幼女は修行で殺意を抱く
「はぁ、はぁ、はぁ~……」
疲労した体で息を切らしながらもナナの緊張は切れていない。五感をフルに活用して周囲の状況に気を配りながら、目の前の相手を睨みつけていた。
「素晴らしい! 流石お嬢様でございます!」
目の前の執事服に身を包んだ青年が歓声をあげた。
「短時間でこの動きに適応するだなんて、まさに天賦の才! 魔界が生んだ奇跡の結晶! 伝説の始まりでございます!」
「うっせーバカ!」
青年の軽口にイラついたナナは吐き捨てる。すると青年は意外にも人差し指を立ててお説教を始めるのだった。
「いけませんよお嬢様。そこは、『うるさいわよジェイド。少し黙りなさい』でございます!」
ジェイドの態度に、ナナはさらにイラついていく。
「ジェイドには関係ない!」
「関係ありますよ! 僕はお嬢様の教育係なんですから。修行だけじゃなく言葉遣いにも口を出す権利があるのでございます」
「言葉遣いなんてどうでもいい!」
「よくありません! お嬢様には丁寧な言葉遣いで華麗に敵を圧倒して、『うわっ、なんだこの幼女! 強い上に言葉遣いまで可憐だ!』という魔界で一目を置く存在になってもらう予定ですので」
「……」
迷惑な話だとナナは思った。
――いつの頃からだろう。こんな修行が始まったのは……
ナナが覚えている限りで一年以上の月日が立っていた。
最上位種族にして魔界を統べる家系に生まれてきたナナは、そのヴァンピールと言う種族に恥じないための修行を命じられていた。そしてその相手を任されたのが、代々仕えてきた使用人のジェイドである。
短く青い髪をなびかせるその青年は、爽やかな風貌だ。
普通魔界では敬語という言葉は存在しない。けれど、この魔界に『人間』という種族が入りこんできてから、ジェイドのように面白がって故意に使おうとする者も出来てきた次第である。
ヴァンピールと人間が共に寄り添い、この魔界という世界を統一したのが今から数百年前。今も昔も実力主義の弱肉強食の魔界であるが、それでもナナのご先祖様が魔界を統一したことで無駄な争いは少なくなった方であった。
けれど、こうして強引に修行させられる事に対してナナは不満を募らせていた。別に修行するのが嫌という訳ではない。強くないと生きていけない魔界の在り方は理解しているし、強くなる事に後ろ向きという訳でもない。ただ単に、強引すぎるのである……
ナナに選択の余地などは無く、物心つく前から修行に明け暮れる毎日。修行以外には何もさせてもらえない日々に、ナナはうんざりしていた。
(けれどこの修行ももうすぐ終わる。今が修行の99段階目。ジェイドの動きにも目が慣れてきた。もうひと踏ん張りだわ)
ナナが構えると、ジェイドもまた構えを取った。そして……
ダンッ! とジェイドが踏み込んで来た。
一歩だ。たった一歩で5メートルほど離れていたナナとの距離を無くして正拳突きを放つ。
ナナはその拳を最小限の動きで回避する。が……ジェイドの正拳突きは囮であった。ナナが避けようと身をよじった方向から、本命の左の拳で攻撃を仕掛けていた。
――パンッ!
まるでその攻撃を読んでいたかのように、ナナは手のひらでジェイドの攻撃を捌き、受け流す事に成功していた。攻撃を捌いた反動でクルリと体を回し、ジェイドの顔面に裏拳を放つ!
