その40
虫が飛んでいる。
ブー、ブー。そんな羽音を立てて私の頭の周りを虫が飛んでいた。
飛び起きた。
携帯が机の端っこでブルブル震えていた。
「ごめん、寝てた?」恭一だった。
「うん、ちょっとね」言いながら自分でも何がどうなっているのかがわからなかった。
私は自分の部屋にいた。自分の机に向かっていた。そのまま机に突っ伏して居眠りしていたみたい。
「ごめんな起こして」
「ううん」窓の外はすっかり暗くなっていた。
どれくらい寝ていたのだろう?もし恭一が起こしてくれなかったら、いつまで寝ていたのだろう?
「就職活動、大変か?」携帯の向こうから聞こえてくる恭一の声。
「そうじゃないんだけど、とても疲れる」
毎日毎日、リクルートスーツを着て、面接だの試験だのを受けているわけじゃないんだけれど、就職活動をしている時は異常に疲れる。
クタクタだ。
自分でも疲れる原因が分からない。向いていないんじゃないかと思う。こういう自分を売り込んだりする事って。
「そうか、大変だな」
という恭一の声からは、これっぽっちも大変さが伝わってこなかった。
無理はないのかな。
美大の彼には就職活動というものは関係ないことなのだろうか。恭一と就職活動の事は話をしたことがない。
それにしても、関係がないはずはない。
恭一は美大生であっても大学四年生。留年しなければ例外なく大学を卒業しなくてはならないのは私達と一緒。もちろんダブりという例外はあるけれども。
恭一は大学を出た後の事を考えているのだろうか?彼女だから心配になるのは当然だけど、恭一の声からは心配するようなところが見られない。
「頑張っているんだな就職活動」と恭一。
まるで他人事。
別に頑張っているわけじゃない。ただ、やらなくちゃ。やらなくちゃ置いて行かれてしまう。だからやっているだけ。頑張る頑張らないの問題じゃなくて。
でも、
何を頑張るのだろう?
何で頑張っているのだろう?
就職活動で。
「頑張っているわけじゃないだけどね」そう、頑張っていないわけじゃない。
ただクタクタだ。
「そうか」恭一の声がしょぼんとしている。
私に合わせてくれているのだろうか、私の知っている恭一はこういう声はしない。
「久しぶりだね、電話で話すの」
「ええ?そうかな?」驚いていたのは恭一だった。「一昨日も電話したよ」
そうか。一昨日も話たんだっけ。
最後に恭一に会ったのはいつだろう。
「最近、会ってないよね」
言ってて馬鹿みたいと思った。
会いに行ってないのは私の方なのに。
最近、リクルートスーツのことが多くて、こんな格好じゃ恭一の所に遊びに行けないから、会いに行くのが減っている。
リクルーター姿を恭一には見せたくなかった。
会えないのでもないし、会わないようにしているのでもない。
会いに行ってないのは私。
服装以外に、こんなクタクタの顔を恭一には見せたくなかった。彼の前ではいつも光輝く私を描いてもらえるような私で居たかった。
もう恭一の絵のモデルをしなくなったとしても。
「そうだね会ってないね」恭一の返事。恭一の声がしょぼくれたままだ。
どうしたのだろう?こっちが心配になってくる。
何かあったんだろうか?
何かあったんだ。
「実は、お願いがあるんだけど」恭一のしょぼくれた声が言った。
「お願い?」なんだろう。
「俺の就職活動のことなんだけど」と恭一は切り出した。
「俺の就職活動」
恭一はそういう言い方をした。
「俺の就職活動」
「私の就職活動」
そんなものがあるのだろうか?
私は就職活動は就職活動だと思っている。就職活動に「私の」も「僕の」もないと思っている。就職活動は就職活動であって。
でも、恭一は「俺の就職活動」と言った。
「あのさ、前に話してくれた京子の画家の友達いるじゃない?海外に留学に行っている画家の友達?」
「ああ、広海のこと?」私の友達で画家の勉強をしに海外に留学行っているのは沖田広海しかいない。
「その、留学のための試験とかって受けられないのかな?」
「試験?」
「そう、京子の友達が受けた試験」
試験?
私が知る限り、広海は試験みたいなことはしていない。
広海をスカウトしたアオヤマ・スミレは試験なんてしていないんじゃないのだろうか。
答案用紙を渡されて合格ラインはこれくらい、というような試験は受けてはいないはず。
乱暴な言い方をすれば、アオヤマ・スミレは広海の事を勝手に選んで勝手に留学生に仕立て上げた人だ。留学の話を聞いて一番驚いたのは広海自身だったのじゃないのだろうか。
「あるんだろ試験?」
どうなんだろう?広海が留学生に選ばれたのに、どういう審査があってとかって広海からは何も聞いていない。
そんな事より謎の外国人アオヤマ・スミレの組織の事自体、私は詳しく知らない。そんな私に留学のための試験があるなんてことがわかるわけがない。
「聞いてみてくれないかな?どうすれば試験が受けられるのか?」と恭一は言った。
どうして試験にこだわるのだろう?
それにどうしてアオヤマ・スミレの組織なのだろう?
それしか恭一には就職する方法がないのだろうか?
アオヤマ・スミレの組織に入ることは就職じゃない。どっちかと言えば留学だ。
「ねえ、恭一?」改まって私は聞いた。
「うん?」
「恭一も、絵の勉強を続けたいの?」
「うん」
恭一の返事は二回とも「うん」だった。二回とも声に元気がなかったけど、二回目の「うん」ははっきりと意志がある「うん」だった。
「画家になるためには、まだまだ勉強が必要だと思うんだ」
なるほど。恭一が進もうとしている就職以外の道。このまま勉強を続けるということ。アオヤマ・スミレのナゾの組織で。
行く行くは画家になりたいんだね。
でも、アオヤマ・スミレの組織に入る事が「画家になる」のに良い事なのだろうか?
読了ありがとうございました。
今後もごひいきによろしくお願いします。




