幼女は三鬼に狙われる①
「うぎゃあああああああああ!!」
一人の四十代くらいの男が全力疾走で走り回る。ちょび髭を生やし、砂埃が風で舞っても防げるようなブカブカのマントを翻していた。
「くっそ~!! これだからバルバラン大陸は嫌いなんだよ!!」
男の名はグラージュ。この大陸へは歪持ちであるナナを捕まえるためにやってきたのだが、魔物に襲われて逃げ回るのに必死であった。
情報では歪持ちの拠点はドルンの街から北にあり、森と荒野の境目にあるという。グラージュはその境目に沿って移動をしていたが、魔物から隠れるために急いで森の中へと身を隠した。
「こうなったら能力を使うか……? いや、出来る限り温存しておきてぇな……」
茂の中で魔物をやり過ごしながらグラージュは思案する。
実のところ、彼は三鬼と呼ばれる人物であり、ナナを捕まえるのにかなりの自信があった。その自信の源が彼の能力である。
グラージュはその能力から、『最強の捕縛士』という異名も持っている。この能力を買われ、大金で某国の国王に雇われているのだ。
しかし、この能力を発動するのには一つだけ問題があった。それは、発動させるまでに時間がかかる、という問題だ。
そんな彼の作戦はこうだ。まず歪持ちであるナナに隠れながら、出来る限り近付く。そして、影からコッソリと能力を発動させて、ナナを捕縛するのだ。
今ここで能力を使わないのは、ナナを捕縛した後、能力を維持したまま国王の元まで帰らなくてはならない為、出来るだけ疲労したくないのと、万が一に自分の能力を遠くから見られていた場合、完全に警戒されて通じなくなってしまう可能性があるからだ。
彼の能力は、いわゆる一つの初見殺しなのだ。発動してしまえば高確率で相手を無力化できるが故に、絶対にバレてはいけないのである。
「とりあえずゆっくりでもいい。魔物に見つからないように隠れながら北上するか」
グラージュはソロリソロリと移動を開始した。その時である。
「おじさん、こんな所で何をしているの?」
突然頭上から声をかけられた事に、心臓が跳ね上がった。
血の気が引いた頭で上を見上げると、高い木の枝に猫のように座っている女の子がいるのであった。
「え……っと、実は迷子になっちまってな。ドルンの街へ行きたいんだが……」
「嘘。おじさん危ないこと考えてるの。泥棒さんとか、盗賊さんみたいな感情なの。私、そういうのに敏感だから」
それはナナが信頼する仲間の一人、拠点の番人を任されているリリアラだった。
もはやリリアラの気配を察知する能力は洗練され、100メートル以上という広範囲に渡る索敵が可能となるレベルであった。
「おじさんもナナお姉ちゃんの討伐に来たの? レベルは?」
「いや……それは……その……」
グラージュは言葉に詰まる。こんなに早く見つかってしまうなんて想定外だったのだ。
(くっそ~!! こんな奴がいるなんて聞いてねぇぞ!! やべぇ奴は歪持ちと寝返った元四獣の白虎だけじゃねぇのか!?)
