その51
「いつ、空いてる?」
恭一は、多分「今から部屋に来てくれ」と言いたかったと思う。それが今までの私たちの当たり前だったから。そうじゃなければ恭一がわざわざ呼び出すはずがない。
でも、恭一は言わなかった。私に最大限の譲歩をしているのは良くわかった。でも、その譲歩さえも今の私には物足りない。
今の私に、今私が一番欲しいものってなんだろう?
恭一との楽しい時間?祐子も一緒の楽しい時間?
違う。
今の私に必要なものは内定の通知で、休みだ。何も考えない空っぽの時間。そこに恭一が一緒にいるのかいないのかはわからない。
「私から連絡するけど、それでいい?」
それが私の精一杯の譲歩。
「こんな疲れている時じゃ、モデルもつとまらないでしょ?どうせやるんなら笑顔がすっきり出てくる時の方が良くない?」うまい言い逃れだと私は思った。言い逃れを必死でひねり出す私がいる。
「そうだね」初めて見た恭一の寂しい笑顔。
今まで、この人はこんな笑顔を私に見せたことはない。
多分、私も彼と同じような寂しい笑顔をしているんだろう。恭一よりも、もっと酷い顔かもしれない。
絶対に、何かがおかしくなっている。今まで全て上手くいっていたことが、狂い始めている。
就職活動で。
就職活動という社会人になるための仕組みが、うまくいっていた私たちから、色々なものを変えていこうとしている。
一体、私は何のために社会人になろうとしているのだろう。
恭一は何のために絵を描こうとしているのだろう。
試験に受かるため?
海外に絵の勉強にいくため?
恭一はそれが私と離ればなれになること本当に理解しているのだろうか?
恭一は私と離れ離れになるために絵を描くの?
沖田広海は「何か」のために絵を描くなんてことはしなかった。
「描きたいから描く」広海はそんなことを言っていた。その広海は今は自由に絵を描けない反動をエネルギーにして、絵を描く訓練をしている。
恭一は、今は絵を自由に描ける。
モデルもいる。私というモデル。
普通の人では考えられないような技術も持っている。
日本は、特に東京はフリーターでも生活出来る場所だ。無理に就職しなくてもいい環境。
その中で恭一は就職活動をすることもなく、自由に絵を描いている。いや、絵を描くための努力をしている。それが恭一の就職活動なのだから恭一には恭一の苦労がある。
でも、今の私には恭一の苦労がわからない。自由があるのに、恭一は海外に出るという自由を手に入れようとしている。
そんな贅沢な就職活動なんてアリか?
私は就職活動をすることで、不自由になろうとしているのに。恭一は、さらに自由を手に入れようとしている。
その恭一の手助けをするのは、不自由になろうとしている私。
そう考えると無性にむしゃくしゃしてきた。
誰が悪いのでもない。
悪いのは私だ。
好きな人のことだけを考えてあげられない私の方が悪い。
「今日は帰るね」
言ってしまっていた。明日、何か重要なことがあるわけじゃない。ただ、今はとにかくもこの場所を離れたかった。
今の私の姿を恭一に見せたくなかった。
「そうか、送っていくよ」
多分、恭一はいつものように私を駅まで送ってくれるだろう。時には新宿まで来てくれる。私が言わなければどこまでも送りにきてしまいそうで。
私は恭一に首を横に振って応えた。
「一人で帰れるから」
私は、逃げるようにバスに乗った。
本当に逃げていた。
恭一から、こんな最悪のテンションでしか恭一に会えない私から逃げていた。
「送っていくよ」
恭一の優しさがわずらわしかった。わずらわしいと思ってしまうだけ、私の心は病んでいた。どうしようもないくらいに。
いつも見る、恭一の家から帰る景色が、窓の外を流れていく。隣に恭一はいない。
隣に恭一はいなんだと思ったら、いつも見る景色が初めて見る町に見えた。
「ハダカ?」思わず聞き返してしまった。
「うん、裸」同じ事を恭一は繰り返した。
ハダカノモデル。
今までこんなことなかった。恭一に裸になってくれなんて言われたことは。
今日はリクルートスーツじゃないし、メイクも就職活動用じゃないし、自分で考えられる一番カワイイ服を着てきたのに、ハダカ。
恭一の前で裸になるのはなんの抵抗もないのだけれど、裸のモデルなんかは初めてだ。いくら見るのが恭一だけだといっても。
「どうして脱がなきゃダメ?」思わず聞いてしまった。
「イヤ?」
「イヤじゃないけど」
そう。イヤじゃないけど。理由を知りたい。
どうして裸なのか。裸じゃなきゃいけない理由を。
だって、恭一が描いた絵が作品展に展示されるってことは、私の裸がみんなに見られるってことじゃない。しかも恭一の絵は驚くほどリアルだし。一目で私ってことが判っちゃうじゃない。
そんなのイヤだ。恭一以外の人に裸を見られるなんてイヤだ。
でも、協力してあげないと。裸になるのは恥ずかしいけど、恭一にしてあげられることがあれば今は、裸になることくらいしかないのだから。
読了ありがとうございました。
今後もごひいきによろしくお願いします。




