と鞘が、それぞれ二つに斬れて、空を舞って落ちた。バラバラになった4つが、順にギルド中に響き渡った。



 ペンテレシアは呆然と立ち尽くしている。

「信じられない…」


 この剣技は誰も知らない。見たものは一人も生き残っていないからだ。


 店内には、フローラのパーティ仲間の二人が凍りついていた。あまりの殺気に足が痺れて動けなかったという。彼女が動けなくしていたのだろう。極秘剣は見られてはならない。彼女は残り二人も殺すつもりだったのだ。彼女はどのような順序で殺すことも決めていた。


“生きて見る者は無し”

 絶対剣なのだ。


 しかし、目の前の相手が生き残った。極秘剣は敗れた。

“負けたわ”


 彼女は、その場で持っていた剣を手放した。

 その剣の落ちる甲高い音で、俺は目を覚ました。


「いてて」

 俺、生きていたのか?


「おいおい、大丈夫か?」

 金縛りが解けたように、二人のパーティ仲間が倒れているフローラ、パメラ、そして俺に駆け寄った。


 俺に寄り添ったのはドワーフの“カリブンクルス”だ。武器フェチの俺とは、いい酒飲み相手だ。

「レン! あの凄まじい剣技を潜り抜けたな。よく生き残った。お前…一生分の運を使ったかもしれん」


 そんな俺たちに、黒髪のエルフは、ゆっくりと近づいてきた。

 お互いの手に刀はないが、生殺与奪の権利は目の前に立つ黒髪のエルフが握っていた。それだけは痛いほど分かった。


とても敵わない…それは彼女以外の全員が思っていた。


「あなた、レンと言ったわね?」

 すぐに起き上がれない俺の傍らに、覗き込むように顔を近づける。


「勝負は負けたわ」

 えっ? いや、偶然に、よけられただけでしょう。


「偶然? 私の剣は偶然でよけられるほど甘くはないわ」

 冷たく言い放つと

「この髪…よく切れたわね」

 といって、切れた毛先を見せながら

「責任はとってもらうわ。レン」

 責任って、髪の毛なら伸びませんか? と喉まで出かかったが、反論しては殺されかねない。


「…は、はい」

 そう答える以外、俺に選択肢はなかった。


 彼女は暫く俺の顔をみつめていた。


「・・・・」


 数十秒だったか、数分だったか、長いような短いような時間が流れた。


 やがて、彼女は突然に

「ありがと」

 たしかに、そう言った。


 そして、彼女は少しだけ、ぎこちなのない、笑顔を見せた。

 さっきまで、殺そうとしたのに…なぜ? なぜ、彼女は俺に礼を言う??


 ゆっくりと立ち上がると、ギルドのドアを開けた。


 そのまま、立ち去るのかと思っていたが、

「レン、あなたはこの街のどこに住んでいる?」

 背中を見せたまま、まるで、友人に聞くかのような自然な感じで問いかけた。


「中央通外れの武器屋」

 正直に答えた。横にいるドワーフは呆れていた。なんで正直言うのか? と。


 後で暗殺に来るのか? そうも考えたが、彼女の問いかけがあまりに自然だったから、嘘をつく気にはなれなかった…。殺されかけた相手にこう思うのは変かもしれないが…また会いたい…馬鹿だと言われそうだが、そう思ったのだ。


 彼女はそのまま、自分の落とした剣を拾うこともなく立ち去った。




 *  *  *




「で、いなくなったのね」

 フローラが一部始終を聞いて大きな息を吐いた。

「お、恐ろしい奴ね」

「ああ、あれは地獄から来た死神のような力じゃった」

この屈強なドワーフが、今も震えが止まらない。

「どころが、この馬鹿は自分の住所を伝えた」

驚くフローラを横目に、俺は確認したいことがあった。


「パメラさん、彼女のカードを見たのですよね?」

 俺は彼女のカードに書いてあるLVが知りたかった。


「ああ、LVは10だったんだよ。ここに来る連中は、最低でも30はある、ここは中級者以上のギルドだからな。高難度の古代ドワーフのダンジョンが多くあるエリアだ。しかし、不思議なことに、どうしても彼女のLVが読めなかった」

 それは俺もフローラも同じだった。


 しかし、敢えてLVを意図的に変えられる奴がいると聞いたことはある。


「LVを低く申請しても罰則はない。敢えてギルドに申告しないで、LVアップをしない奴らはいる。彼らの目的はLVアップによる報酬アップを期待しない」


 フローらが掌を上げた。

「それって、何のメリットがあるんですか?」

 他の連中が困った顔をした。

「逃亡者、犯罪者、あとは暗殺などかな」

 パメラが苦笑したので、代わりに隣に座るドワーフが答えた。


「うーん」

 俺は考え込んでいた。

「どうした? レン君」

 ドワーフと共に現場で金縛りになっていたもう一人、フローラのパーティのリーダー、ラウルスが俺の変化に気がついた。見た目は軽いがベテラン冒険者として、いくつものダンジョンを攻略したナイトの称号を持つ実力者だ。


「あの瞳、暗殺業や犯罪者のような濁りがなかった。おそらく、何か理由があるんじゃないかな?」

 そうでなければ、俺たちを全員殺せたはずだ…。それに髪の毛を切られた程度で、あれほど感情をむき出しにするだろうか。犯罪者のような暗さを感じない。まるで普通の女性の反応なのだ。

