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アメリカ文学を(ナンセンスな)日本語訳したみたいな短編 ー学び舎ー

"わかりにくい" を楽しんでいただきたいです

 ケンジは隅っこの席に着いて『サルでもわかる古典文学』を開いた。言うまでもなく、底抜けの阿呆なのだ。


 大判の本の中身はほとんどがイラストで、なるほどサル並の知力に配慮した内容となってはいるが、果たしてケンジが古典文学についてどれほど理解を深められたかというと、口元でキラリと光るよだれの跡がその答えなのである。


 重ねて述べておこう。


 ケンジは底抜けの阿呆である。


 うぅうぅと弱々しく頭を抱えてなお古典文学を知ろうとする姿勢だけなら称賛に値するが、悲しいかな、知力が足りない。それでも、いつも猫背になって読書に励んでいる。


「時代は野球だよ。スポーツマンだけが女子にモテるんだ。ここはそういう場所だろう? 弱肉強食の世界なんだよ」


 ふいに級友のタカオが話しかけてきたので、ケンジは垂れていた頭をすっくと持ち上げた。


 教室を見回すと、男子の中でもとりわけ腕白な連中がすでに野球の準備を始めていた。プレイボールを待ちきれず狭い教室内で素振りする奴まで現れた。


 さすがのケンジもこの光景には驚かされた。開いた口が塞がらない。


 給食の時間もまだなのだ。なのに連中はもう放課後の気分でいる。


「座ろうよ。授業が始まっちゃう」


 ケンジが小さな声で抗議した。


「今日、先生来るの?」


「ううん、たぶん来ないと思う。でも……」


「つまり自習なんだよな。なら、問題ないだろう。もし先生が来たら知らせてくれよ。オレたち外で野球やってっから」


 ケンジの言い分をろくに聞きもせず、タカオが男子連中に声を投げかける。


「おうい、お前ら! やっぱり今日は自習だぞ。思う存分に野球ができるぞ! それに、もし先生が来てもケンジが教えてくれるってよ」


 腕白男子たちの歓声がビリビリと天井を震わせる。


 最悪の事態を想定したケンジは無意識のうちにタカオの手を握っていた。勢いよく立ち上がったものだから、太腿を机にぶつけてしまったが、そんな些細なことを気にしている場合ではない。


「先生が来たら大変だよ。君たちに知らせる前に不在がバレてしまう。当たり前だろ? もう少し考えてから行動しようよ!」


 想定外の大声にタカオは一瞬怯んだが、彼にも言い分はある。


 タカオはすぐに言い返した。


「先生が来る可能性はどれくらいだ?」


「……低いよ。すごく低い」


「どれくらい?」


「グラウンドに犬畜生が迷い込むくらい」


「じゃあ、問題ないよな」


 さすがのケンジも呆れて溜め息をついた。


 先生にさえバレなければいいというわけではない。耳が遠くていつもぼんやりしている、あのお迎えが近そうな事務員になら見られても構わないが、問題は他にもあるのだ。


 とても大切なことなのに、腕白男子どもはなぜ忘れているのか。


「今日は参観日だよ」


 だからきっぱりと言ってやった。


「参観日なんだよ」


 昨晩事務室に忍び込んで確認したカレンダーによると、たしかに今日は参観日だった。今日の日付に赤い丸印がつけられていたから間違いない。


 そのことは朝になってタカオや他の連中にも知らせたはずなのに、どうして綺麗さっぱり忘れられるのだろう。


 言うまでもなく、彼らもまた底抜けの阿呆なのだ。


 ケンジは彼らのことを鳥頭だと思った。


 タカオは赤ら顔を真っ青にして、すぐ赤ら顔に戻ると舌打ちをした。


「参観日かよ。それなら野球はできないな。……おうい、お前ら! 野球はヤメだ! 参観日だってよ」


 級友たちがぞろぞろと席に着く。タカオが一つ前の席に着いてケンジに囁いた。


「サクラ、いないな。どこにいるんだ?」


 タカオはサクラに恋をしている。だから彼女の居場所が気になるのだ。


 ケンジはサクラのことをさっちゃんと呼んでいて、彼もまた、サクラに恋をしている。


 そんなサクラはケンジのことを嫌っている。よだれを垂らす男子は不潔だと言う。知性が感じられないと言う。さっちゃんと呼ぶなといつもガミガミ怒られる。タカオのことは眼中にない。


「参観日だから、さっちゃんは隣の教室」


「そうか」


 参観日になると男女で教室が分けられる。


 先生は男女共学に理解のある人だが、参観日には男女別々にするよう教頭先生から指示されている。


 だからケンジたちもより偉い先生の指針に従い大人しくしているが、男女共学だとのべつまくなしに発情するだなんて思われるのは心外である。


「あーあ、つまんないな」


 タカオが愚痴をこぼす。


 * * * * *


 やがて事務員がのろのろと教室の入り口にやって来て、こっちを指さし点呼をとった。


 名前を呼ばれるとみんな元気よく返事する。事務員は名前を呼ぶと同時に「いち、に、さん」と数を数えている。朦朧とした爺さんだが、数だけはちゃんと数えられる。そして、きちんと戸締りだって忘れないのだ。


 窓ガラスは、今日もピカピカだ。


 遠くで若い男の人の声がする。


 その声が次第に近づいてくる。


「えー、最近はIターンやUターンで田舎に引っ越す人も増えていますが、それでもまだ地域ごとの人口の偏りは顕著でして、少子化も大きく影響し、子供が減る一方の地域がたくさんあります。ここもそうですね。この学校は少子化や人口流出の煽りを受けて廃校となってしまいましたが、廃校をそのまま放っておくわけにはいきません」


 あー、ダメだ。それじゃあ言葉が難しすぎる。それに声が堅苦しい。まだまだ、上達していない。


 ケンジはよだれを垂らしながら、そんなことを考えていた。


「ままぁ、ここ、おばけでそうだよぅ」


 若い男がクスクスと笑った。


 若い女が優しい声をかける。


「大丈夫よ、健二。ここは楽しいところなのよ」


 ケンジは驚いた。名前を呼ばれて跳び上がりそうになったが、どうやらそうではないらしい。


 スーツ姿の若い男に案内され、幼い子供とそれを抱っこする若い女が窓ガラスの向こうに姿を現した。


 若い女の目は好奇心で弾んでいるが、子供はもっとずっと正直だ。


 そして、その無垢なる感性はケンジのものと似ている。


「こわいようぅ」


 ケンジと目を合わせるや否や、健二が泣きだした。


 そりゃあそうだ。ケンジだって立場が逆なら、この光景を不気味に感じていただろう。


「失礼な奴だ」


 健二を睨み、不快を露わにしたタカオが呟いた。




『廃校の有効活用』と言うらしい。




「あいつらは全員、底抜けの阿呆だ! 先生だって、オレたちが日本語を喋れないと思っている!」


 タカオは机の中から教科書代わりのバナナを取りだし、怒りまかせに噛みついた。


読んでいただき、ありがとうございました!

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