急いで次の作戦を考えようと思考を張り巡らせる。だが――
「もういいわ。ちょっと様子を見てたけど、レベルはそんなに高くなさそうね」
木の影から、また女の子が現れた。金髪を指で弄りながら、それでいて全く隙のないたたずまい。
グラージュも、その幼さから溢れ出す威圧感を感じ取り、すぐに気が付いた。
「お前が、歪持ちか……?」
「そうよ。で、あなたレベルは?」
「……650だ」
だが、思っていたよりも幼い印象で拍子抜けした事も事実で、口からはポロリと本音が零れた。
「その程度で師匠に挑もうなんて片腹痛いッス。身の程を知るッスよ!」
ナナとは逆の方向から声が聞こえた。グラージュが振り向くと、そこには虎のような耳付きフードを被った少女が佇んでいた。
「師匠、ここは私に任せてほしいッス。その程度のレベルなら、師匠が出る必要もないッス!」
グラージュがピクリと眉を動かした。その顔に覚えがあったのだ。彼女が四獣を抜け、歪持ちに寝返ったという噂の白虎だと気が付いた。
「う~ん……まぁ別にいいけど、油断しちゃダメよ?」
ピョンとナナが跳び上がり、邪魔にならないよう木の枝に座り込んだ。
「わかってるッス。おっさん、師匠と戦いたいならまず、私を倒してからにするッスよ!」
トトラが身構えるのを見ながら、グラージュは打ち震えていた。
(よし! よしよしよし!! ラッキーだ! 剣美さえも敵わなかった歪持ちと勝負なんて事になったら能力を使う暇も無く瞬殺されるが、白虎ならなんとかなるかもしれねぇ。しかも歪持ちは観戦してて木の枝から動かない。捕縛する絶好のチャンスだぜ)
先程のように感情を読まれないように全力で心を無にしながら、グラージュも構える。
「おっさん、名前は?」
「グラージュだ。お手柔らかに頼むよ。俺はただ単に金に目がくらんだだけで、実力はさほどでもないんだ」
ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて、少しでもトトラが手を緩めてくれるように仕向けようとしていた。
「嘘ね。そいつ、何か企んでいるわ。トトラ、絶対に油断しないで」
「了解ッス、師匠!」
嘘だとナナに見抜かれる事で心が乱れるが、もう後には引けない。グラージュも覚悟を決め、自分の中に眠る能力を呼び起こす。少しずつ組み上げて、そのターゲットとなるナナに標準を合わせた。
「では、行くッスよ!!」
トトラが一気に距離を詰め、接近戦を仕掛けてきた。
一撃目、二撃目と必死に攻撃を避けるグラージュだが、三撃目の回し蹴りが腹にヒットした。
地面を転がり急いで起き上がるも、トトラの猛攻は休む事を知らず、グラージュは防御と回避に専念していた。
グラージュのレベルは650だ。言葉に偽りはない。だが、それはあくまでもレベルだけの数字であり、グラージュの戦闘能力は決して高くない。
この世界のレベルは様々な要素を反映して数字を割り出している。例えば剣美の場合、レベルが1000という数字を大きく分けるとこのようになる。
身体能力分や戦闘技術、レベル600。
時壊の剣を扱い、時間止めの能力を操る分、レベル400。
合わせて1000レベルとなる。
それがグラージュの場合は、戦闘技術がレベル50。
そして捕縛の能力がレベル600と算出されていた。
つまり、グラージュの接近戦で殴り合う力はレベル50の冒険者とほとんど変わらないのである。これはグラージュがそれだけ捕縛の能力を磨き上げてきた成果であり、肉体的な修行をおろそかにした結果でもあった。
――バキィ!
トトラのアッパーが決まり、グラージュは空中を舞い、地面へ叩きつけられる。そんな様子に、トトラは戸惑いを隠せない表情を浮かべていた。
「なんか弱いッスね~……ほんとにレベル650ッスか?」
「だから言ってるだろ! 俺はそんな実力はねぇんだよ!」
ヨロヨロと立ち上がりながらグラージュは叫ぶ。……体の中では奥の手である捕縛の能力を組み上げながら。
「あ、もしかしてレベル650って言うのは必殺技が強いせいかも知れないの!」
木の上で観戦していたリリアラがそう口を出す。その的を得た読みに、グラージュの心臓は止まりそうになり冷や汗が流れる。
「実は、受けたダメージを倍にして相手に跳ね返すとか、そういう能力を持っているかもしれないの!! トトラお姉ちゃん気を付けて!」
「な、なるほど……一理あるッス!」
トトラが距離を置いて身構える。
そんな様子にグラージュは一転して歓喜する。
(よっしゃ! 勝手に俺の能力を勘違いして手を緩めてくれたぜ! もっとだ、もっと時間を俺にくれ!)