「フローラ、髪の毛を切られたら、やはり、怒る?」

 そう言って、彼女が残していった髪の毛を見せた。

「当たり前でしょ? それは…いやだ! 変態! 髪の毛、収集したの?」

 彼女が嫌な顔をした。


「こいつは何でも収集するんだよ」

 見回せば、他の連中も笑っている。

「俺にそんな趣味はない。彼女はこの毛を切られた事に、異常な執着を見せたから、何か秘密があるのかと思ったのさ」

 といって机に置いた。


 この中で一番、魔力検知に優れたフローラが、置かれた髪の毛に触れる。

「特に魔力も感じられないわ…ただ…」

 触れた指を外すと、俺を見て“もしも自分なら”と条件付きで答えた。

「同じ女性としては気持ちはわかるわ。髪の毛は大切なもの。切られるのは辛いわね。」



“責任を取りなさいよ”

 ただ、髪の毛を切った責任だけなのだろうか?


 そして、彼女の

“ありがと”

 あのぎこちない微笑…


 その意味が…どうしても、分からなかった。



>   「あら、分からなかったのね。ショックだわ」

>   「あの時は分からなかったな。情報が少なすぎるだろう?」

>   「それでも分かってほしいのよ、女としてはね」

>   「いや、女とか男とか以前に、君の場合は、あまりに特別な事情だろう?」

>   「そうかしら?」

>   「そうさ!」

>   「そうなの?」

>   「だから、ずっと俺は悩んだんだよ…」

>   「悩んでくれたの? それならいいのよ」

   


 *  *  *



 彼女が残していった大小(長さが異なる二刀)は、非常に珍しい材質でできていた。話し合いの結果、この二振りは俺が持っていくことにした。フローラは危ないからと反対したが、闘ったのは俺だし、俺の自由にさせてもらった。

「この武器フェチ! 死んでも知らないからね」


 俺はもう覚悟を決めていた。彼女が暗殺に来るなら、どのみち勝てるはずはない。それに彼女が俺を暗殺に来るなら、もう一度に対面して、殺されたい。

 決して自殺願望ってわけじゃなく、不思議とそう思ったからだ。あまりに凄い剣技を体験したので、怖さよりも他の感情が湧いてくるのだ。


それをもう一度、知りたい。フローラに話せば“この変態!”と言われるだろう。



*   *   *



 一週間が過ぎた。何事もなかった。


 いつものように普通の朝を迎え、店を開き、ギルドに用事を聞きにいき、剣を修理し、フローラたちや他の冒険者たちと酒を飲んだ。


 何事もないのが、どこか寂しかった。何かあるはずなのに…。


 冒険者なら、だれにでもある。

 命の駆け引きの先にある高揚感に囚われてしまうことに…。

 瀕死になりながら、また深いダンジョンに挑んでしまう。理屈ではなく冒険者の特性なのだ。俺の場合は、それに加えて彼女に心囚われた属性なのかもしれない。


「お前は、あの娘とあまりに強烈な死生の闘いをして、恋しちまったんだよ。まあ、冒険者特有の病気だ」

 パメラが笑う。


「馬鹿じゃないの? いっそのこと、殺してくださいって頼みに行けば?」

 フローラは怒る。


「美しいものはいつも恐ろしさと共存しているからな。真の価値があるものは皆、似たり寄ったりじゃな。武器フェチのお前なら、言わずもがなだな。ま、一生治らない病気だから、気にするな!」

 ドワーフが酒を飲む。


「彼女がお前を襲い来たら、レン君、説き伏せろ! そして、俺たちのパーティに勧誘してくれ! 皆であの最難関のダンジョンに潜ろう。あそこは五階層より下は誰も入ったことがない。パメラも冒険参加してくれ。このメンバーは強いぞ」

 リーダーは威勢がいい。


「あほくさ、彼女が来るわけないじゃん。もしも、来たら、どうするの! それこそ皆、一撃で全滅よ」

 フローラが拗ねる。


「まあ、それも一興だ。そうだレン君、彼女は来ないのかな?」

 リーダーの酒が回る。


「来ませんよ。」

 俺がつぶやく。


 毎回、酒場ではこんな会話だ。


 そして、毎日は、何もなく繰り返された。


 ま、そんなもんだろう。



*   *    *



 さらに、ひと月が過ぎた。


 あの剣は店の奥に密かにしまってある。ときどき、磨いてもみる。それだけになった。彼女の剣技をその時に思い出す。何度思い返しても、凄い技だった。今まで見た技の中で、超えるものはないし、今後もないだろう。


