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ポートレイト  作者: 岸田龍庵
私の絵とわたし
65/68

その65

「今日、お呼びしたのは他でもありません」

 珍しくかしこまってアオヤマ・スミレが言った。

「あなたが学園祭の時に持ってきた、あなたの絵を私に売る気はない?」

 学園祭の時に持ってきた絵と言えば、天女の絵だ。

 私だけがそう呼んでいる「天女の絵」。




 私はあの絵を気に入っているし、確かに良い絵だと純粋に思う。

 その天女の絵をアオヤマ・スミレは買うと言う。

 天女の絵に値段が付くとは思っていなかった。

 売る気はないか?と聞かれれば売る気はないと答えると思う。

 売れるというのは、その物に他の人がつけた「価値」が付くということで、誰かに価値をつけられるというのがイヤだった。

 価値っていったい何?

 誰がそんなものをつけるの?

 恭一が描いてくれた絵に。




 そうは言っても恭一はこれからその価値のために、価値をつけるために、価値のある絵を描かなくちゃならない。

 恭一はそういう道を選んだ。でも、そうなる前の恭一の絵には価値はつけて欲しくなかった。「お金」という価値は。

 それでも、私は思う。




 あの絵を、このまま私が持っていて良いものなのだろうか、と。




「無理にとは言いません。良ければということです。あの絵の所有者はあなたなのですから」アオヤマ・スミレは言った。いつもは強引に物事をすすめるアオヤマ・スミレにしてはややおとなしめの取り引き。

「売る気はないんですけど、あの絵を私が持っていてもいいのかなっていう気がします」私は自分の気持ちを正直にアオヤマ・スミレに言った。

 今、あの「天女の絵」はおばあちゃんの家の床の間に飾ってある。

 今の所の「定位置」に収まっている。

 天女の絵は、おばあちゃんの家に置いてある限り、おばあちゃんの家がある限り、定位置がある。

 でも、天女の絵を観る人間は限られてくる。おばあちゃんか、おばあちゃんの家に来たお客さんたち。

 天女の絵を観るのがおばあちゃんだけだというのが気に入らないわけじゃない。

 おばあちゃんのことだから毎日寝る前には絵に布を(かぶ)せてくれて、朝起きると布を取ってくれて、(ほこり)も払ってくれるだろう。おじいちゃんの仏壇に触れる時と同じような丁寧さと優しさで絵にも接してくれるはず。




 それも良いのかも知れない。

 でも、私は恭一が描いた絵をもっと多くの人に観てもらいたいと思っている。だから恭一の学園祭の時にわざわざ持ち出した。

 そして多くの人に観てもらうために道端に置いた。親友の沖田広海がそうしたように。

 天女の絵は多くの人の目に留まり、アオヤマ・スミレの目に留まった。アオヤマ・スミレの目に留まる価値のある絵だったから。それが「天女の絵」が持っている価値で、お金ではない価値だと思っている。だから売る気はなかった。でも、アオヤマ・スミレはあの絵に「お金の価値」をつけた。

「アオヤマさんは、どうしてあの絵が欲しいんですか?」

 私が天女の絵を売るつもりはないのは、私の大のお気に入りだからとしても、アオヤマ・スミレはどうして天女の絵を買いたいのだろう。それは知っておきたかった。





「絵を買うには様々な理由があります」私の問いに、アオヤマ・スミレは答え始めた。

「絵に金銭的な価値がある。騰貴(とうき)の対象になる。今、日本で広く行われている絵画の取引の大半がコレです。純粋に絵画自体に価値がある。これは絵としての価値ですね。

 ある絵は金銭的な価値以上に、計り知れない魅力を秘めています。でも、それは多くの人にはわかりません。とても高名な画家の作品ならば誰でもわかるでしょう。

 あなたもダ・ヴィンチの「モナ・リザ」が持っている計り知れない魅力はわかるでしょう。彼の絵は描かれて五百年近く経った今でも多くの人を引きつけて止みません。

 私たちが探しているのは、いつまでも変わることのない価値を持った絵画であり、それを描くことの出来る人材です。

 あの天女の絵にはその価値があり、水野恭一にはその素質があります」




 アオヤマ・スミレの説明を聞いて、私は悲しくなった。

 恭一が「試験」とされていた学園祭で、どんな絵を展示したのかは私は今でも知らないし知りたくもない。

 ただ、今のアオヤマ・スミレの言うことを聞いて考えると、恭一が「試験」のために描いた渾身(こんしん)の一枚はアオヤマ・スミレの目には留まらなかったということ。

 もし私が天女の絵を道ばたに展示しなければ、恭一は試験に落ちていたと思う。

 本来であれば恭一が学園祭のその日に展示した一枚で試験をしなければならなかったはず。そういう約束だった。

 恭一が出展した絵はアオヤマ・スミレの目にはかなわなかった。




 アオヤマ・スミレが恭一が学園祭で展示した絵に対して、どういう判断をしたのかは私は知らない。

 でもアオヤマ・スミレは恭一に「見込みアリ」という判断をした。その判断をさせたのが「天女の絵」だった。

 天女の絵はそれだけの魅力を持っていたということになる。

 アオヤマ・スミレは天女の絵の魅力を理解していたということ。

 と、すると、

 天女の絵を所有するのは、私ではなく、アオヤマ・スミレのほうが正しいと思うのは私にとって自然だった。





 私では限られた人の目に触れるような場所しか持っていない。

 でも、アオヤマ・スミレはこの絵の持つ本来の魅力をもっと引き出してくれるのかもしれない。アオヤマ・スミレは多くの人に絵を見てもらえる環境を持っているから。

 やっぱり絵は多くの人に見てもらう物だと思う。

 多くの人に見てもらいたいから私は学園祭に天女の絵を持って行った。

 天女の絵は私ではなく、アオヤマ・スミレが持つのがふさわしいんじゃないかと思えてきた。

 でも売りたくはなかった。

 恭一が描いてくれた大切な絵を、お金と交換はしたくない。

読了ありがとうございました。


今後もごひいきによろしくお願いします。

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