ナナの裏拳はシュっとジェイドの頬を掠める程度で終わった。ジェイドが大きく体を後ろに逸らして回避したのだ。しかしそのせいでジェイドは地面を転がった。
すばやく身を起こしたジェイドは、ナナに向かって大きな拍手を送った。
「おめでとうございますお嬢様。今の一撃は紛れもなく僕を超える動きでした。よって、修行の99段階目をクリアとします!」
「……お、終わった……!?」
パタン、と、ナナはその場に大の字になって倒れ込んだ。
辛く厳しい毎日。それを乗り越えて、達成感と解放感が体を包んでいた。
しかし――
「それでは修行の100段階目に移りたいと思います。さぁお嬢様、立ってくださいませ」
信じられない言葉が聞こえてきた。
ナナは身を起こして恐る恐る訊ねてみる。
「100段階目……? 99段階で終わりじゃないの……?」
「え? 誰がそこで終わりなんて言いました? まだまだ最強への道のりは遠いですよ」
ナナの頭の中が真っ白になっていく。
絶望。
虚無。
脱力。
放心。
色んな感情が入り交じり、ナナは動かなくなってしまった。
「やれやれ。99段階目っていうキリのいい所で修行が終わりだと勘違いしていたんですね。言っておきますが、僕はまだ本気の半分も出していませんからね」
その言葉に、ビクンとナナの体が震える。
「まだ、半分も進んでないの……?」
「そうですよ。さぁ立って下さいませお嬢様」
「嫌……休みたい。少し休ませてよ……」
「ダメです。お嬢様は今すごく調子がいい。今が成長するのに打ってつけの周期なんだと思います。この機会に一気にレベルアップと行きましょう!」
「……や、やだ。休みたい! そもそも今日はまだ食事すらとってないわ」
「食事をとると体中の血液が消化器官に集中して運動が出来なくなるんです。いわゆる横っ腹が痛くなる現象ですね。なので、もうしばらく食事は無しでございます!」
うんざりだった。
辛くて痛くて、すぐにでも投げ出したくなるような修行。
疲れていても休ませてもらえず、食事すらとらせてもらえない日々。
遊ぶどころか友達すら作らせてもらえない環境。
ナナにとっては、地獄というのはここなんだと認識するのに十分過ぎる状況であった。
「準備しないと痛い目に合うのはお嬢様でございますよ?」
そう言ってジェイドは、待ちきれない様子でナナに飛びかかって行った。
大の字から体を起こして座り込んでいるナナに、ジェイドは飛びかかる勢いを乗せて蹴りを放つ!
ドスン! とナナの腹に蹴りが刺さると、吹き飛ばされて床を転がる。
「がはっ! げほっげほっ……うぅ……」
――プツン!
ナナの中で何かが音をたてて切れた。
なぜ自分がこんな目に合わなくてはいけないのか。ナナには理解できなかった。頑張って頑張って、ここで修行はきっと終わりなんだとそう信じて、それを希望としてこれまで頑張ってきた。それだけナナにはすがる物が必要だった。それなのにその期待を裏切られて、勘違いだと簡単に済まされて、実力差はまだまだだと宣告されて、思い切り腹を蹴られて……
自分の気持ちなんて理解してもらえない事に悔しさがにじみ出る。
怒りが体を支配して、熱を帯びていく。
頭が沸騰して何も考えられなくなる。
固く握った拳から血が滲むほど、憎しみを感じていた。
だから、ナナは立ち上がってジェイドを睨みつける。
「私、この修行でアンタよりも強くなったら、絶対にアンタをぶっ殺す!!」
それに対してジェイドはニコっと笑うと、
「はい。構いませんよ。けれどそこは、『ジェイドよりも強くなったら、必ずあなたを殺してあげる』ですよ。あくまでも言葉遣いには気を付けて下さい」
「うわああああああああああああああああああああ」
ナナはジェイドに向かって駆け出していた。
そのふざけた態度が、バカにしたような表情が、その全てが不快に感じて、顔面に一撃を食らわせないと気が済まないと感じていた。
突撃するナナにジェイドは蹴りを放つ! リーチの長い脚でナナの勢いを削ごうとするフェイントだ。けれどナナは止まらない。攻撃を喰らってもいい。いくら殴られても構わない。そんな想いの捨て身の攻撃だった。
フェイントが通じず、むしろそれが悪手となったジェイドにナナが飛びかかる。血が滲むほど硬く握った拳を、ジェイドの顔面目掛けて全力で振るった!
