その55
急に田舎の話になりますが、ポートレイトの続きです
男とか画家とかって、本当につまらないことにこだわったり、意地を張ったりする。沖田広海が自分の絵に対してこだわっていたように、恭一にもこだわりというのか、意地があるのだろう。
つまらないことにこだわるから、画家であり男なのかもしれない。そういうつまらないこだわりを一つ一つ抱えて生きているのが広海や恭一のような人種なんだろう。
待とう。
恭一が私の絵を完成させるまで待とう。
たった一人で戦うのは辛いことだと思う。
でも恭一が、そこまで言うのなら、待つしかない。映画に良くある戦争に行った男の人を待っている女の子のみたいに。
「うん」私は言った。「待ってる」
「絵描きって、つまんないことにこだわるからさ」恭一は恥ずかしそうに笑った。
「こだわるのもいいけど」私は恭一の腰に手を回した。恭一の肌。湯上がりでスベスベの、女の子みたいな肌。
「苦しくなったらいつでも呼んでね。息抜きは必要だよ」そう言って恭一の無駄のない脇腹をつねった。
寒くて目が覚めた。寝ている間に自然と体が丸まっていた。
夏掛けを手繰り寄せると窓から差し込む光が眩しかった。
仰向けになってぼんやりと天井をみつめた。
板張りの格子模様の天井。
眠かった。でも差し込む光が眩しかった。
ここが田舎のおばあちゃんの家だとわかるまで少し時間がかかった。
おばあちゃんの家はカーテンなんてものはなくて、畳と木の匂いがいっぱいの部屋に太陽の光がたくさん差し込んできている。
ニワトリの鳴き声や、鳥のささやきが目覚まし時計。
都会と違う騒がしさ。
おばあちゃんの「もんぺ」を履くと、私は寝ていた部屋を出た。
縁側に出ると朝日が暖かい。縁側に足をブラブラさせて座った。つんつるてんのもんぺからはみ出ている生足に朝の空気が気持ちいい。
おばあちゃんの家。
山の中腹にある、昔の家。台所のガスコンロはマッチで火を点けるタイプ。囲炉裏があり、壁に懸かった大きな古時計がボーンボーンと時間を知らせてくれる。
縁側と土間があって、薪で沸かすお風呂の家は、映画のセットのようだ。
おばあちゃんの家には近代的なものがほとんどない。
夏の日中でも涼しいからクーラーはいらないし、携帯なんておばあちゃん見たことないだろうし、テレビがあるのかもわからない。
一応電気は通っているけど、トイレは汲み取り式。一番近いコンビニに行くのに隣町まで車で行かなくてはならないし、近所には酒屋と小さなスーパーがあるだけ。夜は自然が作る暗さでいっぱいになる。
おばあちゃんの家に来る時、私は極力都会のものを持ち込まないようにしている。
携帯も持って行かない。小説の文庫本を二、三冊持っていくだけにしている。
おばあちゃんの家では時間はとてもゆっくり流れる。
縁側に座って、体が暖まると私は立ち上がって台所へ歩いた。引き戸を開けて家の中に入るとひんやりした空気に包まれる。
台所から物音が聞こえない。人の気配がない。おばあちゃんはどこに行ったのだろう。
お腹が減った。朝ご飯が食べたい。
年寄りのおばちゃんには申しわけないけど、私は思い切り楽をさせてもらっている。
朝ご飯も昼ご飯もおやつも晩ご飯もみんなおばあちゃんが世話してくれる。その様子が楽しそうだから、おばあちゃんにお任せしている。
おばあちゃんが整えてくれた、お年寄り向きの食事を、おばあちゃんと食べるのは楽しかった。そのおばあちゃんの姿が見えない。
田舎の家というのは、広いからか、一人だと自分の存在すら忘れてしまいそうになる。包み込み方が大きすぎるのだ。
都会のマンションみたいに小さな包み方じゃなく、大きく、包まれていることすら忘れてしまいそうになる。
囲炉裏の縁に座って、天井を見上げた。魚の彫り物が天井から釣り下がっている。
畑に行っているのかな。今、何時なんだろう?
と、「ボーン」と古時計の音が六回鳴った。まだ六時なんだ。
玄関の方から音が聞こえた。おばあちゃんだ。
「京子、京子」玄関の戸の向こうからおばあちゃんが私を呼んでいる。
おばあちゃんは引き戸を開けて家の中に入ってこない。私はツッカケを履いて玄関の引き戸を開けた。
「おはよう京子」
おばあちゃんが玄関の戸を開けない理由がわかった。おばあちゃんはザルにてんこ盛りの野菜を抱えていた。
「おはよう、おばあちゃん」
おばあちゃんはとっても早起き。寝るのも早いけど。
「朝ご飯でも食べようかね」
のんびりと、おばあちゃんの家で過ごしている余裕は正直ないのだけれど、来てしまった。
なんとなく自分の周りにあったごちゃごちゃしたものが落ち着いてきたような気がしたからおばあちゃんの家に来た。九月の三連休。
読了ありがとうございました。
今後もごひいきによろしくお願いします。




