幼女は魔物を討伐する
「魔物が一番強い大陸……魔物が一番強い大陸ぅ~……」
ドンブラコと船は波に揺られながら進んでいく。
船の中で一夜を過ごし、朝日が昇った船の上で、ユリスは浮かない表情をしていた。
「どうしたのユリス。酔っちゃった?」
ナナが心配そうに顔を覗き込むと、ユリスはギクシャクした動きでナナを見つめた。
「ううん。そうじゃなくて、私、これからやっていけるのかなって……レベルの高い魔物に睨まれただけで死んじゃったりしませんかね……?」
「大丈夫でしょ? プレッシャーで死んじゃう虫じゃないんだから」
「虫みたいなもんですよ! 私のレベル9ですから! 虫みたいなもんですよ!?」
ナナは取り乱すユリスに戸惑いながら、なんとか落ち着かせようと言葉を選ぶ。
「近付く魔物は全部私が倒すから大丈夫よ。ユリスには指一本触れさせないから。ね?」
「ナナちゃん……わかりました。私、ナナちゃんから離れません!」
――ヒシッ!
いつものようにギュッと抱き付くユリスであった……
「船の上でくっついてどうするの……とりあえずもうすぐで着く大陸について教えて」
ナナは今向かっている大陸についてほとんど何も知らない。船乗りに聞いて、一番魔物が強い大陸行きの船を選んだだけなのだ。
「え~っと、今から行く大陸は、『バルバラン大陸』です。魔物のレベルは100以上と言われて、強力な魔物だと200を超える種族もいるっていう噂です。船着き場を降りてすぐ西の方角に大きな街があり、この街は『ドルンの街』と呼ばれていて、魔物が強いバルバラン大陸で唯一安定して商売ができるだけの安全水準を満たした街になっています。まぁ、ドルンを中心に周囲に小さな村もあり、農業を営んでいる所も少なからずありますけどね」
「なるほどね。じゃあまず、そのドルンって街に行って、少しお金を稼ぐとしましょう。各ギルドに私達の情報を送って警戒を強めているらしいけど、その情報が浸透する前に少しは稼いでおきたいわ」
そう話をしているうちに、船はバルバラン大陸に到着する。橋がかけられ、二人は船から下りて大地に足を踏み入れた。
「ガクガクガク……魔物いませんよね? いきなり襲われませんよね?」
すでにへっぴり腰で、周りをキョロキョロとしているユリスであった。
「そこまで出現頻度が高いなら船の出入りだって出来ないでしょ? さっさとドルンの街に行くわよ」
「ひぃ~、待って下さい~……」
――ヒシッ!
またしても後ろから抱きつくユリスだが、この時ばかりはナナから真面目な言葉が飛び出した。
「ユリス。そんなにくっつかないで。私はこの世界に召喚されてから、まだ魔物という存在を見た事がない。どんな強さなのか、どんな特性を持っているのかまるでわかっていないの。いざって時に動けないと、それこそユリスを守る事も出来ないのよ」
「あ……ご、ごめんなさい……」
シュンとして、反省するように俯いてしまったユリス。
(ちょ、ちょっと強く言い過ぎたかな……?)
少しだけ罪悪感を感じて、ユリスを安心させようと思考を張り巡らせる。
「安心してユリス。私の五感で察知できない生き物なんてそうそういないわ。どんなに気配を消す事が得意な生き物も見つけてみせる。だからちゃんと私の後ろをついて来て」
「は、はい! わかりました!」
――ピトッ!