「レン、いる?」

 フローラの声だ。


 ゆっくり店頭に出る。彼女は心配顔で覗き込む。

「元気がないわね」

 といいながら、店の中の武器を物色するふりをした。

「悔しいけど、わたしがいなくなっても、あなたの心に、そこまで傷を残せるのかしらね…」

 そう言うと、フローラは手招きして俺を店の外に出るように指示した。


 店の外には、リーダーもいた。

 フローラはニッコリと笑う。そして、耳元に顔を近づけて囁いた。

「でも、負けないわよ」


 そう言うや否や、俺のみぞおちに正拳を叩き込んだ。

「うお!」

 何するんだ…こいつは…

 思わず崩れ落ちる。全力で殴りやがった。


「しっかりしろ! 廉二郎! わたしの惚れた男は、そんな弱い奴か! 明日、ギルドに来い! 最難関のダンジョンに潜るぞ。いいな」

 道中に響き渡るような声で叫ぶと、フローラは振り返りもせずに立ち去った。


「悪いな、レン君。君がこのままじゃ、ダメだし、フローラも悩んでいるんだ。相手がそこにいるならともかく、いない奴では闘いようがないって…。一度、ダンジョンに降りて、リセットしよう!」

 そう声をかけて、リーダーも笑いながら立ち去っていった。



 その晩にあいつの残した剣を見ながら考えた…。

 そうだな…たしかに、そうだ。


 いない奴にしばられてどうする。

 いい機会だ。


 最難関のダンジョン…、あそこは第三階層でも、かなりキツイからな。

 いいだろう、やってやるさ、第五階層を!



 *  *  *



 陽も昇る前から目が覚めた。

 快晴である。

 風は冷たいが、気持ちがいい。


 よし。


 俺は気合を入れ直した。


 いよいよ、ダンジョンだ。

 準備は完璧だ。


 今日から、一週間以上は潜ることになる。

 折られたダマスカス剣はない以上、店にある最高の剣は、あの剣になるが、今回は持って行かない。いや、もう、封印しよう。


 純ミスリスのレイピア。これはフローラに預けてやろう。それを包んで荷物の横にいれた。早めの朝食を摂り、荷物の確認も終えた。


 さて、でかけるかな…。


 すると店の鐘がなった。今日からしばらく閉店だ。

 扉の文字が見なかったのか…?


 また、鐘がなる。

「はい、はい…ちょっと待ってください」

 文字も読まずに、急用かな。

 店内に出て、開いた入口に立っている客に声をかける。

「すみません。本日から一週間、おやす…」


 朝日の中で、シルエットだけの影が応える。

「もしかして、これから、どこかに行くのかしら?」

 この声は…。


「レン…。来たわよ。責任を果たしてもらうと思ってね」

 黒い髪、尖った耳、そして緑の瞳が光る。


 背中の大きな荷物を背負っている。両手にも手持ちがある。白い肌は同じだが、長い旅をしてきたのか、服はどこも誇りっぽく、あちこちに擦り切れた後がある。


「わたしのことを忘れたわけではないでしょうね? 時間がかかったのは悪かったわ。いろいろ、周りを整理するのに時間がかかったのよ…」

 そういうと、店の中に入ると背負った荷物を下ろした。


 ドスンと低い音がする。

 かなりの重さだ。


「す、すごい量だな」

 荷物の多さに驚いていると、ペンテレシアは手を伸ばして

「悪いけど、水を一杯、もらえないかしら?」



 一気に水を飲む干すと、小さく息を吐いて、こちらを見る。

 あのときのような殺気がなく、こうしてみると、ただのエルフにしかみえない。黒い髪を除いてはだが…。

 あまりに、普通の旅人が来たように思えて、一瞬、別人かとも思った。

 しかし、動作には隙が無く、鋭い眼光は残っている。


 それにしても、この荷物の量は…。

「どこか、深いダンジョンにでも潜るのか?」

 自分もこれから潜るつもりだが、ここまでの量は運ばない。


「ここに引っ越しに来たのよ」

「ここに?」

 何言っている? ここは武器屋だぞ。


「しかし、うちは宿屋じゃないぞ?」

 武器屋だと伝わらなったのか?


「知っているわ。一緒に住むのだから、何屋でもいいのよ。責任取って…言ったでしょ?」

 そう言って、ニコリと笑う。

「前の職を辞めたから、無職だし…わたし」


 責任とは、そっちの責任か!

「い、いや、まて、うちは人を雇うほどの余裕はない」

 住み込みで働く気なのか?


「特に給金をもらうつもりはないわ」

 え、無給で働くのか?


 彼女はうつむくと

「お前と…その」

 と言うと、その先を言わない。


 少しもじもじしながら、なかなか言葉を続けない


 俺は彼女をみつめながら、次の言葉を待った。





「夫婦になるんだから…そんなものはいらないでしょ?」




「・・・・」





「ちょっと待て」

「い、嫌か?」

「いや、好きとか嫌いとか、その前に急すぎるだろう?」

「好きとか、そういうのは分からない」

「いや、それが大事だろう」

「夫婦だから、一緒に暮らすでしょう。そのうち、子どももできるし…」

「子ども! 待て、まず少しずつ距離を縮めていってだな…とにかく早すぎるよ」


「面倒なやつだな。」

「お前が短絡すぎるんだ!」

「わかりやすいでしょ」

「だから…なんていうか、俺は普通の恋愛観というか、そういう順序があってだな…」

 説明している俺の方がおかしいのか?


