その6
「こんなことをされたら、気持ち悪いでは済まないだろうな」という部分がございます。
ご容赦ください
「でも、いつ描いたんこれ?」
祐子の言葉に「そうか?」と思ってしまった。もし、バス待ちしてた男の人が「ストーカー」だったとしても、この絵は私のあくびの時間を描いたものだ。
私が見られていたのはバスが到着して、降りるまでのほんのちょっと、実際には結構長くてといっても一分とかそんなもんなんだけど。そのちょっとの時間で書き上げたとは思えないほど私の絵だ。
少しの無駄もなく、表情豊かな「あくび」の絵。よく見てみると線はあわただしく引いてあるかもしれない。
書き込みの少ない絵。でも伝わってくる表情はとても生き生きしている。
あくびだけども。
とてもバスがとまっている間に描けるような絵じゃないと思う。
としたら・・・。
「やっぱりストーカーなのかなあ」と言ったのは私。かなり前からチェックしてたのかな。そうじゃなきゃ、こんなの描けるわけがない。かといって、私の身の回りに目立った変化は何も起きていない。起きても困るけど。いっつも退屈な毎日が続いている。誰かに見られている、なんて感覚もない。
「ふ~ん」今度は尻下がりのふ~んだ。「でも、うまいやん、これ?」
そういう問題じゃないんだけど。
「あくびの絵事件」のことなどすっかり忘れていた頃、また私の手元に私の絵が届いた。朝の場所は吉祥寺駅。
またしてもビラ配り、ティッシュ配りが事件の始まりだった。
朝も早くから配る配る。ティッシュ配り。
良くわからない宗教団体から近くの美容室、サラ金会社、それこそ縁のない風俗店のものばっかり。それでもティッシュはもらう。
ポケットティッシュは無くても困りはしないけど、あると便利だったりする。おばさんみたいに何回も往復して何個ももらうようなことはしないけど、配っていればたいてい貰うようにしている。その日も私はいつものように吉祥寺駅でティッシュ配りから風俗店のティッシュをもらって学校に、いつもみたいに行った。
そして昼に事は起こった。
その日も私は祐子と一緒に学食で昼ご飯を食べていた。私が忘れるくらいだから、当然祐子も「あくびの絵事件」のことなんかキレイさっぱり忘れていた。
「あったー、やってもうた。なあ京子、ティッシュもってへん?」と言ったのはスパゲティを食べている祐子。
祐子は自他共に認める「ケチャップ愛好家」。「ケチャッパー」なのだが、祐子はこの学食でケチャップまみれのスパゲッティーイタリアンを頼む。
ファミレスのステーキの付け合わせでよくあるケチャップまみれのスパゲティーが祐子の大好物。イタリア人が見れば卒倒しそうな「イタリアン」のケチャップが服に飛び散った。
襟元をビロビロさせる祐子に、私は朝っぱらに吉祥寺の駅でもらったポケットティッシュを出した。
「あんがと」とポケットティッシュをバリバリっと開ける祐子。その手が止まっていた。
「なんやこれ?」祐子はティッシュをまじまじと見ていた。
私のひねた匂いのエビピラフを口に運ぶ手も止まった。
「あんたや、これ」
ポケットティッシュの中にいたのは、自動改札を出る私だった。
ポケットティッシュに入っているチラシ、ほんの小さいチラシに、また無駄のない線だけで描かれた私の姿があった。
それも今日の自動改札を、吉祥寺駅を出たところの私の絵。今度はあくびはしていないけど、それでも私の絵だった。
まただ。
動きが止まったままのスプーンから、ひねた匂いのエビピラフがポロポロと落ちていくのが視界の端に見えた。
また、私が知らない誰かが、私が知らない内に、私から見えない所で、私を見ている、見られている。そう考えてしまうと、この学食にいる、私と祐子以外の「その他大勢」が気になって仕方がない。こうしてぼんやりとご飯を食べていても、どこかから見られていると思うと。
背筋がひんやりとしてきた。冬で暖房がガンガンかかっているのに寒い。
絶対にストーカーだ。ストーカーが私を見ている。私はストーカーに狙われている。
「これもよう、描けとるやん」と口の周りをケチャップだらけにした祐子は楽しそうに言う。
絵が上手いとか下手とかそんなことはどうでも良くて私には。
人が面倒な事に巻き込まれかけているのに、祐子の気楽さはどういう事?
「でも、この人、何したいんやろ?」
「何したいって?」ストーカーがしたいことなんて考えたくもない。「どういう事?」
「だって、こんなことしてもなーんにもならへんやん。毎日やったら別やけど、こーんな単発じゃあ意味あらへん。ラブレターやったらもっと毎日送らんと」
「ラブレター?」声が裏返った。「ラブレターって?」
ラブレターってどういう事?
「ちゃうの?」祐子は言った。「ラブレターやんこんなん」と私の絵のチラシをぴらぴらさせた。「絶対あんたに近づくためやろ、そうじゃなきゃこんなメンドイことせんよ」
「ねえ、祐子」どうやら急に真顔になっていたらしい。ちょっと祐子が引いている。「からかわないでくれる?私は面倒なことに巻き込まれてるかも知れないんだから」
「ちょっとからかっただけやん」と膨れ面を祐子は作った。「これだからイヤやわ関東の人間は、冗談通じへんし」
冗談で済むのだったら私だって笑っていられる。でも、そんな笑えるようなことには私には思えない。真剣、私は怖かった。
「あんまヤバイと思ったら警察行った方がいいんちゃう?」もっともな意見だった。こうなった場合、警察に言うのが一番早いし、確実なんだろう。
「警察、行ってみようか」と祐子に言った。
「それがええよ」
「祐子も来るのよ」
「へっ?」
祐子はつるりとケチャップまみれのスパゲッティーを口に入れた。そのつるりの勢いでまたケチャップが飛び散る。
「ケチャップついてるよ」と私は言った。
「あっ」という顔の祐子。
「ティッシュいる?」
まだ続きます
今後もごひいきによろしくお願いします。