ユリスが抱き付く代わりに、ナナの背中に両手を当てて密着した。
「ああ、ナナちゃんの背中、小さいのに大きく感じて頼もしいです。えへへへ……」
どうやらあまり心配する必要はないようだ。
至っていつも通りなユリスに、ナナは呆れて早歩きで進みだした。
「じゃ、さっさと行きましょ」
「あ~ん、待って下さい! 置いて行かないでぇ~!」
そうして二人はドルンの街に向かって歩き出すのであった。
・
・
・
「到~着!」
道中、特に魔物に襲われる事も無く、二人は無事ドルンの街へとたどり着いた。
街に入るとナナは、ユリスが浮かない顔をしている事に気が付いた。
「どうしたの? まだ魔物が怖い?」
「いえ違うんです。私、この街はあまり好きじゃなくて……」
どういう意味なのかナナには分からない。その理由を訊ねてみると……
「ナナちゃんにはまだ言ってませんでしたね。この街は、法律で奴隷制度が適応されている唯一の街なんです」
ナナは周りを見渡す。
綺麗な衣服に身を包んだ大人が、ボロボロの服に身を包んだ少年少女を引きつれている姿がチラホラと見えた。買い物の途中なのか、子供に大きな荷物を持たせている大人もいる。
「私、奴隷制度を取り入れようなんて考え方、理解出来ません……」
なるほど、とナナは理解した。ユリスはとても心優しい少女だ。それは召喚されたばかりのナナにもよくわかる。そんなユリスが、奴隷を見て何も思わない訳がない。しかしこの奴隷制度は法律で決まっているために、周りがどうこう言ってもどうしようもない。
ただ単に、こき使われている奴隷を見て、胸を痛める事しかできないのだ。
「ユリス。気持ちはわかるわ。けど、私達も周りを気にしているだけの余裕はないのよ。私達だって、世界を敵に回す勢いで街を出てきたんだから」
「……はい」
煮え切らない態度で、ユリスはそう呟くのであった……
そうして二人はギルドを探した。この街のギルドからお金を稼ぐ算段なのだ。
「さぁ、私達の情報がこの街に浸透していなければいいのだけれど……」
もはやお尋ね者といっても過言ではないナナが、ドルンの街のギルドの扉を開け放った。中へ入ると、そこもユリスの故郷であるギルドとほぼ同じだった。
装備に身を固める冒険者達。
武器や鎧がカツカツとぶつかり合う音。
若干の男臭さ。
受付まで歩いていく最中、冒険者からジロジロと視線をあびせられていた。
「こんにちは。お金を稼ぎたいのだけれど、魔物退治の仕事はあるかしら?」
ナナが受付にそう聞くと、受付の女性からも驚きながらジッと見つめられた。
「えっと……冒険者として登録されている方でしょうか?」
必死に平静を装って、いつも通りの説明をこなそうとしている受付女性であった。
どうやら説明を聞く限り、ギルドに登録して冒険者としての証を持たないと仕事は請け負えないらしい。ナナは仕方なく、その場で登録をして冒険者の証というバッチを受け取った。
冒険者には階級と言う制度もあるらしい。証を受け取ったばかりの者は10級から始まり、1級に近いほどベテランというシステムだ。さらに1級を超えるとマスターランクとなる。
「さ、これで仕事が請け負えるようになったのでしょ? ここで報酬が一番高い討伐任務を紹介してちょうだい」
「ええっと……お言葉ですがナナ様、ここの魔物は他の大陸の魔物よりもはるかに強い種族が多く生息している地域となっております。魔物討伐で報酬を得たいのでしたら、ちゃんと修行するか、もしくはもっと弱いところで実績を積むかしたほうが良いかと……」
「そんな事は分かってるわ。いいから一番高い討伐任務を教えなさい」
ユリスがハラハラしながらナナのやり取りを見守っている。
受付女性はため息を吐いて、一枚の紙を差し出した。
「今一番高い報酬が出るのは、『サーベルタイガー5匹の討伐任務』です。サーベルタイガーのレベルはおよそ150。これを5匹倒してきてください」
「わかったわ。ところで、5匹倒したっていうのはどうやって証明すればいいのかしら?」
「こちらから『見届け人』と呼ばれる付き添いを一人出します。この人物が討伐数を数えますので、くれぐれも怪我をさせるような無茶はしないで下さいね。もしも死亡させたりとなれば、逆に賠償する事もありますので」
なるほど、とナナは思った。
見届け人を付ける事で、冒険者の無茶な行動を抑制する効果があるのだろう。報酬欲しさに無茶をすれば、自分だけではなく、関係の無い見届け人まで危険にさらす事となる。無茶な深追いなどを減らすのには効果的なシステムだ。
「で、その私達の見届け人は誰なのかしら?」
「それはその……」
受付女性がチラッと奥の部屋を見る。
ナナもその視線を追ってみると、なるほど、奥の部屋では三人の男性が揉めていた。
「お、おい、なんだよあの少女二人で魔物退治って! あんなパーティーの見届け人なんて死にに行くようなもんだぞ! お前行けよ!」
「ふざけんな! サーベルタイガーの討伐!? 出くわしたら絶対に逃げられないスピードを持つ魔物じゃないか!! お、俺はさっき見届け人の役をやった! 次はお前の番だろ!?」
「痛っ! 痛たたたっ! 急に腹が……代わりにお前が行ってくれ!」