 あれ? こいつの恋愛観は、俺とは違うのに、それを押し付けようとする俺が間違っているのか? どういう環境で育ったんだ…。まあ、あの剣技を使えるくらいだから、おそらく、凄まじい鍛錬をしていて、人としての教育は抜け落ちているのか…いや、恋愛って、教育するものじゃないし、それぞれの価値観を尊重すべきであって…だから…。


 俺の思考回路がショートした。



 固まっている俺を見つめていた、ペンテレシアの症状がみるみる泣きそうに落ち込んでいく。あの魔神のような剣を扱う奴が泣くのか…彼女の泣く顔を見ただけで、それだけて天地がひっくり返るほど、自分が動揺している。


 え、え? なにか悪いことした?


 え、俺、何こんなに動揺しているんだ? 


 なぜ、こんなに動揺するんだ。

 そうか、やはり長い間彼女を待って、待って、待ちすぎて、惚れたていたのだろうか。そうなのか…。



「そ、そうか、つまりわたしはダメなんだな…」

 彼女は肩を震わせて涙ぐんでいる。

いや、そうじゃない、と言う前に。

「わかったわ…」

彼女は荷物も置いたまま出て行った。


 お、追いかけるべきなのか?


 そうだ、追いかけないと…。


 あ、あいつ、死にそうな顔して…、

 いや本当に、店の前で自害しかねないぞ!


「待ってくれ!」

 慌てて出ると、ペンテレシアはドアの横に座っていた。

 勢い余った俺は、そのまま道の奥まで転がってしまった。

 転んでいる俺を彼女はクスクスと笑っている。芝居だったのか…。


 俺は全身についた砂や埃をはたきながら、笑っている彼女を見て思った。


 なんて顔して笑っているんだ。こいつは…


 ペンテレシアは確かに美人だ。エルフの中でも美人だと思う。

 その彼女が、顔を崩して笑っていた。


 彼女の笑顔を見て、パメラの言葉を思い出した。

“女性が油断した顔を見せるのは、その人を心の底から信頼している証だと”


 ここまで表情を崩しているのを見せられて、俺もつられて笑ってしまった。

「レン。一緒に暮らしてくれる?」

 これは完敗だ。



「わかった」

 そう言うしかない。



 それから、彼女の横に座って考えた。


 さて、これから、どうしたものか?

「ええ、どうしましょうか? レン」


 心をまた読まれてしまった。達人には敵わないな…。




 *  *  *




 ギルドの前には、出発の準備を終えた一行が待機していた。

「遅いわね…」

 フローラは時間に遅れることない廉二郎を気にしていた。

「やはり、直接、店に寄ればよかったかしら…」

 動き出そうとした彼女をリーダーのラウルスが止めた。



「レンが来たぞ!」

 走ってくる。




「ごめん、ごめん、出かける前に一波乱あって…」

 久しぶりに、店からギルドまでを全力で駆けた。


 肩で息をする俺に近づくと、

「軍隊を抜けてから、少しなまったか、レン」


 言わんとしていることは、わかるよ、ラウルス。

 パーティの行動は時間を合わせることからだ。

 そして、それはダンジョンでも重要なことだ。


「時間厳守、そうだな?」

 俺の言葉にリーダーと頷いた。


 しかし、パメラさんだけが、距離を置いて、俺を見ている。

「レン、おまえの雰囲気がおかしいな…」




 さすがパメラさんは一流の冒険者だな。


「やはり、わかりますか?」

 彼女は黙って頷くと、腰の剣に手をかけた。


 他の三人も、瞬時に俺から離れると、各々の武器を構える。

「おまえ、誰だ?」

 パメラさんのその問いかけに、フローラはレイピアを持ちながら、心配そうな表情を浮かべている。


 しばらく睨む逢うが、俺もこの緊張感を予想していたので、仲間たちに悪いが楽しませてもらった。そして、肩の力を抜くと、後ろの伸びる自分の影に声をかけた。

「ほら、言ったとおりだよ。気づかれたじゃないか!」


 影の中から、フードをかぶった女性が一人、浮かび上がる。

「完全に気配を消していないからよ…」

 俺の影から完全に抜け出すと、優雅に隙の無い足取りで、静かに俺の横に並んだ。そして、ゆっくりとフードに外し、その姿をパーティの前に現した。

 ペンテレシアは。ゆっくりと頭を下げ、片足を引いて腰をかがめた。



「ひぇえ! あ、あんたが何でいるのよ!」

 驚くフローラは、さらに後へ距離をとった。


「一緒に連れてこい、そう言ったのはリーダーだったね」

 俺はリーダーに向かって確認を取る。


「あ、ああ、確かに言った…酒の席だがな…」

 いつもはヘラヘラしているラウルスがたじろでいる。


「パメラさん。彼女は大丈夫だよ。そんなに警戒しないでくれ」

まだ警戒を最大限にしている彼女に声をかける。

「と言われて、警戒を解けるかい? あんたが操られていないと証明できるかい?」

「なるほど…、そうだな」

 俺も含めて騙され操られている…という可能性は否定できない。


 俺はペンテレシアを見つめると、彼女は頷いて了解した。

「すべて話します。…私の名は、ペンテレシア・オクタージュ。元マゾーンです。」



*   *   *



「マゾーン!、本当…」

 パメラさんの目が大きく見開いた。

「マゾーンって、あの魔族の女性だけの精鋭部隊でしょ。あなたはエルフではないの?」

 フローラの疑問はもっともだ。俺もそう思っていた。


「私はエルフと魔族のハーフです」

 その言葉に皆はペンテレシアの黒髪の理由を知った。

「その髪は魔族の…」


 しかし、正体が明かされても、パメラさんは警戒を解かない。本物のマゾーンならばなおさらだ。ギルド中の冒険者がかかっても敵わない相手だ。マゾーン攻略の依頼は、過去に一度だけ出たことがある。ランクSS級で、討伐に向かったパーティは誰も帰ってこなかった。ギルドでも数少ない未達成案件として。今も記録されている。


