幼女は奴隷と街を出る
「無理無理無理! 絶対に無理!!」
フィーネがブンブンと首を振って拒絶する。
ユリスですら開いた口が塞がらず、金魚のようにパクパクと口を動かしていた。
「無理じゃないわ。私が修行を見てあげるもの。大丈夫よ」
「ナナってそんなに強いの!? ならそっちの……ユリスに拠点を守ってもらえばいいだろ!?」
「ダメよ。だってユリスは弱いもの。なんて言うか、レベルを上げる素質のようなものが全く無いように感じるわ」
「ガーーーン!!」
割と本気でショックを受けるユリスであった。
「ユリスは強くなるよりも、ヒーラーとして回復魔法を極めるほうが合っているのよ。私、ユリスは世界一のヒーラーになれると思ってるから」
「あ、ありがとうございます……なんか酷い事と嬉しい事を同時に言われましたけど、若干嬉しい気持ちが上回っている気がするのでプラスです……」
しかし微妙な気持ちは拭いきれなかった……
「それにねフィーネ。別に今日明日でレベル200になれって言っている訳じゃないわ。時間がかかったって構わない。ゆっくりでいいから挑戦してみない?」
そう言われたフィーネは黙り込む。俯いて、拳を握り、思考する。
考えて考えて考えて、そして静かに答えを口にした。
「ごめん。やっぱり無理。……だって私、家に帰りたい!」
そう言うフィーネの言葉に、ナナは意表を突かれたような衝撃を受けた。
「家って、あなた親に売られたんじゃないの?」
「違う! 確かにお母さんは私を奴隷として売った! けどそれは仕方ない事だったんだ! お母さん言ってた! 隙を見て逃げてこいって! フィーネならどんな時でも諦めずに、逃げてこれるって! その時はまた一緒に暮らそうって言ってくれたもん!」
その場がシンと静まり返る。道行く人だけが何事かと視線を向けては通り過ぎて行った。
「一つだけ聞いていい。フィーネはどうして売られたの?」
「それは……家、兄妹が多いから……お金も無くて、私なら売っても逃げてこれるって選ばれたんだ……」
それを聞いたナナは少しの間考えていた。
ユリスはナナがどうするのか息を呑んで見守り、フィーネもまた、ただ俯いて黙っていた。
「わかったわ。じゃあフィーネを家に帰してあげる」
「……え!?」
フィーネが信じられないという表情で顔を上げた。
「ほ、本当に!?」
「本当よ。帰りたいっていう子を無理やり従わせようとする訳ないでしょ。それこそ本当にこの街で奴隷を使っている人達と同じになってしまうわ。まぁ、私達の所に戻りたい時はいつでも言ってちょうだい。歓迎するわよ」
しかしフィーネはブンブンと首を大きく振る。
「わ、私は家族から離れたりしないから!」
「そう? なら仕方ないわね。代わりのレベル200はそっちの赤髪の子になってもらおうかしら」
ユリスの背中で眠る少女を見ながら、そうナナが言った。
――あぁ、本気なんだなぁ。と、その場の二人は震えるのだった……
「さ、それじゃあさっさと行動しましょ。私達、すでにこの街で暴れているからさっさと移動したいのよね。フィーネ、あなたの家ってどこにあるの?」
「このドルンの街から南へ行ったところに小さな村があって、その中にある」
四人は街の出入り口へと移動する。そんな最中だった。ふとナナが足を止めて、その場から動かなくなった。
「ナナちゃん、どうかしましたか?」
ユリスが呼びかけると、ナナはう~んと呻きながら、一点をジッと見つめていた。その視線の先にあるのは、ただのゴミ捨て場。ゴミを詰め込んだ袋や、ポリバケツなどが置かれている。
ナナはスタコラと、そのゴミ捨て場に近付いていった。
「ナナの奴、どうしたんだ?」
フィーネも不思議に思い、ナナの後を一緒について行く。
ナナはゴミ捨て場を舐めるように見渡してから、ある一つのポリバケツのフタを開けた。フィーネはナナの開けたバケツに何が入っているのかと、一緒になって覗き込む。するとそこには……
――ガタガタガタガタ……
ナナよりも小さな幼女が、涙目で小さく震えていた。
「あなた、どうしてこんなバケツの中に入っているの?」
そうナナが問いただしても、その幼女は怯え切った様子でうまく言葉を口にできないでいた。
そのクリクリとした瞳一杯に涙を溜めて、怯える姿はまるで小動物のようだ。髪は淡いクリーム色のショートボブで、服装からこの子もまた、奴隷だという事はすぐに分かるのだった。
「仕方ないわね。ユリス、出番よ!」
ナナはユリスにバトンを渡す。
任されたユリスは、優しくその幼女に話しかけた。
「こんにちは。怖がらなくても大丈夫ですよ。私達は何もしません。何かをするとしたら……頭を撫でてあげることくらいですかね?」
そう言って、バケツに入ったままの幼女の頭を撫で始めた。
ぽわ~~……
幼女は気持ちよさそうに目を閉じて、いつの間にか震えが止まっていた。
