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ポートレイト  作者: 岸田龍庵
暑い夏とわたし
43/68

その43

「バンドか・・・」兄貴の物の言い方は「遠い昔のこと」を思い出しているように聞こえた。

「休みの日とかやってるの?」

「いいや」兄貴の答えは短い。「もう」と言って手を振った。

 そうなんだ。もうやってないんだ。

「バイトしながら今でもやってるヤツはいるけどな」

「ふうん」昔のバンドのメンバーの話なんだろう。「どうして、バイトとかして音楽やろうって思わなかったの?」

「そりゃ、お前」兄貴は「何を聞いているんだ」というような言い方をした。

「バンドじゃ、食っていけねえしな。いつまでも夢追ってちゃしょうがねえだろ」心なしか兄貴のしゃべり方が乱暴に思えた。「バイトしながら音楽やるのもいいけどさ。いつ売れるかもわかんねえし、売れるかどうかもわかんねえからな」




「でも、好きなんでしょ?」

「好きと仕事とは違うさ」

「違うの?」

「違う」兄貴はズバっと言った。





「好きな事だけやってたって食っていけねえし」兄貴は「食っていけない」を何回も言った。

 実際のところ、ウチはまだ親が元気で会社をやっているから「食っていけない」なんてこともない。田舎から東京に出てきている一人暮らしの人とも違う。おかしな言い方だけど「食っていく」ということに関して言えば、そんなに問題はないはず。

 でも兄貴は就職した。バンドともドラマーとも関係のない、ステージ衣装とはまったく反対のビジネススーツを着る仕事に就いた。そしてくたびれたネクタイを首からぶら下げている。

 なんか、犬の首輪とリードみたい。




「もう、スカーフェイスのドラマー、嵐宗一(あらしそういち)は引退したんだ。今はタチバナ商事の営業マンの嵐山宗一しかいないわけだ」そうまくし立てる。兄貴はまた黙ってしまった。

 私も黙った。

 何も(しゃべ)る気にならなかった。いろいろ、頭の中を色々なことがグルグル回っていた。





 アマチュアバンドのドラマーだった兄貴。

 絵描きのたまごの恭一。

 営業マンになった兄貴。

 海外留学を目指す恭一。

 海外留学中の沖田広海。

 好きなことを止めてしまった兄貴。

 好きなことを続けようとする恭一。

 好きなことを続けている広海。





 私の周りには「好きなこと」を持っている人がたくさんいる。止めてしまった人、続けている人、続けようとしている人。私は何も好きなことがない。いや、好きなことはあるんだけど、それが仕事に直結していないし、別に就きたい仕事があるわけでもない。

 じゃあ、私は何のために就職活動をしているのだろう?

 私のために?

 社会のために?

 それとも他の誰かのために?

 好きなこともなく、就きたい仕事もない私は、好きなことがあって、それを続けている人と、続けようとしている人と、止めてしまった人に比べてどうなのだろう?

 幸せなのか?それとも不幸なのか?




 そんなことを考えていたら、もう家の前だった。兄貴は先だって玄関のドアを開けた。乱暴に革靴を脱ぐと、

「寝るわ。おやすみ」そういって階段を上がっていった。私は散らばった兄貴の靴を並べ直した。

「京子」頭の上から声が降ってきた。兄貴の声だった。私は玄関に立ったまま、階段の先を見た。

「負けんなよ」兄貴の足音は階段の奥に消えて行った。

 私はしばらく兄貴が消えた階段の先を見ていた。階段の先にあるのは暗い廊下だけだった。

「負けんなよ」と兄貴は私に言った。

 兄貴にとって就職活動は「勝ち負け」なんだろうか?

 兄貴は就職活動に勝ったのだろうか?負けたのだろうか?

 私はサンダルを脱いでキッチンに行った。

 キッチンには誰もいなくて電気もついてなかった。みんな寝たのかな。




 キッチンで履歴書を書こうと思った。履歴書みたいなモノを書くには相当気合いがいる。自分の部屋だと雑誌だのマンガだのCDだのがたくさんあって私を誘惑するし(誘惑されるのは私なんだけど)うたた寝もしちゃうし。

 こういうつまらないモノを書くのには周りに何もない環境の方がいい。いくら意志が弱い私でも、お鍋や()()()()には誘惑されないと思う。

 いつもご飯を食べているテーブルに履歴書と撮れたてホヤホヤの証明写真を並べた。

 自分で並べてみた就職活動アイテムを見て、ふと思った。

 履歴書。

 なんだろね、これ?

 なんのために書くんだろうね。




 ちょっと前まではバンドのドラマーで格好よかった兄貴。

 就職って人を格好悪くさせるのかな?そうまでして就職しなきゃいけないのかな?

 履歴書。一応書いては見るけれども、この履歴書の先に何があるのか。

 私にはそれすらも見えない。

 恭一は?

 彼は大学生活の先をどうするつもりなのだろう。

 画家になるのだろうか?

 もし、画家になれなかった時は彼はどうするのだろう?

 その時、彼は私たちの就職活動に加わってくるのだろうか。

 テーブルの上に置いた撮れたてホヤホヤの証明写真の私は、とても真面目な顔をしていた。






 案内された狭い画廊(がろう)の中を見回してみる。

 見たことのある絵が飾ってあった。一番天井に近い所に海の絵が掛かっていた。沖田広海が描いた海の絵だ。




 四谷にある、アオヤマ・スミレの画廊。

 私の友人の沖田広海の絵の才能を発掘して、海外に留学させた人物アオヤマ・スミレ。凄腕のスカウトマンなのかは知らないけど、とにかく絵描きのタマゴを探している。

 アオヤマ・スミレについて知っていることはそれくらい。

 アオヤマ・スミレとはどういう人物なのか?

 いくら日本がガイジン、とくに白人天国だとしても、彼女は外国人で、自分たちのテリトリーを外国人にかき回されたくないと思っている日本で、ビジネスを成立させているからには余程まとも、というより影響力のある組織がないとお話にならないはず。

 なんてちょっと難しいことを思ったりする。

 アオヤマ・スミレが経営している画廊に来るのはこれが二度目。会うのは今日が三度目。

 でも彼女とはキチンと話をするようなことは一回もなかった。





 第一、私は絵描きじゃない。私が知る限り、彼女が商売の相手として接しているのはいつも絵描き、もしくは絵描き志望の人達ばかりだ。そういう意味では私がここにいることはちょっと場違いだったりする。

読了ありがとうございました。


今後もごひいきによろしくお願いします。

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