「それにしても、本当に連れて来るとは…常識がない変な奴だと思っていたが、本当にお前ってやつは…マゾーンって、SS級だぞ。まあ、あの剣技なら納得するが…」

ラウルスは驚くより呆れている。


 ペンテレシアもマゾーンがいかに恐れられているかを知っている。

 今は、自分の事を誠意をもって語るしか、自分の立場を説明する手段がなかった。



「マゾーンは強力な契約で縛られています。」

 魔族や悪魔たちは、何よりも契約を重んじる種族だ。契約と魔力は強く結びついているからだ。

「それはマゾーンを倒すものが、現れない限り、マゾーンであり続けるという契約です」

 パメラは唸った。

「もし、それが本当だとしても、マゾーンを倒す…契約を覆すのは不可能だな」



 ペンテレシアは持ってきた刀の大小を腰から離すと、ゆっくりとパメラの前に置き、両手を差し出した。

 戦士が降参する儀式である。


「敵意がないのはわかったが、しかし、これでも契約から抜けらないだろう?」

 パメラは目の前に置かれた刀を見ながら問いかけた。

「だめなの? 負けたと意思表示したことになるじゃない?」

 フローラにも、ペンテレシアに戦う意思がないことがわかるからだ。これは敗北したことを意味するのだから、倒したことになるのでは? と。


「これは彼女の意志で剣を置いたに過ぎない。彼女はわたしなんかを相手だと思ってはいまい。彼女に負けたと思わせないと…」

 ペンテレシアは否定も肯定もせずにパメラさんを見つめている。

 あの日の事を思い返して、パメラは気がついたように俺の方に目をやる。

「そうか…、お前は、あの死闘の中で、彼女にそう言わせのだったな…」


「そうなの?」

 あの時は気を失っていたフローラは、ペンテレシアの視線を向けると彼女は黙って微笑みながら頷いた。

「彼は、わたしの技を破りました。この人は偶然だと言うのだけれど…それはわたしの契約を終わらせるだけの力があったのです」


 パメラさんは剣から手を離すと、ゆっくりと腕を組んだ。

「無敗のマゾーンの契約は、まさしく修羅の道。修羅の運命から抜けることは難しいな。それを、廉二郎が救ったのだな?」

 もう一度、ペンテレシアは頷いた。


 あれは偶然でしかない。俺はそう思っている。しかし、彼女の視点は違うらしい。机のインクが俺を転ばした、そのインクの存在さえも、あの時に彼女の極秘剣を破った事実を生み出すためにあったのだと彼女は信じている。それら、すべての偶然の積み重ねが、彼女を長年縛り続けてきた契約を破棄させた。ペンテレシアにとって俺との出会いと決闘は、すべては然るべくして起きたのだと固く信じていた。


 彼女は俺に救われたのが、偶然でも、奇跡でも、結果がすべてであった。

「あなたは私の救った大切な人」

 それが事実であることに変わりはない、そう告白した。



 これで皆が納得してくれるといいのだが。




>   「皆、本当に納得してくれたのでしょうか?」

>   「大丈夫だよ」

>   「これでは、そうでないような書き方ですわ…」

>   「この時点では…不安には思っていたからね」

>   「・・・」

>   「ダンジョンに入るパーティに信頼できないメンバーは加えない」

>   「そうなのですか?」

>   「ああ、信頼してくれたんだよ」

>   「信頼… そう思ってくれ、何よりレンの役に立てて嬉しいですわ」

    




「過去にマゾーンを抜けた例はあったの?」

 いつしか彼女は俺の横で、皆の輪の中に座っていた。

 出発の予定時刻はとうに過ぎていたが、誰も気にしていなかった。


 フローラの問いは、俺も聞きたかった。ペンテレシアと同じようなマゾーンはいたのだろうか?

 修羅の道を抜けたマゾーンはその後、どんな人生を歩んだのだろう…。


「はい、意外といました。昔は英雄が多かったそうですから」

「なるほど、マゾーンを打ち破るのは英雄クラスということか。今は英雄級なんているのかね」

「先代の王なら英雄クラスだわね」

と誰もが偉大な先人たちを想浮かべてから、俺を見た。


まあ、そうなるよね。俺はどう見ても英雄ではない。

「英雄ねぇ…伝説に出てくる英雄と比べると、随分ともの頼りない気もするけど…」

フローラに言われなくても…英雄譚に登場する人たちに、俺を加えるのは申し訳ない。


「でも…」

そう言って、ペンテレシアは俺の腕に寄り添うと

「レンはわたしにとっては、英雄なのです!」


フローラはすこし頬をふくらめせ、不機嫌気味に話の続きを促した。

「で、実際はどうだったの? マゾーンと英雄のその後は…」

 誰もがその続きを聞きたかった。

 しかし、その答えはペンテレシアとしては当然の結果であり、彼女の願望でもあったのだが、聞いたフローラにとっては面白くない回答だった。


「主従関係を結び、子をつくって英雄の血を残したようです。わたしとレンとの子は英雄になるか…わかりません」


 皆、驚いた。“えっ? レンとの子…?”


