幼女は仲間を送り出す①
「うりゃ! てい! このー!!」
ドルンの街から北の大地。荒野と森の境目に小屋を建ててから三週間が経とうとしていた。今日この日、小屋の外ではトトラがフィーネの修行に付き合って組手の相手をしていた。
元、四獣の白虎という立場を利用してナナと戦闘を行った結果、その強さに惚れこんで強引に弟子入りを果たしたトトラ。いつもはお気に入りのトラ耳フード付きの服を愛用しているが、今日は洗濯中のため着ていない。そのため、普段あまり目にすることが出来ない髪型を披露する事になっていた。
真っ白な白髪は顔の形に沿うようにアゴの位置まで伸びている。ボブと言うべきか、おかっぱと言うべきか、二つを合わせたような感じだ。頭の上の両サイドはモコモコと盛り上がっており、垂れた犬の耳のようになっていた。本人曰く、くせ毛らしい。
「フィーネ、ちょっと強引すぎるッスよ。もっとちゃんと相手の動きを見るッス」
「うっせー! てりゃー!!」
フィーネにしては珍しく、トトラの指導に全く耳を貸さず、闇雲に拳を振るっている。
フィーネよりも一歳年上で、背も少しだけ高いトトラだが、別に威張っている訳でも、フィーネを見下している訳でもない。単にフィーネの機嫌が悪いだけのようだ。
「ストップストップ! ちょっと休憩にするッスよ」
「ハァハァ……ま、まだやれるって!」
「だめッスよ。息が上がってるッス。ちゃんと休んでから、また始めればいいッス」
「くそっ!!」
フィーネが足元の小石を蹴っ飛ばす。かなりご機嫌斜めな様子である。
当然、休憩の間二人に会話は無く妙に気まずい。
「うぅ~……フィーネ、なんか怒ってるッスか? もしかして、私歓迎されてないッスか?」
「……別に、そんなんじゃねーし……」
沈黙。
「私が師匠に弟子入りした事ッスか? そもそも四獣として、師匠を攻撃した事っスか!?」
「だからそんなんじゃねーって!」
沈黙。
しかしフィーネは気まずい空気を破るように、ボソボソと話し始めた。
「別にさ、トトラが悪い訳じゃない……悪いのは弱い私なんだ。私はここで一番強くなくちゃいけないから……」
「フィーネはどうしてそこまで強くなりたいんスか?」
トトラがそう聞くと、フィーネは膝を抱えてうずくまってしまった。そしてそのまま続きを話す。
「だって……強くないとナナに捨てられちゃうもん……」
「師匠に? そんな事ないと思うッスけど……」
「あるよ! さっきだって、出かけるから拠点やみんなを魔物から守るようにトトラに言いつけてた。本当は私の役目なのにさ……一番強いトトラがいれば、もう私なんていらないんだ……グスッ」
自分で言って悲しくなってきたのか、段々と涙声になっていた。
「フィーネは誤解してるッス。師匠言ってたッスよ? フィーネはすごく頑張ってるって。フィーネが居れば何も問題はない。将来的には、拠点の事は全部フィーネに任せてもいいって」
ピクピク!!
フィーネが反応を示した。
「ほ、ほんとに?」
「ほんとッスよ~。師匠ってドルンの街の奴隷を解放しようとしてるッスよね? なんでレベルの高い私がいるのにまだ行動しないか分かるッスか?」
「えっと……作戦が決まらない、とか?」
「違うッス。フィーネのレベルが200になるのを待ってるッスよ。それって私なんかよりもよっぽどフィーネを信頼してるって事っス。全部フィーネのレベルを基準に物事を決めているッスよ」
フィーネがようやく顔をあげた。その頬は紅潮し、瞳を潤ませ、蕩けた表情をしていた。
「やば……超嬉しい……」
「んっふっふ~。フィーネ、どんだけ師匠のこと好きなんスか~」
「ちょ!? べ、別に好きとかそんなんじゃないって! 私はナナに助けられたから、力になれたらなって思ってるだけだから!」
トトラが肘で小突いて来るのを、あたふたしながら必死に振り払っていた。
「あと、こんな事も言ってたッスよ。今いるメンバーの中で、誰が一番好きかって聞いたら、迷うことなくフィーネって言ってたッス」
「え~~!? 好きって……えぇ~~!?」
耳の先まで真っ赤になり、頭のてっぺんから湯気が吹き出し始めた。
「まぁ、今のは嘘ッスけどね」
頭の湯気は止まり、瞳から光が消えたまま立ち上がった。
「もう帰る。やる気なくなった」
「わ~ごめんッス!! 拠点をフィーネに任せるって言ってたのは本当に本当ッスよ!」
「よし! 早く修行を再開しましょ!! シュッシュ!!」
やる気を出して素振りを始めていた。
「い、意外と分かりやすい性格ッスね……」
そんな風にトトラと過ごす、晴れた日の昼下がりであった。
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「申し訳ありません。ナナ様に仕事を紹介する事は、その……禁止となってしまいまして……」
ギルドの受付の女性が不安そうな表情でそう言った。
「あらそう。私が歪持ちだってバレちゃったのね。なら仕方ないわ」
ナナはそのまま受付を後にする。いつかはギルドから依頼を受けられなくなるのは想定していた事だった。ギルドがナナに気が付いたからこそ情報を流し、四獣が攻めてきたのだろう。
(とは言え、すでにかなり儲けさせてもらったけどね)