――バキィ!!
ナナの一撃は完璧にジェイドの頬を抉り、その体ごと吹き飛ばした! 床を転がるジェイドを見て、ナナのうっぷんが晴れていく。
ジェイドは右手で床を叩くと体を浮かし、空中でその身を捻って着地を決めた。そして、またしてもパチパチと拍手を始めた。
「おめでとうございますお嬢様。これにて100段階目クリアと致しまして、101段階目に移りたいと思います」
それを聞いたナナはキョトンとしながら小首を傾げる。熱くなった頭は次第に冷えていき、冷静に現状を把握しようと脳が回り始めた。
そして、今の状況がいかに過酷であるかを理解して青ざめていく。
「ちょ、ちょっと待って! 今のはまぐれだから! まだ全然100段階目の動きとか見てないわ!」
「いやしかし、今のフェイントを見切っての思い切った攻撃は見事でございました。次のステップに移行するには十分かと」
「だからそれがまぐれだって言ってんのよ!! ただ単に捨て身の攻撃がタイミングよく決まっただけなの!!」
「あっはっは。またまたご謙遜を~」
ジェイドは軽く笑い飛ばすと、拳を構えて前のめりの姿勢となった。
――ゾクリッ!
その構えを見ただけでナナの背中には悪寒が走る。
一気に二段階も難易度が上がったという事実と、自分とジェイドの実力差を感じ取った事により、額から冷や汗が流れ落ちた。
「では、参ります!」
フッとジェイドの姿が消え、一瞬でナナの背後に回っていた。
ナナが背後を取られたと気が付いた時にはもうすでに、その体は宙に舞っていた。そして地面に落ちるまでの間、この実力差を埋めるのにどれだけの時間がかかるのかを考えざるを得なかったのだった……
・
・
・
「う、う~……ん」
ナナのまぶたがゆっくりと開かれる。まだ眠そうな表情のまま、ボ~っとしながら意識が覚醒するまで少しの時間を要した。
「!?」
ナナが今現在の状況を理解した。外で食事をした後、満腹感の後にやってくる眠気に誘われ、ユリスにもたれ掛かって居眠りをしていたようだ。
恥ずかしさからガバッとその身を真っすぐにして背筋を伸ばす。
「ご、ごめん! ちょっと寝ていたわ……」
謝りながらチラッと横目に見ると、ユリスはなんとも幸せそうな表情をしていた。
「えへへへ~、寝てる時のナナちゃん、すごく可愛かったです~。私に甘えるようにすり寄ってきて、袖をギュって掴んで離さないんです。うぇへへへへ~」
「ち、違うから! 寝ぼけてただけで、私の意思じゃないから!!」
「ヨシヨシって頭を撫でると、気持ちよさそうに私に体を預けてきて……もうたまりませんよ! ハァハァ……」
「し、知らないもん! 全然覚えてないもん!」
耳まで真っ赤になって必死に弁解するナナであった。
「でも、寝てる時のナナちゃん、なんだかうなされてましたよ」
「っ! 嫌な夢を見てたのよ。魔界にいた時の、修行していた頃の夢……」
ナナが不機嫌そうに、遠くを見るような目でそう言った。
そんなナナを見て、ユリスは優しく問いかけた。
「ナナちゃんの種族の事、聞いてもいいですか?」
「……別にいいけど、面白くなんかないわよ? 私は人間とヴァンピールのハーフって話はしたわよね? ヴァンピールってね、今じゃ頂点に君臨して魔界を統一しているけど、昔はすっごく弱かったんだって。魔界って強さにランクを付けているんだけれど、一番弱い下位種族って呼ばれていたらしいわ。で、私の遠いご先祖様のヴァンピールはね、魔界から命を狙われて人間界に逃げ込んだらしいの。そこで出会ったのが、パートナーとなる一人の人間だった。他にもその街はね、ご先祖様以外にも魔界の住人が多く入り込んでいて、お互いに協力しながら共存して暮らしていたそうよ。『七盟友』と呼ばれる絆が出来たのも、この人間の街で出会った仲間達だったし、能力を取り込む事に気付いたのもこの時だったらしいわね」
ナナが一旦息を整える。
その表情は感慨深いのか、羨ましいと思っているのか、ユリスにはわからない。
「そうだったんですか。他種族が共存する街だなんて、なんだかステキですね」
「けど、そう平和は長く続かなかった。ある日突然、ご先祖様と人間は魔界へ戻される事になったらしいの。そしてそこで、とんとん拍子で魔界の命運を左右する闘いに参加させられる事になったわ。ご先祖様と人間は仲間達の力を使い、激戦の末、ついに魔界最強の最上位種族に勝利して、さらにはその力さえも取り込んで頂点に君臨する事になったの!」
――お~パチパチパチ!