しまった! 勝手にそんなことを言っていたことを思い出した! 口留めしておけばよかった(俺にそれができたとは思えないが…)。


 フローラは固まっている。

 パメラも驚いたように俺を見ている。

 おっさんとリーダーは、にたりとしている。



「レン、お前を見直したよ。そういうことには奥手というか、まったくダメかと思っていたが…」

 リーダーが強く肩を叩く。痛いほどに…



 ギギギ、壊れたネジを無理に回すかのような動きで

 フローラがゆっくりと…俺を見た。


 フローラから黒いオーラが溢れ出ている!


「廉二郎…くん」


「はい…」


「あなた今朝、来るのが遅れたわよね?」


「はい…」


「どうして?」


「それは、ペンテレシアが突然、やってきて…」


「やっちゃったの?」


「やるって何を?」


「何を」


「何も…なかったですよ」


「何もなくて、子はできないわよ」


「・・・・そう、だね…」


「そう?」


「いや、だから…あ、あの、誤解です。な、ペンテレシア?」


「誤解? 何が?」

 わたし何か変な事を言ったかしら? そういう顔である。


 ギギギ…と

 フローラは、ペンテレシアにゆっくりと、首を動かす。

 なんか、人形みたいで怖いんですけど…。


「ペンテレシア…さん?」


「はい?」


「わたし、あなたの契約から逃れられない運命に、少しだけ、ほんの少しだけだけど同情したわ…さっきまでだけど…」


「???」


「あなたに同情した時間を返してくれるかしら?」


 ペンテレシアが困惑している。

 どこがいけないのだろう…? 彼女は俺の方を見て、困った顔する。


「まて、フローラ、誤解している!」

「誤解? あなた…やったの? やったんでしょ? 正直に言いなさいよ」

 彼女の目が暗殺者のようになり、レイピアを手にかけている。ここで龍族の剣技を見たくない! ペンテレシアはそれが見られるのか期待しているようだ。


「待て! 落ち着け、レイピアから手を離せ」


「レン、認知してやれ。ペンテレシアさんが、かわいそうだろう?」

 リーダーが火に油を注ぐのは、もちろん面白がっているからだ。彼はこの手の話に他人が巻き込まれるのは大好きだ。いつも自分が攻められてばかりだからな!


「かわいそう? なんで? わたし、レンとの子、たくさんほしいわ」

 ペンテレシアぁ! さらに油を注ぐな!


「だまれ、この淫乱女!」

「なに、子作りは神聖な儀式よ」

 二人は顔を近づけてにらみ合う。


「あはははは…」

 パメラが突然、笑い出した。

 彼女の笑い方が余りに豪快で、皆、呆気になって彼女をみつめた。


 しばらく笑い続けると涙を拭きながら

「おかしくて馬鹿らしい。そして、久しぶりにこんなに笑った」

 そして、立ち上がると、ペンテレシアに近づくと彼女の手を取った。

「信じよう! ペンテレシア。ようこそ、わが街へ」


 大きく見開いた瞳でパメラさんを見ていたペンテレシアは、

 その手を握り返した。

「ええ、よろしくお願いしますわ」



「パメラ! なんでこんな奴を…!」

 フローラが反対する。


「いいじゃないか。お前もレンの子をつくればいい!」

「ば! 馬鹿言わないでよ!!」

 フローラが真っ赤になる。


「軍隊上がりは皆、恋愛下手だからな」

 彼女も軍上がりで、男顔負けの戦士だったのである。

「ま、がんばりな!」

 パメラはフローラの肩を強くたたいた。まるで上官が信頼している部下を励ますように…。


 パメラが全員を見回して、声を挙げた。

「メンバーが一人増えたが、戦力はかなり上がった。正直、第五階層は無理だと思っていたが、これなら行けるかもしれないな」

 パメラは久しぶりの冒険に嬉しそうに、両腕を上げた。



*   *   *



 しばらくフローラは納得しかねていたようだが、俺が女性にそんな行為する度胸や甲斐性があるはずもない、と思い当たったようだ。そりゃ、俺にそんな甲斐性があれば、とっくに彼女ができている。


 そして、道中でのペンテレシアの振る舞いは、すっかり打ち解けて、どう見ても普通の女性と変わらない。自分一人だけが拗ねているようで、格好がつかなくなってきた。


「はぁ、仕方ないわね」

溜息をついて、そうつぶやくと

「ペンテレシア」

 フローラがペンテレシアに声をかける。


「ダンジョンではチームワークが必要だから…協力して戦う、ことが分かると思うわ。そのためには、信頼、が必要なの。だから…」

 そういって、フローラはペンテレシアに向かって手を出した。休戦をしようという意思表示である。とりあえずダンジョン内での制限付きのつもりらしい。


「あ、あなたを認めたとか、そういんじゃないからね!」

その手を見つめるペンテレシア。すぐに彼女の意図を理解したようだ。


「ただ、ダンジョンに一緒に進む仲間になるなら、自分の感情を優先できない。一人でも信頼を失えば、パーティは全滅する確率が跳ね上がるわ。だから、これは皆のために…あなたを認めるわ」