ナナが歪持ちだとギルドが認識する前に、かなりの仕事を請け負い報酬は受け取っていた。実のところ今日ここへ来たのは、報酬以外の目的があったのだ。
ナナはギルドの中にいる冒険者をチラッと横目で見る。みんなナナを意識しているが、捕まえようという者は誰もいない。少なくともこの街にいる冒険者でナナの強さを知らない者はいない。それだけ派手に稼いで来たのだ。冒険者のランクも10級から9級に上がっていた。
ナナはギルドを出て、裏路地に入った。そこにミオを待たせているのだ。
今日ここへ来たのは、ドルンの街周辺の魔物とミオを戦わせて、どれだけ成長したかを確認するためであった。どうせ戦うのであれば、ギルドから魔物退治の依頼を受けた方がいいだろうという思惑だったが、すでにブラックリストに載っていた次第である。
ギルドの裏路地へ入った所にミオはいた。ナナは声を掛けようとしたが、その言葉は押しとどめられて吐き出す事は出来なかった。なぜならば、ミオの周りには野良猫や野良犬が群がっており、その中心でミオは普通に笑っていたのだ。
奴隷としてナナに助けられるまでの間、酷い仕打ちを受けてきたミオはその体に強い拒絶反応が出るために、たとえナナやユリスであってもミオの笑顔を見る事は出来ない。いつもどこか怯えていて、その目には恐怖の色が映っているのだ。それが今はどうだろう。動物達に囲まれたミオは、楽しそうに笑顔を見せている。
この時ナナは、自分とミオとの間に果てしないほどの距離があるように思えた。住む世界が違うような、交わってはいけないような、そんな感覚……
「ミオ」
それでもナナは声をかけた。ミオはビクリと体を震わせて、動物達はジッとナナを見つめていた。
「ミオって、動物と話ができるの?」
「……いえ、そういう訳ではありません。私は奴隷として、常にご主人様の顔色をうかがってきました。機嫌が悪いといつも殴られていましたから……だからこそ、表情や声で気持ちを察するのが得意になっていました。それは動物が相手でも変わりません」
そうしてミオは目の前の猫に目線を合せて眉をヒクヒクと動かした。逆に自分の気持ちを表情を使って猫に伝えようとしているのだろう。
「ギルドの仕事だけど、もう請け負えなくなったわ。だから、もうしばらくここで動物達と遊んで行く?」
「よろしいのですか?」
「ええ。たまにはこういうのもいいと思うわ」
「あぁ……ありがとうございます。ナナ様」
その場所でしばらくの間、ナナとミオは動物達に囲まれて過ごすのだった。
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「なぁナナ」
「どうしたの、フィーネ」
とある日の昼下がり、この日はナナがフィーネの修行を見ていた。
「そろそろ私に必殺技を教えてくれよ」
「……必殺技?」
あまりピンとこない。
ナナ自身、必殺技的な能力はインストールによる力の解放だけなので、何を教えればいいのかわからなかった。
「私、この世界の魔法や技ってよくわからないから何を教えればいいのか見当もつかないわ」
「じゃあさ、私あれがやりたい! あれあれ!」
フィーネが必死にゼスチャーで伝えようとする。
必死に走る様子を見せつけてくるが、ナナには全く理解できなかった。
「……なに? 敵を踏みつける技?」
「ちげーよ! あれだよあれ! ナナがよく使うやつ! 凄い速さで一瞬のうちに敵の背後に回り込むやつ! あれってどうやるんだ?」
「あ~……これね」
シュッ! と、ナナの姿がブレたかと思うと、高速移動でフィーネの背後に回りブレーキをかけていた。
「速っ! どうしたらそんなに速く動けるんだよ!?」
「ライカンスロープをインストールすればもっと速く動けるけど、まぁ下半身を鍛えて瞬発力を付ける事ね」
「う~ん……なんて言うか、コツみたいなのはないのか?」
ナナは考える。このような動きが出来るようになった時の事。訓練した時の事などを色々と。
「そうね、『回ること』かしら?」
「回る?」
フィーネは不思議そうに、その場でクルクルと回って見せた。
「違う違う。そうじゃなくて、遠心力を付けるって意味よ。はい、足を縦に開いて~」
ナナがフィーネに構え方を手取り足取り教えていく。
「いい? 止まっている物体っていうのはね、動くときに一番エネルギーが必要なの。だから体を揺らすように動かして――」
ナナがフィーネの体を回す。頭のてっぺんで円を描くように、ユラユラと回す。
「――その遠心力に乗せて地面を蹴れば、原理的に加速しやすいって訳ね」
そうしてポンと背中を叩く。フィーネがそのタイミングで地面を蹴り前へ跳ぶが、ナナのような速さにはならなかった。
「なるほど……なんとなくわかった。やっぱり足腰をもっと鍛えないとダメだな。よし! 走り込みしてくる!!」
ナナの答えを待たずして、フィーネは獣のように砂埃をあげながら走り去って行く。
後に残されたナナは、ポカンとしながら立ち尽くしていた。
「三日坊主かと思ったけど、ビックリするくらい継続してるわね。フィーネって修行が好きなのかな?」
フィーネが頑張る理由などつゆ知らず、ナナは小首を傾げるのだった。