その41
広海はアオヤマ・スミレの組織の試験を進んで受けたわけじゃない。
というよりも広海から「画家になりたい」なんて言葉は私は一回も聞いたことがない。広海には今のアオヤマ・スミレの組織が合っているみたいなんだけど、恭一にとって彼女の組織は合っているのだろうか?
とはいえ、試験があるかないかを聞くことはそんなに大した話じゃない。アオヤマ・スミレの事は知らないわけでもないし。
だから私は簡単に、
「いいよ、聞いておいてあげる」と言った。
携帯の向こうから恭一の「ありがとう、助かるよ」という声が聞こえてくる。
私にはその声がとても他人の声に聞こえてならなかった。聞き慣れている恭一の声なのに。
俺の就職活動。
私の就職活動。
恭一の就職活動。
もし恭一の就職活動が、私に何かをお願いすることで終わるものなら、それはとても簡単な事だと思う。
「用事は、それ?」と恭一に聞いた。
「うん」恭一はハキハキと、私が知っている水野恭一の声に戻っていた。
用事はそれだけ、か。
頭の中で繰り返して、なんとつまらない電話なのだろうと思った。
そんなことか。
「ごめんな寝てるの起こしちゃって」
「ううん、起こしてくれて良かった」もし恭一に起こしてもらえなければ、あのまま何時間でも机の上で寝ていたかもしれない。
ただ、もっと違う用件の電話で起こしてほしかった。
どんな違う用件なのかわからないけど、就職の話じゃなくて、もっと違う楽しい事で電話して欲しかった。
今度いつ会えるとか、
何、食べに行こうかとか。
恭一の声が聞けて良かった。
でも、あまりうれしくなかった。
もっと違う話をしたかった。
知らない間に電話は切れていた。受話器から聞こえるのはプー、プーという音だけ。
私から先に切ったのかな?それとも恭一の方が切ったのかな?
ともかく電話は切れてしまっていた。
机には書きかけの履歴書がヨダレと口紅でベトベトの使い物にならないヨレヨレの紙になっていた。
机の上の置き時計は十時になっていた。二時間ばかり寝ていたんだ。
椅子を立つと私はリクルートスーツ姿のままうたた寝していたことに気が付いた。晩ご飯もリクルートスーツでリクルートスーツのまま食べて、そのまま履歴書を書こうとして寝ちゃったんだ。だいたいそんな感じだったみたい。
最後の一枚だったのに履歴書。
書かなきゃ。
買いにいかないと。着替えるのが面倒。着替えなくてもいいか。
どうせ買いに行くのは履歴書なんだし。
私はリクルートスーツのまま、サンダルに足をつっこんだ。
夜になるとさすがに涼しい。
夜風がサラサラしていて気持ちいい。そういえば夜風に当たるなんて、最近なかったような気がする。いや、多分夜風には当たっているんだと思う。こんな風に意識していないだけで。
夜の町の中でコンビニは明るかった。まっすぐにお店の真ん中の通路あたりの文房具コーナーの履歴書を手に取る。
あまり「抱負」とか「希望」とかの欄が少ない物を選ばないと。
抱負とか希望なんてない。今はただ、どこかの会社のどこかの部署に入らないと。私が考えている就職活動はそんなものだった。
文具コーナーの隣の通路が目に入った。入り口に近い雑誌のコーナー。
そう言えばちょっと前はコンビニに入れば雑誌のコーナーに寄ってたっけ。何が見たいわけでも何が欲しいわけでもないけど、週刊誌をパラパラめくってカラフルなページを眺めていた。今は白黒の履歴書。
今、何が流行ってるんだろ?
秋はどんな服が流行るんだろう?
今まで気にかけていたことが何にも気にならなくなった。
今の私の周りで流行っていることといえば、それは就職活動。
急に惨めな気持ちになった。
私は履歴書を買うと雑誌コーナーの前を素通りしてコンビニを出た。
コンビニの外に、証明写真の機械があった。
なんか履歴書を買った私を待ちかまえているようで、気味が悪かった。
証明写真も撮らないと。
「京子」
振り向くと兄貴が立っていた。兄の嵐山宗一。顔がとても眠そうだ。ネクタイがひん曲がっている。
「何してんだ?」夜風に乗ってお酒の臭いが兄貴からする。どうも好きになれないおじさんの臭いというのか、終電に充満している臭い。
ちょっと前までブイブイ言わしていた兄貴もおっさん臭いを出すようになったんだ。
こんな所で兄貴とばったり会うのは久しぶり。
最近、兄貴と顔を合わせていない。
私にとって社会人先輩の兄貴は私よりも早く家を出て私よりも遅く帰ってくる。だから最近は顔を合わせることがほとんどない。
「なんだ、その格好は?」
兄貴に言われて私は自分を見た。
リクルートスーツ姿にサンダル。
「ちょっとコンビニまで」なんて思ってサンダルで来てしまったけど、自分で見てもヘンだ。
リクルートスーツがヘンなのかサンダルがヘンなのかはともかく、この取り合わせは変だった。
「履歴書」私はコンビニ袋から履歴書を出して見せた。
兄貴はそれを見て「そうか」とちょっとふらついた。かなり酔っぱらっているみたいだった。
「そうだ、ちょっと待ってて」私は酔っぱらいの兄貴に買ってきたばかりの履歴書の袋を渡すと証明写真ボックスに駆け込んだ。
別に一人で証明写真が撮れないわけじゃない。
困るのは写真を撮った後だ。証明写真ボックスの前で一分も待っているのは一人だと恥ずかしい。
誰がどう見ても「証明写真を待ってます」としか見えない。兄貴には一緒に待っててもらおう。酔いも醒めるんじゃないのかな。
狭い狭いボックスの中でゴソゴソと椅子を調整する。
背が高いって結構面倒。襟とか髪をチェックする。リクルートスーツで良かった。
こういう証明写真の服装なんかも書類選考のチェックの対象になるんだろうか?
と、ボックス全体が光った。
読了ありがとうございました。
今後もごひいきによろしくお願いします。