 なんとも歯切れの悪い言い訳であるが、これがフローラの精一杯なのだろう。


「冒険者が冒険に出れば、たとえ喧嘩相手でも、共通の敵の前では仲直りする」

 

 ペンテレシアはフローラの言った言葉を反芻する。

「協力…、信頼…」


フローラも頷く。

「そう。信頼よ。あなたは基本、ソロでしょ? マゾーンは戦闘力が圧倒的だから、それでも通用するけど、パーティの力は違うところにあるのよ。一人ひとりが弱くても、巨大な敵を倒す力があるの」

 しばらく、フローラの瞳をみつめていたペンテレシアは理解をした。


「ええ、認めるわ。魔族が多くの他の種族によって、少しずつ追い詰められていることは、わたしも知っているわ」

 現実に、魔族の領域は縮小した。世界は広く魔族の本拠地である南方の暗黒大陸に例外にしても、かつて、侵攻し北上してきた地域の魔族は一掃され、ほぼいなくなってしまった。今は魔族とも、緩やかな関係を保つという政策が有力になっている。


 もっとも、ペンテレシアにとっては、戦争の勝敗などはどうてもいいらしい。ハーフと言事もあるのか、魔族らしくないのかもしれない…。


「魔族側が負けたのは、魔族には契約しかなく、信頼がないからだと思うの。だから、あなたたちの世界を見て、正直、その関係がうらやましかった。そして、あなたたち人間や他の種族に憧れていたのだと思う」

 フローラはペンテレシアのその言葉を聞いて、なぜ心底からは彼女を嫌いになれないのか、少し分かったような気がした。

「信頼は行動をもって積み重ね育てる。だから信頼を得るには時間がかかるけど、でき上った信頼は簡単には壊れない。契約は強大だけど、それは一瞬で成立し、壊れるのも一瞬だわ。どちらが強いかは、これからダンジョンを進めばわかることになるわ」

フローラのその言葉を聞いて、ペンテレシアは差し出された手を握った。

「わかったわ。よろしくね、フローラ」


 これをきっかけに二人が仲良くなってくれればいいが…。




>   「あの…レン、信頼が大事なのですよね?」

>   「そうだ」

>   「行動を積み重ねることで…」

>   「どうした?」

>   「ごめんなさい。わたしやらかしました」

>   「やらかした?」

>   「はい…信頼を得るべき御方をぶっ飛ばしてました」

>   「お、御方? 誰?」

>   「婚姻審査官殿です」

>   「はい? 婚姻審査官?」

≫   「レンは知らないのですか! あのパメラさんですよ…」

>   「!」

>   「結婚とは信頼はもちろんですが、“契約”でもある…のです!」

>   「??? まあ、確かに…」

>   「わたし…勉強不足でした。人間の世界にもこんな”契約”があるのだと…」

>   「??? 提出すればいいのでは? 婚姻届け…」

>   「しかし、審査に合格しなければなりません!」

>   「契約…に合格?」   

>   「はい? その審査官をぶっ飛ばした過去を持つ、言わば罪人…」

>   「罪人って…大袈裟な」

>   「なので、あなたに相応しい妻になれるよう、がんばります!」

>   「今でも十分だよ」

>   「決して身体を許さないのはわたしが契約違反にならないように…」

>   「どんな話をされたの?」 

>   「正式な契約が成立するまで、隣の宿屋に部屋を借りたので…」

>   「!」

>   「夜の生活以外は完璧にこなしますので、待ってください!」



※上記会話の補足資料として、ペンテレシアによる追記をここに記す



◇ 報告書追記 ◇ <ペンテレシアによる追記>

     なお、文中の()は天道廉二郎による補筆



 フローラはレンがにいないときを見計らいわたしを呼んだ。大切な話があるのだと言う。

「仲間として、一つ、大事なことを教えてあげるわ。これよ」

 そういって、フローらは何か白い用紙を取り出して、ペンテレシアに見せてた。


「正式な夫婦になるには、この“婚姻届”を提出し受理しなければならないの。これは人間の“契約”なのよ。大事なことだからね。これは、この街ではギルドに提出しないといかないのよ」

(フローラがなぜ、婚姻届を持ち歩いているのか、そこに疑問がわかないのか? ペンテレシア!) 

 その用紙を見つめて、わたしは驚いた。


「そ、そうなの?」

「そうよ」

「つ、つまり、今は未だ、わたしたちは正式な夫婦ではないと…」

「そうなるわね。これは“契約”だからね。わかるわね。契約は魔族には絶対だったわね」

 もちろんだ。わたしは強く頷いた。

 と同時に、泣きそうになった。これで一緒に住めると思っていたのに、まだできないのか! 大変だ!

 これはダンジョンどころじゃない!

 

「ならば、今から出しに行く」

「だめよ、ギルドは午前10時から。そして、これはギルドの受付で厳密な審査を経て、受理されなけばならないの?」

 確かに、まだ10時ではないが…それよりも気になる言葉があるわ!

「厳密な審査? 受理?」

審査があるのね!