誰も行きたがらないようで、メチャクチャ揉めていた……
「早くしてくれるかしら? これでも私達、結構忙しいのよ」
「は、はい、少々お待ちください!」
受付女性はパタパタと三人組の仲裁に入っていく。
「そう簡単に決められる訳ないだろ!」
「そうだよ! 自分の命が掛かってるんだぞ!」
「痛たたた。僕はいけそうにない。痛たたたた!」
さらにメチャクチャ揉めていた……
結局、ナナの見届け人となった人物は丸メガネをかけた中年の男性となった。メガネの男性は青ざめた表情でブツブツと遺言のようなものを口走っている。
ナナはそんな男性の様子なぞ気にもせず、さっそく街の外へと出て討伐に向かうのであった。
「あ、あのさ、俺は少し離れてていいかな? いつでも逃げられるようにしたいんだよね」
丸メガネの男性はそうナナに言う。だが、ナナの考えはまるっきり正反対だった。
「離れた結果孤立して、あなたが魔物に襲われた時に助けるのが間に合わなくなる可能性があるわ。出来る限り私から離れない方がいい。まぁ、30メートルくらいなら離れてもわかるけどね」
ナナの割り出した人間離れした数字を聞き、むしろ一層不安に思ったのか、メガネの男性は俯いてしまった。
そんな男性に、ナナは笑いながら力強く言った。
「むしろあなたはラッキーよ?」
「ラッキー? 俺が? なんで?」
「あなたは魔物の数を数えるだけでこの仕事が終わる。しかも短時間でよ? こんなに楽な仕事はないわ。命懸けなだけあって、あなたもギルドから報酬が出るのでしょ?」
「あ、ああ、もちろん生きて帰る事が出来たら報酬はあるさ。けど……」
ナナの自信を理解できないといった具合に、男性は不思議そうな顔をしていた。
「はいはーい! 私、作戦を考えました!」
ここでユリスが大きく手を挙げた。
「どうしたのかしら? ユリス」
「魔物を倒す係はナナちゃんだとして、私はその作戦を考える参謀役をやろうと思うんです! そうすればナナちゃんも少しは楽に戦えるじゃないですか!」
「……ユリスに参謀役が務まるのか果てしなく疑問なのだけれど……とりあえず作戦とやらを聞こうじゃない」
ユリスは胸を張り、説明を始めた。
「作戦ていうと長くて難しいから簡単に説明しますね。まずは私が魔物をおびき寄せる囮役になるんです。そして魔物が近付いてきた所をナナちゃんが倒す! どうですか!?」
――長くないし難しくもない……
ナナと見届け人はそう思った。
(むしろ、囮になる役って危険だから実力者じゃないと危ないんだけど……まぁ私が全部倒せば問題ないか)
参謀役にしては危なっかしい作戦だが、ナナはその作戦で行く事にした。
「それにしてもあれだけ魔物を怖がっていたのに、よく囮役なんてやる気になったわね」
「はい。私だってナナちゃんの役に立ちたいんです。それに、ナナちゃん言ってくれました。『近付く魔物は全部私が倒す。指一本触れさせない』って。私、信じてますから」
ニコッと微笑むユリスを見て、ナナは気持ちが引き締まるのを感じた。
そうして、ユリスは草原で歌を歌いながらスキップを踏み、ナナと見届け人はそれを木陰で見守る事になった。
「ほ、本当にこんな作戦で大丈夫なのかね……」
見届け人は未だに不安そうだ。しかし――
「大丈夫よ。ユリスに近付く魔物は全部私が倒すもの。触れるどころか、襲う前に全て狩るわ」
ナナの言葉に唖然とする見届け人だった。
「けどね、私って魔物と戦うのは初めてなの。だから絶対に油断しない。私の持てる能力を全て使って全力で挑むわ」
そう言って、ナナは自分の中にある力に手を伸ばす。
無数にある力の一つを選ぶと、それを自分の体に組み込むようにして……引き出す!
――「インストール! ライカンスロープ!!」
ドクン! とナナの鼓動が高鳴った。
その瞳は瞳孔が開き、獣のように縦長に伸びる。
――ライカンスロープ。人間の知性と、獣の敏捷性を併せ持つ魔界の住人で、この遺伝子を呼び起こすと五感も鋭くなるという効果がある。
ナナは目を閉じ、集中して周囲の気配を探る。
「100メートル以内に動く者が二匹いるわね」
「100メートル!? そんな事が分かるのか!?」
「わかるわ。一匹はこっちに気付いていなくてウロウロしているだけだけど、もう一匹は静かにこっちに近付いて来る。80メートルくらい先ね。先にこいつを仕留めてくるわ」
そう言ってナナは立ち上がる。真っすぐ見据えるのは、こっちに近付いて来るであろう80メートル先のターゲットだ。
「ああそういえば、もう一つ聞きたい事があるんだったわ」
「な、なんだい?」
唐突なナナの質問に、見届け人は息を呑む。
「討伐任務はサーベルタイガーだけど、別の魔物は倒しちゃダメとか、そういうルールってあるのかしら?」
「い、いや、別にそういうのはない。この辺には保護生物もいないし、動く物は全て魔物だと思っていい」
「ならよかった。全力出すから、勢い余って別の魔物もまとめてやっちゃいそうだったのよね!」
そう言って、ナナは走り出した!
まるで弓矢を放ったかのような加速で、一瞬で草むらを飛び出し、スキップを踏むユリスの隣を駆け抜け、凄まじい速さで魔物に迫る。
(見つけた!)
