幼女は修行を振り返る
「お嬢様、起きて下さ~い。10分経ちましたよ~」
修練場の真ん中で大の字になって寝ているナナを、教育係のジェイドが揺さぶっていた。
「うう~……10分早いよ~……もっと寝たい……」
「っていうか、ちゃんと隠れてくれないと修行にならないんですが……」
ナナとジェイドは一日一回、必ず例のかくれんぼを行っていた。
気配を消す事はもちろん、遠くへ行くためのスピードやスタミナ。相手を欺くための閃きや判断力を養う目的であったが、当のナナは隠れるどころかその場で寝ていた。
「だって……私がどんなにうまく隠れたってジェイドすぐ見つけてくるんだもん……それだったら隠れるための10分をそのまま睡眠に使った方がマシだわ」
そう、ナナはジェイドが数えると同時にその場で寝るのだ。隠れる事も逃げる事もしない。これまでの経験でこれが最適だと判断した結果だった。と言うのも、ナナはここ一週間ほど全く寝ていないからだ。このかくれんぼにおいて隠れている時間がそのまま休憩時間になるというルールに乗っ取り、最初の頃は本気で隠れようとするナナであったが、すぐに見つかってしまっていた。それ故に、この隠れずにその場で寝るという行為である。
そしてこのナナの対応にジェイドは困った表情を浮かべていた。ナナは確実に成長している。このまま一気にレベルアップといきたいと思っているであろうジェイドだが、ナナからすれば今必要なのは睡眠なのだ。
未だ睡眠不足でボーっとしているナナを見ながらジェイドは少しの間考えて、何かを思いついたように一人で頷き始めた。
「わかりましたお嬢様。ではもう一つゲームをしましょう」
「はいはい、今度はなに……?」
もはや諦めに近い感じで、てきとうな返事をしながらダラダラと立ち上がるナナ。
「お嬢様も段々と実力が付いてきました。そろそろヴァンピールとして、他種族の能力を取り込んでもいい頃かと思います。そこでゲームです。ルールは簡単、お嬢様は三時間以内に、どの種族でもいいので何か一つ、能力を吸収してきてください。余った時間をそのまま休憩時間とさせていただきます」
「三時間も!?」
眠気眼だったナナが、その瞳を輝かせた。
「はい。最初はすぐにクリアして休憩時間を得られるでしょうが、数をこなすと段々と狙う相手が限られてきます。遠くに行く事にもなるでしょう。なので、まぁ三時間が妥当かと」
「やる! 早速始めましょ!!」
今にも飛び出しそうなナナを、ジェイドは慌てて静止した。
「お嬢様、最後まで話を聞いて下さい。知っての通りヴァンピールは相手の血を吸って遺伝子を取り込む訳ですが、その種族とは戦って打ち負かして下さい。そうじゃないと修行になりませんから」
さらにジェイドはルールを細かく説明していった。
「相手と戦う時は、使えるインストール能力は全て禁止です。自分自身の力だけで戦って下さい。さらに自分の種族がヴァンピールだという事を秘密にして戦う事。ヴァンピールはこの魔界にて覇権を握っています。そんな種族に襲われたら相手は畏縮してしまうかもしれませんからね。あくまでも相手とは真剣勝負。生きるために死にもの狂いで抵抗する相手を打ち負かし、その後で血を吸って下さい。もちろん相手を殺す必要はありませんよ」
ふむふむとナナは頷いていた。
「最初は簡単に終わると思いますけど、念のため僕もついて行きますね。ではこれより三時間の能力獲得チャレンジを開始します! スタート!!」
ジェイドの合図と共にナナは駆け出した。剛腕投手が全力投球で放ったボールの如く、凄まじいスピードで修練場を飛び出していく。森を駆け抜け、その先にある広い湖を飛び越え、戦う相手を探しながら走り続けた。
およそ10分ほど闇雲に走っていると、森の中で一つの影を目撃した。ブレーキをかけ、その相手に近寄ってみると、それは人型の少女であった。
「ねぇあなた、ちょっといい?」
ナナはその少女に声を掛ける。
茶髪の髪は短く、体に布を巻いただけの身軽な恰好をしている少女だった。