グラージュは構えを変えたり、思わせぶりな動きを見せてトトラの不安を駆り立てる。そうやって少しでも時間を稼ごうとしていた。
「んが~!! 攻撃を跳ね返す能力だろうとなんであろうと、ただ見てるだけじゃ結局勝てないッス! やっぱり全力で攻めるッスよ!!」
ようやく見失いかけていた自分の戦闘スタイルを取り戻したトトラが、再び攻めるために駆け出した。
しかしこの時、グラージュの能力はほぼ完成していた。
「クク、ひゃ~っはっは!! ようやく俺のターンだぜ!!」
グラージュが右腕を振るい、その能力を発動させる。すると、彼の周囲の空間が一瞬だけグニャリと歪んだ。
トトラはその能力を使わせまいと、全力でグラージュに飛びかかり、拳を振るった。しかし、
――グニャ!
グラージュの正面に飛び込んだトトラは、なぜか彼の体を突き抜けて背中から飛び出した。まるでグラージュの体が水になって、突き抜けたかのようであった。
「な、何スかこれ!?」
「ケケケ、これでもうお前らは俺に触れる事すらできねぇ。これが俺の能力、空間を歪ませる能力さ」
そう、グラージュの体が変化したのではない。周囲の空間を歪め、前方から攻めると歪めた空間を通り、グラージュの背後へと突き抜けてしまうように操作したのだ。
これによって、トトラの攻撃はグラージュに届かなくなってしまった。後ろから攻めようが、横から攻めようが、跳び上がり真上から攻めようが、捻じ曲げられた空間によってグラージュの元へはたどり着けない。
「そしてえええぇぇぇ。これが俺の狙いだああああああ!!」
グラージュが逆の左腕をブンと振るう。すると……
――ガシャン!!
ガラスが割れるような音が響き、木の上で観戦していたナナが立方体の中へと閉じ込められていた。
「捕縛完了! 歪持ちの周囲の空間を裂き、次元をずらす事でそこから出れなくしてやったぜ」
グラージュがクイッと指を動かすと、ナナを閉じ込めた立方体がフワリと動き、地面まで下りてくる。
「師匠!? 今助けるッス!」
トトラが慌ててナナが捕らわれている立方体に拳をぶつける。だが、硬いも柔らかいも無い。熱いも冷たいも無い。そんな不思議な感触の立方体を破る事は出来なかった。
「かぁ~はっはっは!! 無駄だよ無駄! 別に壁で閉じ込めた訳じゃねぇ。空間をずらして次元を隔てたんだ。すぐ目の前にいるが、実際は別次元に捕えている。殴ったところで次元は超えられねぇよ!!」
立方体の中でナナももがいていた。殴ったり、足元を踏んずけたり、色々と試しているがまるで効果は無い。
「この……師匠を放せぇ!! 『縮地!!』」
ギュン! と、トトラの体が不意に消えた。相手との距離をゼロにする技で、グラージュの元まで辿り着こうとしたのだ。
しかし、縮地でさえ彼の体を突き抜けて背後に移動するだけの結果であった。
(よ~しよしよし!! 白虎でさえ俺の空間操作を破れない! あと残る問題は歪持ちだ。あいつは色んな能力を取り込んでいるという噂がある。その能力で俺の空間に干渉するような技があるかどうか……)
グラージュは固唾を呑んで捕えたナナの様子を見る。
色々な能力を試しているであろうナナが、立方体から脱出しようと足掻いていた。空間を裂いてその中へと閉じ込められたナナの声はトトラ達には聞こえない。どんなに暴れてもその音さえも響いてこない。そんな空間に完全に捕らえられたナナの勢いは少しずつ衰えていく。
ついには万策尽きたのか、抵抗をしなくなり、立方体の表面に両手を着いて、グラージュを睨みつけるだけとなった。
「や、やった! 歪持ちでさえ破れない! 俺は勝ったんだ! 生かして捕えれば金貨500枚。これで俺は遊んで暮らせる! もう働かなくていいんだ! こんな危ない橋を渡る事もしなくてすむ! 俺の人生は今、完全に勝ち組になった!! よっしゃああああああああ!!」
グラージュは叫ぶ。完全に勝利を確信しているのであった。