40メートルほど先に、身を低くしながら這うように移動する獣を見つけ、ナナは全力で大地を踏みしめた!
その地に深く足跡を残し、蹴り出した勢いで土が宙を舞い、ナナの姿はフッと消える。次の瞬間、ナナは40メートル先の、魔物の真上に出現していた。
拳を掲げて、真上に現れたナナに気付きもしない獣に向かって、その拳を振り下ろす!
――ドゴオオォォン!!
背中を思い切り殴りつけると、地面に叩きつけられた魔物は血を噴き出して動かなくなった。
ナナは遠くからユリスと見届け人に手を振ってここまで移動する事を指示する。そうやって、ナナの魔物討伐の任務は幕を開けたのであった。
・
・
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「ただいま~!」
ギルドの扉を開けて、ナナは胸を張って受付まで歩いていく。
「サーベルタイガー5匹の討伐、終わったわよ」
そう告げると受付女性だけでなく、周りの冒険者まで戸惑いの声を上げていた。
「ほ、本当に終わったんですか!? まだ一時間しか経っていませんけど……」
「本当よ。ねぇ? そうでしょ?」
ナナが連れ回していた見届け人にそう聞くと、丸メガネの男性は呆けた表情のまま頷いた。
「ああ、確かに終わった」
それを聞いた受付女性は、戸惑いながらも報酬のお金が入った袋をナナに手渡す。
だが――
「信じらんねぇな! サーベルタイガーと言えば、忍び寄って不意を突く厄介な魔物だ。素早さも高い分、確実に倒そうと思ったら罠を張るのがベスト! 5匹も倒そうとしたのなら、丸一日かかる魔物だぜ!」
そう言って、周りにいた冒険者が詰め寄って来た。
「おい見届け人さんよぉ。本当にこんな嬢ちゃんが倒したのか? 口裏合わせてんじゃねぇだろうな!?」
だが、丸メガネの男性は静かな口調で言った。
「いや、確かに倒したさ……サーベルタイガー5匹――」
その冒険者は納得がいかなそうな表情だったが、次第にその表情は驚きへと変わっていった。
「――と、殺人バチ9匹。吸血ネズミ8匹。デスコンドル4匹。ブラックスネーク10匹。キングベア6匹。ヘルアント23匹……そして、アイアンゴーレム1匹……」
「ア、アイアンゴーレムだと!? ここよりも北にしか出ないレベル200級の魔物じゃねぇか!」
一同が驚愕の眼差しでナナを見る。当の本人は疑いが晴れたと分かるや否や軽く会釈をすると、報酬の袋をポーンポーンと投げながらギルドから出て行った。
後に残されたのは見届け人と冒険者のみである。
「およそ一分に一匹のペースで魔物を倒していって、俺の周りにはどんどんと魔物の死体が転がって、俺もどれを数えてどれを数えていないのか段々分からなくなって、今言った数字もちゃんとあってるのか微妙で……あの子達、一体何者なんだよおぉ!!」
ついには頭を抱えて叫び出す丸メガネの男性。それを落ち着かせようと、周りの男達は肩に手を置いてゆっくりとなだめていった。
「落ち着けって。別にあの子が何者でも構わないさ。魔物を倒してくれたんだろ? むしろありがてぇじゃねぇか。それによ、この世界には強ぇ奴ってのはいるもんさ。『四獣』だろ? 『剣美』だろ? 『三鬼』に~……、あと『陽炎』」
「おいおい、四獣や剣美はともかく、三鬼や陽炎は噂程度で見た人なんていねぇじゃねぇか」
「むしろ、あの子が陽炎の正体だったりな」
ははは! とその場で笑いが起こる。けれど丸メガネの男性は至ってまじめにこう答えた。
「あの高防御力のアイアンゴーレムでさえ一撃で粉砕していた……あの強さ、スピード、四獣レベルか、それ以上だ……」
その言葉に、またしてもその場は沈黙に包まれるのであった。
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・
「ん~、お金は手に入ったけど、何を買おう……」
ナナは悩んでいた。正確に言えば、買いたいものはあるのだが、それに使っていいか迷っていた。
「この大陸を拠点にするって言ってましたよね? どこに拠点を作るんですか?」
と、ユリスが聞いた。
「魔物がひしめく荒野の真ん中」
「ええ~!? それじゃ危ないじゃないですか~!?」
「だからこそ都合がいいのよ。並みの冒険者じゃ近寄れないでしょ? それにさっきの討伐任務で少しは魔物の事もわかったし」
そんな話をしている時だった。
――ドサッ!
ナナ達の前に突然一人の少女が吹き飛ばされて倒れ込んで来た。
その少女は、服装から見るに……奴隷だった。