「き、来た……あなた、何者!?」
どうやらナナが凄まじいスピードで接近してくるのがわかっていたようだ。少女はかなり警戒して身構えている。
「あ~……私の事なんてどうでもいいわ。それよりもあなた、なんて種族?」
「…………ライカンスロープ」
なるほど、とナナは思った。ライカンスロープと言えば人間の知能と獣の敏捷性を併せ持つ種族だ。さらにその五感はかなりの鋭敏で、これによりナナの接近を感知していたのだろう。
(けど、接近に気付いても隠れるだけの余裕が無いのであれば実力不足ね。ライカンスロープは中位種族だし、この子でいっか)
ナナの実力はすでに上位種族と同等のレベルにまで成長をしていた。それ故にこの少女をターゲットと決めた。
「よし決めた! あなたを殺す事にするわ」
「え!?」
少女はビクリと体を震わせた。もちろんこれはナナの嘘である。ジェイドに真剣勝負を挑めと言われた以上、相手を本気にさせる必要があったのだ。
「私ね、今すごくむしゃくしゃしてたの。だからあなたに八つ当たりをしてスッキリさせてもらうわ!!」
そう言ってわざと殺気を出す。
ライカンスロープの少女はその殺気を敏感に感じ取り、青ざめていた。
「あ、あなた知らないの!? ライカンスロープはヴァンピールの七盟友なのよ!? あなたの都合だけで私を殺したら、魔界の覇者であるヴァンピールが黙っていないんだから!」
(ぷぷぷ。私がそのヴァンピールなのに)
ナナはこらえ切れず、つい吹き出してしまっていた。
「な、何がおかしいの!?」
「え!? いや~……え~っと……そ、そう! そんな甘い考え、笑わずにはいられないわね。魔界は元々実力主義。強い者が生きて弱い者が死ぬ。生き残りたいなら必死に抵抗してみなさい!!」
そう言って、問答無用でナナはライカンスロープの少女に襲い掛かった。
地面を思い切り蹴り、一気に加速すると滑り込むようにして少女の背後に回る。そのまま少女が反応するよりも早く、背中に肘鉄を喰らわせた。
「あぐっ!?」
吹き飛ばされた体を捻り、両手両足を地面に食い込ませてブレーキをかける。しかしまだ致命的なダメージには至っていなかった。四つん這いのまま、フーッとナナを威嚇している。
ナナは追撃を喰らわせようと再度飛びかかる。拳を振り上げ、ライカンスロープの少女を殴りつけようとした。その時、
「獣人化!!」
突然少女の体に変化が表れた。狼の耳が頭から生え、腰の辺りからモフモフの尻尾が伸びる。そしてナナの攻撃は紙一重で避けられてしまった。
両者は一旦離れて間を開ける。よく見ると、ライカンスロープの少女の瞳孔が開き、獣のように細くなっていた。
(まずい……そういえばジェイドが言ってた。ライカンスロープは変身すると、ランクが一つ上がるくらい戦闘能力が向上するって。これで私と互角くらいになっちゃったかも……)
急いで倒し、多くの休憩時間を貰おうと考えていたナナに焦りが生まれる。そんな中でライカンスロープが動き始めた。ナナに負けず劣らず、とてつもない速さで動き回る。地を蹴り、木を蹴り、枝を蹴り、縦横無尽に跳び回る。
ナナも必死にその動きに食らい付いていく。両者がハイスピードで動き、お互いの死角に入り込もうと画策する闘いが続く。
そんな戦いを制したのはナナであった。一瞬の隙を突き、ライカンスロープを殴り飛ばす。
ライカンスロープは軽く悲鳴をあげ、その体を大木に叩きつけられた。
自分の爪を大木に食い込ませ、必死に倒れ込まないように体を支える。息を荒くしながらもナナを睨みつけ、未だ諦めた様子は見えなかった。
当然と言えば当然である。彼女からすれば生きるために必死なのだ。死にもの狂いで抵抗する、その執念をナナは生まれて初めて体験した。
もちろんナナは殺すつもりはない。けれど、こんなにも必死に抵抗されると気が滅入ってくる。
「もういい加減……倒れてよ!!」
相手の雰囲気に飲み込まれそうな空気を振り払い、ナナはトドメを刺そうと全力で走った!
