幼女は奴隷に気を使う
「お父さんお帰り!」
畑仕事から帰って来た父親をフィーネは出迎えていた。
フィーネの顔を見ると父親は目を見開いて驚いて、フィーネにとってはそれが何よりも可笑しい事だった。
「フィーネ!? 戻って来れたのか!?」
「へへへ、ビックリした?」
「おお……今日はなんと素晴らしい日だ!」
父親はフィーネを抱き上げると、天井に届くほど高く持ち上げた。
「お父さん聞いて。私を買った人がね、なんと私と同じくらいの年齢でさ、そのくせメチャクチャ強ぇの!」
「はっはっは! そうかそうか~」
嬉しそうに話を聞く父親にフィーネの心が弾む。周りにはまだ幼い妹や弟が手を振ってくれていた。
ナナは言った。フィーネの力を貸してほしいと。その言葉は奴隷として売られたフィーネにとって、非常に心ときめく言葉だった。奴隷としてではなく、一人の人間として手を差し伸べてくれたのだから。けれどやはり、ここに帰ってきてよかったとフィーネは感じていた。自分の居るべき場所はここ、家族の元だと実感していた。
しばらくの間フィーネは父親や妹と話をしていた。そこへ母親が料理を運んできた。
「みんな、晩御飯できたわよ~」
久しぶりの母親の料理に胸が高鳴る。
フィーネは、奴隷売買の店で売れ残りであった。かなり気が強く、なかなか買い手が見つからなかったのだ。そんな事から、親の元を離れてから一ヶ月近くは経過していた。
しかしここでフィーネは異変に気が付いた。みんなに配られた料理だが、自分の分が無いのだ。
「あれ? お母さん、私の分は……」
「ああごめんね。フィーネの分は用意してないのよ」
「……え?」
フィーネには何を言っているのか理解できなかった。しかし、その答えはすぐに明確となる。
ドンドンと戸を叩く音が聞こえ、母親が戸を開けた先にいたのは、奴隷商人の衣装をまとった男性だったのだ。
その姿を見た瞬間にフィーネの体は凍り付いた。まるで背中に氷水を流されたかのような冷たさを感じて体がブルブルと震え出す。顔は青ざめ、額からは変な汗がにじみ出ていた。
「ごめんねフィーネ。あなたを売る事にしたの。だから晩御飯はこちらの人からもらってね」
母親は少しだけ悲しそうな顔をしているが、その手にはお金がぎっしり詰め込まれた袋が握られていた。
「や、やだ……だって私、ここで暮らしたい……せっかく逃げてきたのに――」
「しぃー!!」
フィーネの言葉を遮って、父親が耳打ちをする。
「逃げてきたって事は言わないでおくれ。そんな事がバレたら売れなくなってしまうかもしれないからな」
理解できなかった。
理解したくなかった。
母親も、父親も、フィーネを売る事は決定事項だと言わんばかりに話が進んでいく。
それがとても……怖かった。
「お姉ちゃん、またどこか行くの?」
妹や弟達だけが現状を理解していなくて、純真無垢な気持ちで問いかけてくる。しかしそんな事はフィーネが一番聞きたい事だった。
「い、行かない! 私行きたくない!」
「フィーネ……わがままを言わないでおくれ」
父親がそう言った。まるで駄々をこねる子供をあやすような言い草に、フィーネの頭はさらに混乱していく。
自分が悪いのだろうか? いやそんな事はないはずだ。と……
「ごめんねフィーネ。家はお金が無いのよ。お母さん達を助けると思って。ね?」
「そうだよフィーネ。大丈夫! フィーネならきっとまたうまく逃げてこれるさ。そうしたら今度こそ一緒に暮らそう」
両親が奴隷商人に聞こえないようにそう囁く。それは、前回売られた時に言われた事とおなじセリフだった。
繰り返す。逃げても逃げても、きっとまた繰り返す。
――戻って来てはまた売られ、そうやって何回もお金となる。両親にとって自分とは、お金のような存在なんだ。
そうフィーネは悟り、脱力していく。目から光が消えていく。心が死んでいく。
そんなフィーネを支えるように立ち上がらせて、両親は奴隷商人の前に連れていく。
ガシャン! と逃げられないように足枷がはめられて、同じように手首も束縛された。けれど、すでに放心状態のフィーネは抵抗するだけの思考を失っていた。頭の中がグチャグチャと混ざり合い、世界が揺れているような錯覚を受ける。涙で視界がぼやけ、歪んで見える。
すっかりと意気消沈したフィーネを担いで、奴隷商人は馬車の中へと入っていった。
荷台は黒い暗幕で覆われており、日が暮れたこの時間だと薄暗い。けれど、中にはすでに数名の子供達が乗っているのがわかった。子供達はみんな、黙ったまま俯いている。
フィーネを乗せると、奴隷商人は馬車を走らせた。ガタンガタンと小さな村の荒れた道で馬車が揺れ、その反動でフィーネはうつ伏せに倒れ込んだ。けれど起き上がるだけの気力さえ無くしたフィーネは、そのまま倒れたままの状態で運ばれていく。
(私、選択を間違ったのかな……)
絶望の中、そんな疑問が頭をよぎった。
あの時、ナナに誘われた時にその手を取っていれば、こんな想いはしなくてすんだのだろうか? 馬車に揺られながら思い返されるのは、ナナ達との思い出だった。
みんなで抱き付いて繋がって、そんな様子を一人離れた所から見ていた。自分には関係ないと思っていた。どうせすぐに別れるのだから、混ざる必要はないと思っていた。もしもあそこで一緒になって混ざっていたら、ナナは仲間として助けに来てくれただろうか?
