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ポートレイト  作者: 岸田龍庵
沖田広海とわたし
34/68

その34

「自分の絵なんて一月で一枚描くのでギリギリって感じ。あとは看板描きのバイトだとか、近所の集会のポスターとかそんなのばかり。そういう仕事の斡旋(あっせん)はしてくれるんだけどね」

「ポスター?」広海が看板を描いたり、ポスター描きの仕事をするなんて、これは驚きだ。

 日本にいたころは、広海は学園祭だのイベントの時に必要になるポスターだのパンフレットだのを描いてくれという依頼をかたくなに断っていた。



「自分の描きたい絵じゃない絵は描きたくない」

 それが広海の口ぐせだった。



 選択科目で美術を取って当たり前なはずの広海は授業で絵を「描かされる」ことも拒否していたくらいだから。

 そんな広海がポスターだの看板だのを描いているとは驚きだ。

「やってみると結構楽しいよ、看板もポスターも。私の描いた絵は、ほら基本的に見るのは私だけじゃない?でも看板とかポスターはいろいろな人が見てくれるからね。私の作品って知らない人でも足留めて見てくれるから。それにねえ」



 広海はスラスラと喋りだした。絵の事になると話が止まらないのは今も昔も同じ。私が良く知っている沖田広海がいた。



「ポスターとか看板って賞味期限があるからいいのよ」

「賞味期限?」

「そう、いくら情熱こめて大事に大事に描いても、期限が来れば取り外されてビリビリに破かれて、新しいモノになってしまうじゃない?そうするとね、また新しいの描かないといけない、って思うわけ。

 私の絵には違いないけど、いつまでも同じ一枚の絵に執着していられなくなるのよ。次はどんなものを描こう、今度はこういうものを描こうってね。もう自分の描いた絵を越えられないなんて気分にもならないし、越えようとも思わないし。

 いくらでも描ける、でも自分の絵を描くためには何倍ものポスターとか看板を描かなきゃならないから、自分の絵がもっと大切に思えるのよ」広海はまくしたてていた。



 もうもう広海は止まらないし、止められない。



「自分の絵が描きたいのに、思い通りに描けないのが良いのよね。日本にいる時には好きな時に好きな絵が描けたけど、今はそれをするためにはたくさん描きたくない絵を描かないとならない。今まで自由にできたことができないジレンマが爆発するのよね。たまっていたこと、描きたいと思っていたこと、それがポスター描きとか看板描きで身に付いたテクニックが導いてくれるの。ちょっと足かせがある日々ってのも重要なんだって思うの。

 それにねえ、ポスターって、色々な人が見るから、まったく知らない人からも依頼がくるの。お金持ちの人が肖像画を描いてくれとかね、そういう依頼があったりするから面白いんだ。私の知らない所で出会いのキッカケがあったりして。いろいろな人に見られるのって楽しいよ」





 広海の話を聞きながら思った。出てくる言葉のすべてが今までの沖田広海からは想像も出来ないものばかりだった。

 広海はとっても変わった。

 とても良い感じになって帰ってきた。



 当たり前だけど外国では言葉から習慣から食べ物からまるで違うわけだし、日本で当たり前のようにできていたことができないだけでストレスがたまるはず。そんな中で一人暮らしでバイトをして絵の勉強をするなんてどれだけ大変なのか見当も付かない。

 広海はそんな環境の中で二年も暮らしていた。大変だったと思う。



 楽しい事よりも大変な事の方が多かったんじゃないだろうか。大好きな絵を描くことなんかほんのちょっとしかできていないんじゃないかな。

 それでも広海からはそんな「辛さ」がほとんど見えてこない。かといって「楽しさ」だけしか見えないかというと、そんな感じでもなかった。




 今の広海はとても自然な感じがする。呼吸するのと同じように海外で生活して絵を描いている。無理している感じがどこにもない。

 とても良い感じに変わってきた。

 広海、大きくなって帰ってきたね。

 そんな言葉を贈りたい。



 たった二年で人はこんなにも変わるものなのだろうか?



 その変わった人間が私の目の前にいる。親友の広海は良い感じに変わっていって、どんどん私の知らない広海になっていっている。

 留学先に戻れば、そこでは私が全然知らない「ヒロミ・オキタ」がいるんだろうな。

「ねえ、広海」

「うん?」広海の眠そうな目が見ている。

「明日、海行こうよ」私から海に行くのを誘ったのはこれが初めて。

「うん」眠そうに広海は言った。



 人はどんどん変わって行く。

 広海も私もどんどん変わって行く。

 望もうと望まないのと関係なしに人は変わる。

 でも、広海が日本にいる間は、ちょっとだけ変わらない時を過ごしたい。

 そこは祐子も恭一もいない、今とは全く違う遠い昔の世界。

 変わらない場所で変わらない私がいまでもそこにいるから。

 ほんの少しの間だけ、いつまでも変わらない私に帰りたかった。

 せめて広海が私のそばにいる間くらいは。




 二週間後。

 広海はあっさりと留学先のイタリアに帰っていった。

「向こうに帰るね」広海はそう言った。今の広海には故郷の日本が「お出かけ先」で、海外が「帰るおウチ」ということらしい。生活の基盤から何から何までが海外を基準にして動いているということなんだ。

 にしても見事にあっさりしている、未練だとか二年振りとかそういうものがない、カラっとした別れだった。

 搭乗ゲートの先に消えていく広海の背中を見ても寂しさを感じなかった。

読了ありがとうございました。


今後もごひいきによろしくお願いします。

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