ライカンスロープの少女との距離を一瞬で縮め、渾身の一撃を繰り出した。だが――
――「転身!!」
バチン!
何かが弾けた。
電気がショートするよな音が響き、それと同時にライカンスロープの姿が消え、ナナの拳は空を切った。
ナナでさえ状況が掴めず、一瞬頭が混乱する。が、背後から恐ろしい殺気が膨れ上がるのを感じ、背筋が凍り付いた。
思い切って振り返ると、そこには知らない誰かが立っていた。いや、ライカンスロープの少女なのだろう。しかし、茶髪だった少女の髪は白銀へと変わり、顔や手足には赤い文様が浮かび上がっている。異様な雰囲気を感じさせる姿に変わった少女に、ナナは唖然としていた。
フッと、突然ライカンスロープの少女が消えた。
――ズバババババッ!!
ほぼ同時に、ナナは体中を引き裂かれていた。全身から鮮血が飛び散り、空中に舞い散る血を視界に捉える事で、自分が今攻撃された事を悟った。
ナナは自分の腕を見る。すると爪で引っかいたような跡がいくつも残っていた。しかしそんな攻撃は見えなかったし、そもそも動いたところすらも見えなかった。
一瞬で切り裂かれた傷が少しずつ痛みだしてきて、全身の痛みに足がよろめく。少し距離を置いて正面に現れたライカンスロープの少女は、そんなナナをただ睨みつけていた。
視界に映るその少女を見失わないよう、ナナは食い入るように見る。
またフッと少女が消えた。やはり動きは見えない。瞬間移動でもしたのではないかと言うほど、彼女の動きを捉える事は出来なかった。
そしてナナの体が吹き飛ばされる。どうやら凄まじい速さで体当たりをされたらしく、ナナの体は後方にそびえ立つ巨木に激突した。
切り裂かれた全身に衝撃が加わり激痛が走る。ナナはその場へ倒れ込み、立とうとしても痛みで体に力が入らなくなった。
今度はゆっくりと、前方からライカンスロープの少女が近付いて来るのがわかった。殺気だけがどんどん大きくなり、目の前で立ち止まった時、ナナは死を覚悟した……
(殺される……)
逃げられない事は明白で、諦めにも似たような感情で静かに目を瞑った……
その時だった。
――ズシイイィィン!!
ナナとライカンスロープとの間にジェイドが割って入ってきた。高い所から飛び降りたかのように、上から降ってきて着地と同時に砂煙を巻き起こる。
「どうやらこの勝負、ライカンスロープの勝利ですね」
突然の出現と発言に、ライカンスロープの少女は困惑していた。
「初めましてライカンスロープのお嬢さん。どうかその爪を収めてくれないでしょうか。実はこれ、修行の一環による模擬戦なのでございます」
「……どういう事?」
ジェイドが深々とお辞儀をするのを見つめながら、少女は未だ戸惑っていた。
「一言で答えるならば、この方は魔界の覇者であるヴァンピールのご息女、ナナ様でございます」
「ええぇぇ!? この子がヴァンピール!? えっと、匂い嗅いでもいい?」
「ええ、それで納得してもらえるのであれば」
ライカンスロープの少女は、恐る恐るナナの臭いを嗅ぐ。するとその表情はどんどんと青ざめていった。
「あわわわ……本当にヴァンピールの匂いがする……私、なんてことを……」
スッとライカンスロープの少女の姿が元に戻る。髪は茶色に戻り、体の文様も消えていた。そして怯えるように地面にピッタリとひれ伏し縮こまっていた。
「いえいえ、気にする必要はありませんよ。先ほども言ったようにこれは修行でございます。本気で戦ってもらわなければむしろ困るところでした。それに謝るのはこちらの方です。突然襲い掛かって申し訳ありませんでした」
再度深く頭を下げ、その後にジェイドはナナをお姫様抱っこで抱き上げた。
「これからお嬢様を連れて帰りますが、ライカンスロープのお嬢さんも一緒にどうですか? 今の戦闘で怪我をされたでしょう」
「いやいや、私は平気だよっ! このくらいならすぐに治るし」
ライカンスロープの少女はかなり遠慮していた。罪悪感などが色々と拭いきれないのかもしれない。
「では、また後日お詫びに伺います。今はお嬢様の回復を優先させますので、これで失礼します」
そう言ってジェイドは走り出した。