「それで、あなたはどうしてバケツの中に入っているんですか?」
「あ、あのね……見つかったら、また連れ戻されちゃうの……だから、早くフタを閉めて隠れたいの……」
どうやら幼女は買い主から隠れているようだった。
しかし、ユリスは逆に幼女をバケツの中から引っ張りだすのだった。
「な、なんで……?」
「こんな所に入っていたら、どこかに捨てられちゃいますよ。私達と一緒に来ませんか?」
「で、でも……知らない人について行くなって言われてるの……」
そんな、ユリスが幼女と会話を試みている様子をナナとフィーネはジッと見守る。
「ユリスってすげーな。あんなに怯えていた子が、もう普通に話してる」
「ユリスはヒーラーとして、相手と心を通わせるのが得意なのよ。怯えた相手を落ち着かせるにはユリスを使うに限るわ」
「いや、アイテムじゃないんだから……」
そんなやり取りをしている時だった。ユリスと話していた幼女が再び震え出し、うずくまってしまった。
「来る……怖い人達がこっちに来るの……」
その直後であった。ドタバタと土煙をあげながら、三人の男性がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「いたぞ! あそこだ! 捕まえろ!」
三人の男達は、確実にその幼女をターゲットにしている様子で突撃してくる。
そんな三人組を見て、ナナはため息を吐いた。
「この街はこんなのばっかね。ユリス、蹴散らしていい?」
「……いえ、ナナちゃんが暴れれば暴れるだけ、今後誤解を解くのが難しくなります。ここは私がちゃんと説得してみます」
そう言ってユリスがみんなの前に立つ。
勢いの衰えないまま突っ込んでくる男達に、ユリスは堂々とした態度で呼びかけた!
「みなさん落ち着いて聞いて下さい。私の話を――」
バコーン!
ユリスは見事に吹っ飛ばされていた。猪のように突進する男達の目には幼女しか映っていない。
キュ~……と目を回すユリスを見て、ナナは一歩前へ出た。
「もう怒った! ユリスの敵は私が取る!」
「いや、別に死んでねーから!」
フィーネのツッコミを無視して、ナナは軽く跳躍する。男達の頭くらいまで跳び上がったナナと男達がすれ違った瞬間……
タタタン! と、リズムカルな音が響き、ナナの着地と同時に男達もまた、その場に倒れ込んでいた。
すれ違いの瞬間に、三人全員に鋭い手刀を喰らわせていたのだ。
「ふえ~……さすがナナちゃんです~……」
「ナナって本当に強かったのな……って大丈夫かよユリス」
フラフラとしているユリスにフィーネが寄り添う。どうやらユリスはさほど問題ないらしい。ナナは呆然とする幼女に歩み寄って声を掛けた。
「これで怖い人はいなくなったから、もう大丈夫よ」
そう言って、乱れたセミロングの金髪をバサリと翻す。
「か、か、か、かっこいい~~!!」
「……へ?」
幼女は瞳をキラキラと輝かせて、ナナを見つめていた。
「お姉ちゃん凄くカッコよかったの~!!」
「そ、そう? なら、私達と一緒に来る? あなたにも出来るように教えてあげるわよ」
「ほ、ほんと~!? 行く~!!」
ここぞとばかりに、人材確保のため勧誘を始めるナナであった。
そうして、メンバーが五人となった一行は南の村へ向かうべく街を出る。その道中で、ナナは幼女に名前を聞いてみた。
「私は、リリアラって言うの」
「そう。ならリリって呼ぶわね。いいかしら?」
「うん。それでいいの」
「それでね、リリ……」
「うん?」
不思議そうな表情で、ナナが何を言いたいのかまるで分っていないようだ。
「どうして私にこんなくっついているのかしら?」
そう。街を出てからずっと、リリアラはナナの腰にしがみ付いているのだった。
「なんかお姉ちゃん達、優しい感情が出てるから、こうしてると落ち着くの」
「……ユリスならともかく、私も?」
「うん。ナナお姉ちゃんもポワポワしてあったかい感情が出てるから気持ちいいの」
よく意味不明な表現を使う子のようだ。
「ふふふ、ナナちゃん随分と懐かれちゃいましたね」
ユリスがそんな事を言って笑っている。それがまた気恥ずかしいとナナは思った。
「でも、ちょっと羨ましいから私もくっついちゃいますね。ぎゅ~……」
ナナに抱き付くリリアラを挟むように、ユリスもまた抱き付いて来る。ユリスは赤髪の少女を背負ったままなので、まるでトロッコのように繋がっていた。
「何バカな事やってるの。早くフィーネの村まで行くわよ。あとリリ、歩きにくいからしがみつくなら背中にして」
そうしてリリアラは、ナナの背中にくっつく事になった。髪の色も似ているので、本当の姉妹に見えなくもない。
「それにしてもさ。リリがポリバケツの中にいるってよくわかったよな。どうしてわかったんだ?」
そうフィーネが聞いた。
「簡単よ。私は人の気配で大体の位置がわかるから、リリもそれで見つけたのよ」