頭をよぎるのは後悔ばかり。これから始まるのは悲惨な人生。
フィーネは聞いた。ユリスの背中で眠っている赤髪の少女。彼女はこれまでにかなり酷い仕打ちをされてきたとユリスは教えてくれた。
フィーネは見た。リリアラが男達に追い回されていた現実を。
フィーネは感じた。自分がナナに買われてどれだけラッキーだったのかを。
もうそんなラッキーは続かない。死んだ方がマシだと思えるような現実が待っている。それを理解すると、自然とまた涙が溢れてくるのだった。
「助けて……」
不意にそんな言葉が漏れた。誰に聞こえる訳でもない小声で、無意識にそう呟いていた。
もしも次があるのなら、もう絶対に間違わない。裏切らない。迷う事さえしない。レベル200になれと言うのならその努力は惜しまない。拠点を守れと言うのなら誰が相手でも必ず守る。だから――
「助けてよ、ナナ……」
心の底から願う。頼れる人なんて、他にはいないから……
「ええ。最初からそのつもりよ」
突然頭の上から声がした。うつ伏せの体を転がしてみると、ナナがフィーネを覗き込んでいた。
「……ナナ?」
「助けに来たの」
ナナの背中に未だ引っ付いたままのリリアラが答えた。
「枷を外すわ。動かないでね」
またしても頭が混乱する。いや、ナナの身体能力を考えれば、リリアラを背負ったまま走っている馬車へ静かに飛び乗るなんて事は造作もないのかもしれない。
――「インストール! ヴァルキリー!!」
ナナが何かを呟いて、フィーネの体を押さえつける。そのまま足枷に指を滑り込ませると、バチンという音と共に枷が外れた。手首に付けられた枷も同じようにして外す。
転がる枷を見ると、鉄で出来ているにも関わらず、綺麗に切断されていた。
「あ、あの……ありがと……」
「構わないわよ。さ、ユリス合流しましょ。周囲に魔物の気配はなかったけれど、いつまでも離れているのは危険だわ」
そう言ってナナは走る馬車から飛び降りようとする。しかし、フィーネは気が付いてしまった。周囲の目に……自分だけ助かろうとしている者に向けられる羨望の眼差しに。
だから、フィーネはナナを呼び止めた。
「こ、この子達は……?」
「……さすがに大勢を一度に連れて行けないわ。面倒を見きれないもの。けど、奴隷は全てドルンの街へ連れて行かれる。いつかあの街の奴隷を解放をするつもりだから、結局みんな助ける事になるわ。それまでの間、なんとか頑張って」
――それならなぜその子を連れて行くのか。
その場の子供達はそう言いたそうな目をしていた。
「フィーネはいいのよ。私の特別なんだから」
そう言ってフィーネを抱き寄せる。
フィーネにとって、『特別』と言われた事がすごく嬉しくて、瞳が潤んだ。
そしてナナはフィーネを脇に抱えると、ためらいも無く馬車から飛び降りた。
綺麗に着地を決めると、凄まじい速さで走り出す。少しデコボコな夜道を颯爽と駆け抜け、茂みの中へ入って行った。そこにはジッと待機をしているユリスと、未だ眠りに付いている赤髪の少女がいた。
「ただいま」
「ナナちゃんお帰りなさい! フィーネちゃんもお帰りなさい!」
「あ……ただいま……」
お帰りと言われた事に、フィーネはためらいを感じた。自分はみんなよりも家族と居る事を優先した。けどその結果、こんな風にみんなに迷惑や手間を掛けさせる事になったからだ。
情けなくて、どこか惨めで、フィーネはそのまま俯いた。
「……さ、ご飯にしましょ。私、その辺で魔物を狩ってくるわ。少しだけ待ってて」
そう言ってナナは再び駆け出して行った。
しかしユリスは確かに見た。ナナがパチパチと瞳で合図を出した事に。慰めるのは任せたと言わんばかりの合図だった。
ナナがいなくなり、赤髪の少女は未だ意識が戻らない。その場にはユリスとフィーネの二人だけが座りこんでいた。
夜が更けて、静かな茂みの中は虫の声しか聞こえない。その沈黙を破ったのはユリスだった。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫って、何が……?」
フィーネは俯いて動かない。そんなフィーネを、ユリスは自分に抱き寄せた。
「まさかお母さんが同じことをするだなんてビックリです! 私、未だに信じられません! 全く酷いご両親です!」
「そんな事ない!」
フィーネは否定した。未だに心のどこかで、親を慕っている想いは残っていた。