と、ユリスが歓声を上げて拍手を送る。
「けど、そのせいで生まれてくる子供はその立場にそぐわないように強制的に修行させられることに……ガクガクガクガク……」
――お~……ナデナデナデ。
と、ユリスが慰めるように頭を撫でる。
「だからね、この世界に召喚してくれたユリスには感謝してる。強制的に契約とかは……まぁ不満がないわけじゃないけど、それでも魔界で修行させられるよりはマシだと思ったわ。……ねぇユリス、本当に一緒に来るつもりなの? 今ならまだ間に合うわ。この街を出て行くのは私だけでもいいのよ? 私について来ると言う事は、もうこの街には戻って来れない事を意味しているのよ?」
ユリスの顔も見ずに、そうナナは言う。しかし――
「いえ、私も一緒に行きます!」
ユリスは全く迷わずにそう言うのだった。
「私はナナちゃんの友達として、どこまでも一緒に行きます! 例えこの世界を敵に回しても、私はナナちゃんの味方でいたいんです!」
ボッと顔から火が出るくらい、顔が熱くなるのをナナは感じていた。
そして、それと同時に嬉しい気持ちで胸が張り裂けそうになる感覚もまた感じていた。
「あ、ありがと……じゃあ、死ぬ時は一緒ね」
「またまた~。ナナちゃんより強い相手なんていませんよぉ。誰が敵として襲ってきても大丈夫ですって」
そんなユリスの軽い考えにナナは小首を傾げた。
「そんな事ないわよ? 魔界じゃ私より強い相手はゴロゴロいたわ。多分この世界にも沢山いるんじゃないかしら? 私、そういう連中に負けた時はそれまでだって割り切るつもりなんだけど……」
「ええぇぇ~~!? ナナちゃんよりも強い敵がゴロゴロ……ガクガク」
「えっと……ユリス大丈夫? やっぱり私一人でこの街を出て行ってもいいのよ?」
「だだだ大丈夫ですよ! わわわ私も一緒にいいい行きます!」
見るからに顔は青ざめ、声は震えていた。
そんなユリスの状態に、ナナは吹き出して笑ってしまった。
「クスクス、ありがと。まぁ今日戦った冒険者のレベルから想定するに、私よりも強い敵はそうそういないと思うわ。いたとしても、攻めてくるまでに準備を済ませればいいのよ。私だって簡単に負けるつもりは無い!」
そう言って、力強く立ち上がった!
「行きましょうユリス。そろそろ船が出航する時間でしょ?」
「えっと、ナナちゃんは船でどこへ向かうつもりなんですか?」
ナナの予定を聞いていなかったユリスが訊ねると、ナナははっきりと、そして簡単に言い放った。
「この世界で一番魔物が強い大陸よ。そこを私達の拠点にするわ!!」
そうしてナナは歩み出す。
その足取りに、迷いなんてものは一切なかった。