疾風の如く風を切るように走りながら、ジェイドはナナにお説教を始めた。
「ですからちゃんと教えたじゃないですか。ライカンスロープは人型から獣人化、転身と二段階の変身を可能とする種族なんです。とくに転身は最大最強の切り札で、これを使うと中位種族から最上位近くまで能力が上昇するからとても危険なんですよ? 勉強不足、というか、人の話を聞いていない証拠です!」
グチグチグチグチグチグチグチグチ……
ナナから言わせれば、寝る時間をくれないくせに自分の話はちゃんと聞けと言う方が間違っていた。
……眠くなるに決まっている。
「うぅ……回復が済んだら、もう一回挑戦するぅ……」
「いけません! 能力獲得チャレンジは明日までお預けです! 今日はこれからみっちりと修行してもらいますからね!」
「そ~ん~な~……」
ナナの悲痛な叫び声が風に流れて消えていく。
修行はまだまだ激化していくのであった。
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「と、言う事があったわ……ガクガク……」
ナナが暗い影を纏わせながらそう言った。
ユリスに昔の事を教えてほしいとせがまれて、修行していた頃の話を聞かせてあげていた。
「ホント、修行してた頃は良い思い出なんて一つもないわ」
「ご、ごめんなさい……別にナナちゃんを困らせたかった訳じゃないんですが……」
二人は現在、買い物をしにドルンの街を訪れていた。買い物ついでにこの街の奴隷制度はどうなったものかとC地区へ赴いてみたが、ビックリするくらい奴隷の姿は見かけなかった。奴隷売買の店でさえ、まるで人気が無い。
ユリスの作戦の元、フィーネ達が奴隷解放を目的としてこの街で暴れ回ってから約一週間が経過したが、効果のほどはかなりのものであったと言えた。
「でも、今ではライカンスロープの遺伝子を取り込んでいるんですよね? と言う事はもしかしてナナちゃんも、その『転身』という技が使えたりするんですか?」
ユリスはそう言って、ナナの顔を覗き込もうとした。
しかしそこにナナはいなかった。
忽然と姿が消えていた。
「……え? ナナちゃん……?」
小さく名前を呼んでみるが、もちろん何の返事もない。
一秒前まで普通に話していたにもかかわらず、煙のように消えてしまった事態にユリスの頭がパニックを起こす。
「ナナちゃん!? どこですか!? ナナちゃん!?」
半狂乱となりナナを呼び続けた。
ナナは歪持ちとして周りから危険視されている。そのため誰かに狙われたのではないか。誰かに連れ去られたのではないか。そんな不安が頭を埋め尽くした。
どうにかしなくてはいけない。けど、何が起きたのかもわからないせいで、どうしていいのかわからない。
ユリスはその場でうろたえる事しかできなかった。その時――
「――どうかした? ユリス」
声のする方へ視線を向けると、ナナがキョトンとした表情でユリスを見つめていた。
最初の、一緒に歩いていた位置から全く変わらず、消えたと思われた位置から全く変わらず、まるで何事も無かったかのようにナナはそこにいた。
「えっと……今ナナちゃんが消えて……私、心配で心配で……」
ユリスはナナの体に触ってみた。確かな感触があるし、本物で間違いなかった。
「大丈夫よ。ユリスが心配するような事なんて何もないから」
「でも本当にナナちゃんが消えたんです!! 私の隣で!! 突然消えたんです!!」
ユリスは未だ取り乱していた。そんな彼女を、ナナは優しく抱きしめた。
子供をあやす様に背中をさすり、逆の手で頭を撫でる。
「落ち着いてユリス。本当に大丈夫だから。なんにも怖い事なんてないから」
「……はい」
少しずつユリスは落ち着きを取り戻していった。
それでもやはり不安は残るのか、ナナがユリスから離れても、服の端を指でつまんで離そうとしない。
「でもちゃんと説明してください。今何が起きたのか」
「わかったわ。本当は余計な心配を掛けたくないから黙ってるつもりだったんだけどね」
「こんな事があって説明されない方が心配ですよ!?」
そうしてナナは、今起きた出来事を最初からユリスに話し始めるのであった。