「お母さんは悪くない! ただ、お金が無いだけだ! 本当はすっごく優しいんだ! お父さんだってそう!」
「そうですか。ごめんなさい」
「私は一番お姉ちゃんだから……だからみんなのために頑張らなくちゃいけなかっただけなんだ。お母さんは……悪くないよ」
「……はい」
ユリスは否定しない。フィーネの言葉を決して否定せず、その心を開かせる。
「けどさ……流石に私の分だけご飯が無いのはショックだったよ……それに、まさか帰ってきたその夜にもう売られるなんてさ。信じらんない……」
「はい、あんまりです。フィーネちゃんはこんなにも家族想いなのに」
優しく頭を撫でる。今必要なのは、我慢しているモノを全て吐き出させる事。
「うん。グスッ。わ、私は……お父さんもお母さんも大好きなのに……私、二回も売られちゃった……」
「はい……」
声に嗚咽が混じる。肩が震え出す。
「ひどいよ……ヒグッ。せっかく戻ってきたのにさ、こんなのって……あんまりだよぉ……うぅ……」
ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
「お母さんのバカ! もう知らないんだから……もう……絶対に帰ってあげないんだから! うぅ……うわああああああああああああぁぁぁ……」
ついに押さえていたものが決壊して、フィーネは泣き出した。ユリスはそんなフィーネを強く抱きしめて、背中をさすってあげていた。
ユリスに甘えるように、その胸に顔を埋めてフィーネは泣き叫ぶ。ああそうか、とユリスは理解した。だからナナは姿を消したのだ。歳や背丈が同じくらいのナナが近くにいると、泣くに泣けないのだろう。だからナナは気を使ってこの場を離れた。近づく魔物は自分に任せて、一度思い切り泣かせてスッキリさせた方がいい。そう言う事なのだろう。
現に、少女の泣き声がこだまする茂みの中、どれだけ経っても魔物は襲ってこなかった。
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「ひっく……ひっく……」
しばらくの間、フィーネは泣き続けた。全力で泣いて、大分落ち着いてきた頃だった。
「ごめん。遅くなったわ」
そういってナナが帰って来た。巨大なイノシシのような魔物を片手に担いでいる。
ナナが出てきた瞬間に、バッと抱き付いていたユリスから離れて背筋を伸ばすフィーネ。やはり、こういう姿をナナに見せたくなかったのだろう。
ナナは何も知らないような顔で、自分の背丈ほどある獣をその場に放り投げた。
「こいつを食べましょ。今、火を起こすわね。インストール、イフリート!」
ナナの指先から炎がうねり出す。それを操り、木の枝を燃やして焚火を始めた。
――イフリート。魔界の火山に生息する半身半霊。ナナがその力を呼び起こすと、炎の魔法を操る事が出来るようになる。けれど、ナナ自身に魔力がほとんど流れていないため、強力な魔法は使う事が出来ない。
「そうだわユリス。早めに炎の魔法を覚えてちょうだい」
「私がですか?」
「そうよ。私がいるうちは火を起こせるからいいけど、他の子供達だけになったときに火が使えないと大変でしょう? まずユリスが炎の魔法を覚えて、それをこの三人のうちの誰かに覚えさせるのよ。インストール。ヴァルキリー!!」
ナナはそう言うと力を入れ替える。イノシシの魔物に人差し指を向けると、その指から光り輝く針が伸び、魔物を突き刺した。そうしてイノシシの魔物をクルクル回して丸焼きにしていく。周りには肉が焼ける匂いが立ち込め始めた。
と、その時。
「う、う~……ん」
今までずっと眠りに付いていた赤髪の少女が目を覚ました。
「あ! 起きたんですね。大丈夫ですか? どこか痛いところとかありませんか?」
ユリスが真っ先に赤髪の少女に近付いて行った。……だが、
「え? きゃあああああああああああ!?」
少女は悲鳴を上げて近くの岩陰に隠れてしまった。コッソリと顔だけ覗かせてこちらの様子を伺っている。
「あ、あの、大丈夫ですよ。私達は何もしません。あなたを保護したんです」
ユリスはそう言って近づこうとするが、やはり少女は怯えて隠れてしまう。
「ごめんなさいごめんなさい! 二人が私を助けてくれた事、うっすらと覚えているんです。だけど怖いんです。本当にありがとうございます! でも絶対ごめんなさい!!」
――何言ってんだこの子……
その場の全員が、心の中でそう思っていた。