「そう! 審査よ。つまり、あなたが先日ぶっ飛ばした、ここにいるパメラさんが、厳正に審査し受理しないと、契約は成立しないのよ」

「えっ!」

 横にパメラさんも驚いた顔をした。わたしも彼女が大変な権利を持つ人であることに驚いた。そして、わたしペンテレシアは震えながら、その先日ぶっ飛ばした方を見つめるしかできなかった。

「そ、それは、つまり、この人は結婚契約の審査官ですのね…」

 わたしは大変な人を殴ってしまった!

「そうよ。契約を締結する”神”みたいなものよ。あなたは先日、某所で、その契約の神を、ぶっ飛ばしましたね。」

わたしの顔面から血が引いていく…。

(注:これではフローラの方が悪魔では?)


「ああ、なんて罪深いことを…」

 わたしは元魔族として初めて“罪深い”とはどういう事かを理解したの。

(注:フローラはマゾーンに懺悔させた、初めての人間となったと思う)


 突然、道にしゃがみ込むわたしペンテレシア。

「ごめんなさい」

 パメラに許しを請おうとレシアは土下座した。

(注:パメラさんはマゾーンに土下座させた、初めての人間になったと思う)

パメラさんはわたしの肩をやさいくと叩くと、立ち上がる様に促した。


「それでは…」

 顔を上げ許されたのかと、期待する私にパメラさんはこう告げたの…。



「今後の、あなたの行動次第で、その罪は許されましょう」



(注:パメラさん…神父役を楽しんでますね?)


「はい、がんばります!」


 それまでは過度の接触は避け、一緒に暮らすのは控えるように、と指示がありました。


<以上、ペンテシアによる追記 了>




>      「そ、そんなことがあったのか?」

>      「はい」

>      「見てください。これを見てください」

>      「これば…」

>      「婚姻届です。ここにレンの名前を書いてください」

>      「ペンテレシア」

>      「はい?」

>      「となりの欄にフローラの名前が書いてあるぞ」

>      「えっ!」




 なるほど、あの後、おっさんとリーダーが変なことを言っていたのは、この事か…。



 ドワーフのおっさんが俺の肩を叩いて

「ま、地獄になると思うが、がんばれ! 同情するよ」

 と言って、先に進んだ。


“え、地獄? なにかまずいのか?”


 リーダーが近づいてきた。

「わかってないな、レン君。いいか、今後、彼女はいつも君の傍にいるし、まあ、君にはすべてを見せるかもしれない。しかし、彼女は契約を何より大切にしてきた元魔族。契約違反は決してしない。お前は彼女は何もしないし、できないな」


「???」


「あわれ、レン君は絶世の美女がいつも横にいるが、何もできない。渇望はあるが、それは満たされない。まさに生殺しだね。しかも、他の女性に向くこともできない。ペンテレシアは激高するだろうから」




>    「あれは、そういう意味だったのか」

    

   



 ダンジョンは目の前だった。その時の俺は、それも知らずにいたとは…不覚。契約と知った彼女が、それを裏切ることは決してない。となると、パメラさんとフローラを、説得するしかないのか…。


 まあ、それこそ“契約”ではなく、“信頼”がそれに勝っていることを、証明しなければならないのだろう。



>   「ペンテレシア、無理するな?」

>   「ああ、夜に…優しくしないで、レン!」

>   「どうした!」

>   「危なかった…思わずレンに抱きついてしまうところでした。ああ」

>   「???」


>   「月が満ちると魔力が増大するので…今は満月なので強力なんです!」   

>   「月の満ち欠けで力が変わるのか?」

>   「はい、初めて会った時は新月だったので、レンを殺さずにすみました」

>   「何? あれが全力でないのか?」

>   「あのときの軽く10倍の力を引き出せます…」

>   「あれが…最大値の10分の1って…異常過ぎるよ、おまえ」

>   「え? お、お風呂?」

>   「どうした? えっ、口から血が出てるぞ」

>   「おふろ、って言われたのかと…」

>   「お風呂がいかんのか?」

>   「いかんです! 一緒に入ってイチャイチャしたいなって、想像しちゃう」

>   「!」

>   「自制のために、さっき舌噛みました…。その血です」

>   「おまえ…そこまで我慢しているのか…」

>   「触らないで! …ああ、抱きつきたいです! くうぅ」

>   「おまえ、目が赤くなっている」

>   「きゃあああ! いけないです…堕ちます! 堕ちます!」

>   「堕ちるって!」

>   「わたしは誇り高きマゾーン、ただの欲望だけの悪魔に堕ちませんよぉ!」

>   「えっ? 悪魔と魔族はちがうのか?」

>   「当然です! あんな下賤な欲望だけの奴らと一緒にしないで! ああ」

>   「やっぱり、夜は無理です! レン、早く婚姻届け出して、正式に契約を」

>   「あ、何かよくわからんが、危ないのはわかった!」

>   「だ、だから、ごめんない! やっぱり、夜は宿に帰ります!」



 

神様

パメラ婚姻審査管殿

どうか私たち“未契約”夫婦に、健全な夫婦関係をお与えください。


<報告書追記:天道廉二郎、ペンテレシア 王都歴325年8月20日改>

*   *   *

以上、報告書終わり。続きがあるが、それにはまず、あの二人を説得してからとする。

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