「気配……? そんなのマジでわかるものなのか……?」
「わかるわ。リリだって人の気配に敏感だと思う。さっきから言っている感情というのは私が感じ取っている気配と同じものね」
すると背中にしがみ付いているリリアラが、ションボリするような声で言った。
「うん。私ね、人の感情がよくわかるの。でもそれが普通だと思って何度も口にしていたら、ママはそれが気味が悪いって言って、知らない人に押し付けられちゃった……」
奴隷にされる理由なんてものは様々だ。リリアラのように親に疎まれて売られる子もいれば、親が亡くなって引き取られる子もいる。
だが総じて言えるのは、奴隷にされるのは子供だけと言う事だ。
この国では以前、よく子供が捨てられる事が多かったと言う。そのために、奴隷にしてでもどこかの家に置いて養う必要があったらしい。
そして15歳という、ある程度自分一人で生きていけるだけの年齢になったとき、奴隷としての身分を消されて仕事を与えられるのだ。
今でもこの制度は残っている。変わったのは人の心。奴隷だと言う理由で、平気で暴力を振るう大人が増え、問題視されている事も事実であった。
「大丈夫ですよ。今は私達がいます! もうリリちゃんは一人じゃありませんから!」
そう言ってユリスは再び抱き付いた。ナナとユリスに挟まれて、ギュウギュウと圧迫されているリリアラはキャアキャアとはしゃぎ、暗い表情は消えていく。
「ええ~い、だからそんな事してる暇ないんだって。早く先に進むわよ」
そう言いながら、先頭のナナも楽しそう笑っている。そんな様子をフィーネは一歩引いたところから見ているのだった。
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「到~着!」
少しずつ周りが茜色に染まり始めてきた時間帯に、ナナ達はフィーネの村へ辿り着いた。
馬車も使わず何時間も歩き詰めだったため、フィーネはずっと息を切らしていたが、村に入ったとたんに元気になった。
「やった……私、帰ってきたんだ! やった~!」
はしゃぐフィーネに一同はほっこりとするが、それはフィーネと別れの時が来たことを意味する。
「あのさナナ。その……色々とありがと」
顔を赤くして、恥ずかしそうにフィーネはお礼を言ってきた。
「多分アンタが私を買ってくれなきゃ、こうして帰る事なんてできなかった。感謝してる。私、なんにも力になってやれなくてごめんな」
「別にいいわ。拠点の守護者は残った二人に任せるもの。じゃ、元気でね」
別れを告げ、フィーネは田んぼ道を走り帰路につく。
そんな様子を、ナナ達は見守っていた。
「フィーネちゃん良かったですね。じゃ、私達も行きましょうか」
「ユリス待って!!」
歩き出したユリスの首根っこを掴もうとして、赤髪の少女の服を握りしめる。結果、おぶっている赤髪の少女の腕がユリスの首に食い込んだ。
「このまま帰るわけないでしょ。追うわよ」
「ちょ……苦しい! ナナちゃん苦しいです!!」
そうしてナナはフィーネの気配を辿り、尾行を開始する。村が狭い事もあり、五分ほどでフィーネの家を特定する事に成功したナナ達は、木陰から覗き込んで、フィーネの観察を始めるのだった。
「お母さん!」
洗濯物を取り込もうとしている女性にフィーネが声を掛けた。
「え……? フィーネ? 本当にフィーネなの!?」
「うん! 私、帰って来たよ!」
フィーネが母親の胸に飛び込んだ。
母親も始めは驚いていたが、フィーネを強く抱きしめて、満面の笑みを浮かべていた。
それを木陰で見ていたナナはユリスに聞いた。
「ユリス。アレを見てどう思う?」
「うわ~んフィーネちゃん良かったですぅ~……」
すでにユリスは泣いていて顔がくちゃくちゃだった。
「そう。ユリスにはあれが感動的に見えるのね……」
「え? どういう意味ですか?」
ナナは睨みつけるように親子から目を離さない。
「リリ。あなたならわかるんじゃない? アレを見てどう思う」
「ん~……」
未だナナの背中にくっついたままのリリアラもまた、親子の様子をジッと見つめていた。
「二人共嬉しそうなの。けど……なんかちょっとおかしいの」
「おかしい? 何がです」
とユリスが訊ねる。
「ん~……なんかねぇ……ママさんは喜んでるんだけど、お金を見た時のような感情なの……」
「え……? どういう事ですか?」
ユリスは首を傾げる。
だからナナは思った。きっとユリスは恵まれた両親の元に産まれ、恵まれた環境で育ったのだと。同じ村の子供に好かれていたが、憎まれ口を真に受けていた事もあった。そう言った意味でユリスは、良くも悪くも真っすぐすぎるのだ。
「二人共、もうちょっとここで見張るわよ。特にユリスは、こういう人間もいるんだって事を見ておいた方がいい……」
不思議そうな表情のユリスに、ナナはただ、そう言う事しかできなかった……